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私の主張(2024年12月11日号)
知事選に見るSNSの功罪「民意」の背景にあるのは…
2024/12/11
議会が全会一致で不信任とした前知事が失職の後の出直し選挙で大差で再選という衝撃的な結果となった兵庫県知事選。知事の失職をめぐる一連の経緯や動向からすれば、驚きの結果であった。異例の選挙戦が眼前で繰り広げられ、事後にも次々と異例の出来事が明らかにされ、選挙からすでに2週間が経つが、デマ・中傷などによる選挙妨害や名誉棄損をめぐる刑事告訴、当選者側の公選法違反疑惑の浮上など、今も波紋が広がっている。
選挙戦のなかで「民意」が大きく動き、驚きの結果をもたらした、異例づくめの選挙戦で何があったのかをいま改めて振り返り、何が問題なのかを共に考えていきたい。断っておくが、本稿の趣旨は、私たちが支援した「いなむら和美選挙」の総括ではない。
問題のひとつは、現行の公選法が想定していない事態が今回の選挙で起きたことだ。それは、自分の当選のためではではなく、斎藤元彦氏の応援のために立候補したという立花孝志N党党首の「参戦」である。彼は、SNSや動画配信サイトを駆使して、デマや誹謗、個人のプライバシーの暴露をも含む大量の煽動的な情報を発信して斎藤氏を擁護し、支援するネット世論の形成に大きな役割を果たした。あるSNS調査会社の報告では、立花氏は知事選告示日から投票日前日までに自身のユーチューブチャンネルで100本以上の斎藤氏支援の動画を投稿し、その総再生数は計1500万回弱に達したとされている。
また、彼は街頭で、斎藤氏とのセットを意識した行動(斎藤氏の街頭演説と同じ場所で、斎藤氏の演説の直前か直後に自身も演説)を展開し、斎藤陣営の完全な援軍になりきった。
だが、こうした手法が許されるならば、資金にモノを言わせ、特定の候補を勝たせるために何人も候補者を擁立することができる。これは公平な選挙と言えるだろうか。民主主義の名で自ら民主主義を壊していく行為ではないか。
因みに、今回の知事選前に、立花氏はN党から10人を立候補させると表明したために、最終的には7人の立候補者に対しポスター公営掲示板で最大28の枠がつくられるというとんでもない税金の無駄使いも起きた。
さらに重要な問題のひとつは、今回の選挙結果に大きな作用を果たしたSNSや動画サイトなどを利用した選挙活動をめぐってだ。
一つの資料として、投票に際して何を参考にしたかというNHKの出口調査では、テレビと新聞がそれぞれ24%なのに対し、SNS・動画サイトは30%と前者を上回った。そして、このうちの70%以上が斎藤氏に投票した。この傾向は年代によって差があり、新聞を読まずテレビもあまり見ないという若い世代ではこの傾向はさらに顕著で、斎藤氏と稲村氏の得票結果はこのことに対応している。
もちろん、氏の政策や知事としての実績を評価する支持層がそれなりにあったことは事実だが、選挙戦の様相を大きく変え、投票率を前回よりも14・55.上回るほどにおし上げていったのは、間違いなくSNSや動画投稿の効果だ。街頭演説にかけつけた斎藤支持者たちの声からも、これらによるメッセージの大規模な拡散の影響が証明されている。今後、こうした作戦はさらに拡大するだろう。
筆者の目にも、斎藤氏の猛追・逆転を実現させた急速な支持の拡大は、明らかに熱狂的なムーブメントが起こり、それがうねりとなって大衆を動かす流れのようになったことによってつくられたもののように映った。街頭演説の聴衆は加速度的に増え、最終盤では姫路や神戸で3千人にものぼるなど、かつてない選挙戦の光景が生まれた。
そこで問題なのは、なぜこうしたSNSに影響されて世論が動くのかということである。その背景に何があるのかという問題でもある。
今回、デマや誹謗中傷が飛び交い、その真偽を確かめるためにネットを利用した人も多かった。その際、派生的だがネット特有の現象である「フィルターバブル」も無視できない。自分の意見に近い情報ばかりが表示され、偏った情報に基づく判断が形成されやすい。
さらに、今回の選挙戦での斎藤陣営側のSNSの中では、デマをも含んで一つのストーリーとシナリオが意識的につくられていた。選挙期間中でもSNSには選挙法上の規制がない(このことについての検討や対策は今後、不可欠になっている)。描かれたストーリーは、「斎藤氏のパワハラ等の疑惑は捏造されたもので、知事追い落としの陰謀だった」というものだ。だから、「斎藤氏は悪くなく、『改革』を進めるいい人だ。応援しなければ」の声が少なからぬ人々の心を動かし、「善意」による拡散も波及的に行われていった。
さらに注目すべきなのは、それが、《「既得権益勢力」に立ち向かう「改革派」》という構図にまでスライドして演出されていったことだ。一部では、既存のマスコミ、議会、百条委員会までもが批判・不信の対象となった。
