ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語86
魚屋道の碑(神戸市東灘区深江本町)

2025/03/26
江戸時代初期から灘の浜で捕れた魚を有馬温泉に運んでいた道の明治に入ってからの呼称で、出発点の東灘区深江本町に立つ

 魚屋道(ととやみち)とは、灘の浜で捕れた新鮮な魚を有馬温泉に最短距離で運んだ六甲越えの道の呼称で、明治に入って使われるようになった。それ以前は「湯山間道」とか「乃津甲越え」と呼ばれていた。
 魚の運搬そのものは、江戸時代初期から行われていたようで、当時の絵地図には、現在の国道2号線沿いにある森の朱鳥居から山に入り、蛙石、風吹岩、東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、有馬のルートが描かれている。現在のハイキングコースと同じルートで、道のりは約12㎞。当時でも半日ほどで新鮮な魚が湯治客のもとに届けられた。
 ちなみに、幕府は灘から有馬への正規の街道を西宮神社方面に東進し、宝塚から船坂峠を経て有馬に向かうルートを定めたが、あまりにも遠回りであったことからこのルートは敬遠された。このため、生瀬などの宿場の商人らは、再三にわたって、魚屋道は「抜け荷の道」だとして奉行所に訴え騒動になったことや、1806(文化3)年には、有馬の人びとが私財を投じて魚屋道の大修理をした記録も残っている。
【メモ】碑は魚屋道の出発点とされる神戸市東灘区深江本町の大日神社境内にある。阪神深江駅から南に3分。
(鍋島)