ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語83
飾磨砲台跡の碑(姫路市飾磨区須加)

2024/12/11
 姫路市の南に位置する姫路港は、古くは万葉の時代から播磨地方の玄関として大きな役割を果たしてきた。現在でも家島や小豆島へのフェリーの乗り場となっているほか、播磨工業地帯の中核港湾として、鉄鋼、化学、電機、ガス等のエネルギー産業を支えている。
 江戸時代は飾磨津と呼ばれ、姫路藩御船役所を置き、水軍の御船手組が常駐していた。1846年(弘化3年)には、藤田維昌が湛保を築造し、巨大な人工の港が完成した。
 1863年(文久3年)には、幕府の命により姫路藩が異国の船の来襲に備えて砲台を造った。勝海舟が摂津に派遣され、西宮、今津などの砲台を建造した時期と同時期である。「飾磨町志」によると、湛保の工事の際に海底から掘り上げて南の海岸に積み上げていた大量の土砂を利用して砲台を築造し、大砲4門(荻野流2門、西洋流2門)を配備した。同書および「飾磨郡誌」に収録されている当時の砲手、増田良蔵の談によれば、砲手は姫路藩士で、数人が交替で常駐し、大砲の発射訓練も行ったという。現在は、方形の船溜りだけが旧状を保っている。
(森山)
【メモ】山陽電鉄・飾磨駅から南へ徒歩25分。神姫バス飾磨港行では終点下車すぐ。姫路港湾合同庁舎敷地内