新社会兵庫ナウ

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私のユニオン運動の原点

2025/02/26
 阪神・淡路大震災から30年。私のユニオン運動歴も30年になる。あのとき震災がなければ、私は労働組合とは無縁で、全く違う人生を歩んでいただろうと思う。違う人生を味わってみたかったと思うが、今の自分に後悔はない。ユニオンでたくさんの人と出会い、モノを見る目を養ったことは、私の宝物になった。
 震災から30年の節目、あの当時のユニオンと地区労の活動を風化させず、伝えたいと考えた。当時、これまで日本の労働運動で誰もやったことがない活動に着手した。震災を理由にした解雇や便乗解雇。電話1本、ハガキ1枚で簡単に解雇されるパートやアルバイトを対象に労働相談の窓口を開設したことは、私たちが誇れる活動であり、その後も30年活動を続ける原動力になった。労働組合が衰退していく中で、これからもこの活動が続けられるのか、次代に伝え続けることができるのか不安になる。不安だからこそ、30年の節目にこれまでのことを伝える集会を開きたい。
 当時の私は「相談者の1人」だった。当時の相談活動の中心を担っていた地区労の前事務局長に、あのとき被災者でありながら労働者のセーフティネットの役割を果たそうとしたこと、未経験の活動をしようと決意したこと、伝えたいことなどを聞きに行った。前事務局長から、「ユニオンの活動もボランティアも同じ。『寄り添う』『伝える』『備える』が基本ではないか。労働者に寄り添えているのか、寄り添うとは何か、いま一度考えることから始めることが、『伝える』ことにつながるのではないか」と言われた。
 振り返ると、私はいつもユニオンに寄り添ってもらっていた。職場でイジメられたら事務所に行ってグチを聞いてもらい、退職に歯止めをかけることができた。その献身的な姿を見て、私はいまユニオンにいる。このことを伝えることも活動を次代に引き継ぎ、活動を続けることにつながるだろう。
 集会は4月27日に開く予定。これから起こる災害に、ユニオンが労働者のセーフティネットであり続けることを伝えたい。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長)