新社会兵庫ナウ

若者の広場(2025年2月26日号)
減税ブーム、それ、正しい?

2025/02/26
 1989年、「平成のスタート」の年、私は、バブルの崩壊とともに生まれました。
 生きてきて、景気の良い日本を知らないし、上の世代からは「ゆとり世代」と小馬鹿にされ、就職活動中にはリーマンショックが直撃し、有効求人倍率は0・5倍でした。その度に卑屈な気持ちで生きてきたように思います。
 そのような嵐の中、私は幸いにも就職をすることができましたが、周りを見渡すと、仕方なく非正規雇用で働く者、ブラック企業で使い捨てにされる者が多くいます。そして、世間からは今のように「若者の声を聞け」という声も大きくなく、「自己責任」の名のもとに切り捨てられました。そうした状況で、この世代は政治や社会に対して「怒り」よりも「諦め」の気持ちを持っている人々が多数のように思います。
 そうした中で、「敵」を作ったうえで、「手取りを増やす」、「消費税をゼロにする」などの心地よいフレーズを言ってくれる国民民主党やれいわ新選組に一定に支持があるのは、私自身は支持はしませんが、「絶望から救ってくれる救世主」のように映っていることは理解はできます。
 しかし、それらの主張の裏でなにを考えているかをよく汲み取る必要があるように思います。
 例えば、2023年11月1日に、国民民主党の玉木雄一郎は、X(旧Twitter)で「診療報酬を減らして医者の給料を減らしたい」(現在は削除)と発言し大炎上しました。
 要するに、「社会保障費を削る分、減税します」ということでしょうが、極めて危険な発言ですし、このような「分断」と「感情の社会」に乗っかる政治家が出てきたことも憂慮しなければいけないところです。
 人生、誰しもがいつかは病気になるかもしれません。2人に1人はガンになる時代。また、いつかは心の病気になるかもしれません。事故に遭い、動けなくなるかもしれません。そして、働けなくなり、困窮するかもしれません。生活保護を受けるかもしれません。その当事者になる可能性は誰にでもあります。
 人は一人では生きられません。そのための「公共サービス」ではないのではないでしょうか。
 私たちが当たり前のように飲めている水や、安全な道路、移動手段としてのバス、教育で使う教科書や、病気やケガをしたとき・予防のための医療、安心して暮らしていけるための介護、犯罪に巻き込まれないための治安の維持など、生きていくために必要不可欠な公共の役割は多いです。
 新社会党のホームページを開けると「あなたが尊重される社会に」というフレーズが出てきます。私はとても良い言葉だなと思いました。
 分断・対立からの転換として、「人が尊重される社会」へのビジョンを示していただけることを期待します。
(吉野冬詩)