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ひょうご碑物語85
後藤又兵衛顕彰碑(姫路市山田町)
2025/02/26
槍の名手として知られる後藤又兵衛の顕彰碑が出生地とされる姫路市山田町の福田寺境内に建つ
後藤又兵衛は、安土桃山時代から江戸時代初期に数々の軍功を挙げた武将。出生については、永禄3年(1560年)4月10日に神東郡山田村(現・姫路市山田町)に生まれたと江戸時代の地誌『播磨鑑』に記されている(他説もあり)。幼少の頃に父を亡くしたため、黒田官兵衛に養育された。
身長は6尺(約180㎝)を超えるという巨漢であり、槍の名手として知られる。「黒田24騎の雄」とうたわれ、具体的な足跡が現れるのは天正14年(1586年)の九州攻めの頃からで、関ヶ原の戦いにも従軍。その後、福岡県大隅城の所領1万6千石を与えられた。
慶長19年(1614年)大坂の陣が勃発すると、又兵衛は、豊臣秀頼の招きを受けて、大将格として奮闘するが、翌年の夏の陣において討ち死にした。56歳であったという(他説もあり)。
2015年、又兵衛没後400年の節目に記念式典が開催され、姫路市山田町の福田寺境内に写真の顕彰碑が建立された。碑は、又兵衛にちなみ、槍の穂先の形に仕上げられている。
なお、又兵衛の末裔の一部は、今も山田町に在住とのこと。
(森山)
【メモ】神戸から車で60分。電車(神戸電鉄、北条鉄道)で90分と北条からバスで20分。姫路からバス(北条行)で50分。
※アイコンクリックでデータをご覧ください。
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後藤又兵衛は、安土桃山時代から江戸時代初期に数々の軍功を挙げた武将。出生については、永禄3年(1560年)4月10日に神東郡山田村(現・姫路市山田町)に生まれたと江戸時代の地誌『播磨鑑』に記されている(他説もあり)。幼少の頃に父を亡くしたため、黒田官兵衛に養育された。
身長は6尺(約180㎝)を超えるという巨漢であり、槍の名手として知られる。「黒田24騎の雄」とうたわれ、具体的な足跡が現れるのは天正14年(1586年)の九州攻めの頃からで、関ヶ原の戦いにも従軍。その後、福岡県大隅城の所領1万6千石を与えられた。
慶長19年(1614年)大坂の陣が勃発すると、又兵衛は、豊臣秀頼の招きを受けて、大将格として奮闘するが、翌年の夏の陣において討ち死にした。56歳であったという(他説もあり)。
2015年、又兵衛没後400年の節目に記念式典が開催され、姫路市山田町の福田寺境内に写真の顕彰碑が建立された。碑は、又兵衛にちなみ、槍の穂先の形に仕上げられている。
なお、又兵衛の末裔の一部は、今も山田町に在住とのこと。