こうした気運を受け入れ、広がった今日的な「民意」。そのなかにポピュリズム的な、ある意味、ファシズムへと傾きかねない危険な土壌が形成されつつあるのではという危惧は言い過ぎだろうか。さらに掘り下げて検討してみる必要があろう。
上野恵司(『新社会兵庫』編集長)
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選挙戦のなかで「民意」が大きく動き、驚きの結果をもたらした、異例づくめの選挙戦で何があったのかをいま改めて振り返り、何が問題なのかを共に考えていきたい。断っておくが、本稿の趣旨は、私たちが支援した「いなむら和美選挙」の総括ではない。
問題のひとつは、現行の公選法が想定していない事態が今回の選挙で起きたことだ。それは、自分の当選のためではではなく、斎藤元彦氏の応援のために立候補したという立花孝志N党党首の「参戦」である。彼は、SNSや動画配信サイトを駆使して、デマや誹謗、個人のプライバシーの暴露をも含む大量の煽動的な情報を発信して斎藤氏を擁護し、支援するネット世論の形成に大きな役割を果たした。あるSNS調査会社の報告では、立花氏は知事選告示日から投票日前日までに自身のユーチューブチャンネルで100本以上の斎藤氏支援の動画を投稿し、その総再生数は計1500万回弱に達したとされている。
また、彼は街頭で、斎藤氏とのセットを意識した行動(斎藤氏の街頭演説と同じ場所で、斎藤氏の演説の直前か直後に自身も演説)を展開し、斎藤陣営の完全な援軍になりきった。
だが、こうした手法が許されるならば、資金にモノを言わせ、特定の候補を勝たせるために何人も候補者を擁立することができる。これは公平な選挙と言えるだろうか。民主主義の名で自ら民主主義を壊していく行為ではないか。
因みに、今回の知事選前に、立花氏はN党から10人を立候補させると表明したために、最終的には7人の立候補者に対しポスター公営掲示板で最大28の枠がつくられるというとんでもない税金の無駄使いも起きた。
さらに重要な問題のひとつは、今回の選挙結果に大きな作用を果たしたSNSや動画サイトなどを利用した選挙活動をめぐってだ。
一つの資料として、投票に際して何を参考にしたかというNHKの出口調査では、テレビと新聞がそれぞれ24%なのに対し、SNS・動画サイトは30%と前者を上回った。そして、このうちの70%以上が斎藤氏に投票した。この傾向は年代によって差があり、新聞を読まずテレビもあまり見ないという若い世代ではこの傾向はさらに顕著で、斎藤氏と稲村氏の得票結果はこのことに対応している。
もちろん、氏の政策や知事としての実績を評価する支持層がそれなりにあったことは事実だが、選挙戦の様相を大きく変え、投票率を前回よりも14・55.上回るほどにおし上げていったのは、間違いなくSNSや動画投稿の効果だ。街頭演説にかけつけた斎藤支持者たちの声からも、これらによるメッセージの大規模な拡散の影響が証明されている。今後、こうした作戦はさらに拡大するだろう。
筆者の目にも、斎藤氏の猛追・逆転を実現させた急速な支持の拡大は、明らかに熱狂的なムーブメントが起こり、それがうねりとなって大衆を動かす流れのようになったことによってつくられたもののように映った。街頭演説の聴衆は加速度的に増え、最終盤では姫路や神戸で3千人にものぼるなど、かつてない選挙戦の光景が生まれた。
そこで問題なのは、なぜこうしたSNSに影響されて世論が動くのかということである。その背景に何があるのかという問題でもある。
今回、デマや誹謗中傷が飛び交い、その真偽を確かめるためにネットを利用した人も多かった。その際、派生的だがネット特有の現象である「フィルターバブル」も無視できない。自分の意見に近い情報ばかりが表示され、偏った情報に基づく判断が形成されやすい。
さらに、今回の選挙戦での斎藤陣営側のSNSの中では、デマをも含んで一つのストーリーとシナリオが意識的につくられていた。選挙期間中でもSNSには選挙法上の規制がない(このことについての検討や対策は今後、不可欠になっている)。描かれたストーリーは、「斎藤氏のパワハラ等の疑惑は捏造されたもので、知事追い落としの陰謀だった」というものだ。だから、「斎藤氏は悪くなく、『改革』を進めるいい人だ。応援しなければ」の声が少なからぬ人々の心を動かし、「善意」による拡散も波及的に行われていった。
さらに注目すべきなのは、それが、《「既得権益勢力」に立ち向かう「改革派」》という構図にまでスライドして演出されていったことだ。一部では、既存のマスコミ、議会、百条委員会までもが批判・不信の対象となった。
こうした気運を受け入れ、広がった今日的な「民意」。そのなかにポピュリズム的な、ある意味、ファシズムへと傾きかねない危険な土壌が形成されつつあるのではという危惧は言い過ぎだろうか。さらに掘り下げて検討してみる必要があろう。