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ひょうご描き歩き159
須磨寺(神戸市須磨区須磨寺町)
2025/03/12
山陽電鉄・須磨寺駅から北に商店街とゆるやかな石畳の参道を上っていくと、ほどなく源平ゆかりの名刹、須磨寺に着く。正式名は福祥寺であるが古くから通称の須磨寺で呼ばれ、「須磨のお大師さん」としても親しまれている。訪れた日は初大師の日で、参道の両側には多くの出店が並び参詣者で賑わっていた。
寺の縁起によれば、平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げ、それを本尊として祀る寺として建立されたとされている。険しい山の中腹を切り開いて建立されていて、画にした仁王門を入るとすぐ左手に源平の庭があり、平家物語の中でも美しく悲しい場面として有名な平家の若干16歳の若武者、平敦盛と源氏の武将、熊谷直実とが一の谷の波打ち際で一騎打ちする場面を現した像が立つ。一の谷合戦のとき、須磨寺は源氏の大将、源義経の陣地であったと伝えられている。
その庭の前には〈笛の音に波もよりくる須磨の秋〉の蕪村句碑が立ち、歌舞伎「一の谷.軍記」に登場する「若木の桜」も傍に。境内には他にも芭蕉や子規らの句碑も多くあり、それらを辿るのも楽しい。
唐門から境内に入ると正面に本堂、その両脇に護摩堂と太子堂があり、左手に書院や三重塔などが続き、奥に敦盛塚(首塚)もある。
(嶋谷)
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寺の縁起によれば、平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げ、それを本尊として祀る寺として建立されたとされている。険しい山の中腹を切り開いて建立されていて、画にした仁王門を入るとすぐ左手に源平の庭があり、平家物語の中でも美しく悲しい場面として有名な平家の若干16歳の若武者、平敦盛と源氏の武将、熊谷直実とが一の谷の波打ち際で一騎打ちする場面を現した像が立つ。一の谷合戦のとき、須磨寺は源氏の大将、源義経の陣地であったと伝えられている。
その庭の前には〈笛の音に波もよりくる須磨の秋〉の蕪村句碑が立ち、歌舞伎「一の谷.軍記」に登場する「若木の桜」も傍に。境内には他にも芭蕉や子規らの句碑も多くあり、それらを辿るのも楽しい。
唐門から境内に入ると正面に本堂、その両脇に護摩堂と太子堂があり、左手に書院や三重塔などが続き、奥に敦盛塚(首塚)もある。