新社会兵庫ナウ

おんなの目(2025年1月22日号)
確保すべき公園の防災機能

2025/01/22
 1995年1月17日午前5時46分、わずか数十秒の揺れで、6434人の尊い命が奪われ、多くの人の生活基盤が奪われた阪神・淡路大震災。私が居住する灘区も大変な被害に遭った。幸い我が家はスレート屋根で覆われている住宅だったこともあり、一部損壊に留まった。その日の夜、余震が続く中、いつでも飛び出せるように靴を履いたまま過ごした。
 次の日、私は自転車で灘区の被害の大きかった南部地域へと向かった。家が潰れ、道という道が無くなり、水道管から水が溢れ出し、ガスの臭いが漂う中を自転車を押しながら「これは夢なんだろうか、現実なんだろうか」と、涙を抑えることができなかった。
活動の原点は〝震災〞、そして〝ユニオン〞
 震災後の6月に延期された統一自治体選挙で落選した後、「何かしなければ……」と突き動かされ、自然に足が向いたのが、「被災労働者ユニオン」(黒崎隆雄委員長)だった。
 国に公的支援を求めて何度も夜行バスに乗って国会へ。時には日比谷公園内に野宿も。東京と神戸、その〝温度差〞を感じながらも公的な支援を求め続けた。数年後、多くの被災者の声が届き、初めての市民=議員立法「被災者生活再建支援法」が成立した。
 ユニオンは、被災者の「労働・生活実態調査」に取り組み、仮設住宅も訪問した。当時、仮設住宅は、神戸市内だけでなく、東は大阪のりんくうタウン、西は岡山県まで、広範囲に存在した。調査結果で、震災後、被災者の2人に1人が就労していない実態が明らかになり、兵庫県や国に改善を申し入れた。
 働く者と地域とがつながった「被災地メーデー」。96年の「第1回 ゆめたちあがれ 被災地メーデー」は、仮設住宅が立ち並ぶ若松公園(長田区)で。97年の「第2回 ゆめひろがれ 被災地メーデー」は、樹木や公園が延焼を防いだという大国公園(長田区)で。……同メーデーは20回続いた。
問われた〝緑〞と〝公園〞の役割
 王子公園(灘区)も例外ではない。震災の日の朝、災害救助のためのヘリコプターが被災地に着陸しようとしたが、どの公園にも住民が避難しており、着陸ができない状態だった。唯一、王子公園内の動物園とスタジアムが施錠されており住民が入れなかったために着陸できるスペースがあった。
 平常時、市民の憩いの場としての公園は、緊急時には避難所・防災拠点・仮設住宅用地として機能するオープンスペースとしての確保が必要なことを私たちは30年前の経験から学んだ。
 この3年間、市民とともに取り組んできた王子公園再整備計画問題。王子公園内のスタジアム3・5㌶を売却して関西学院大学を誘致する。スタジアム北側のサブグラウンドには立体駐車場が建設される。その結果、王子公園内のオープンスペースが無くなり、王子公園の防災公園としての機能は一気に落ちる。災害が続く昨今、阪神・淡路大震災で、王子公園の状況をみてきた周辺住民には、30年前の教訓が活かされていない今回の神戸市の一方的な計画は到底受け入れられるものではない。
(小林るみ子)