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ひょうご碑物語81
内藤利八氏顕彰碑(神崎郡市川町)
2024/09/11
播但鉄道(現JR播但線)の発起人の一人の内藤利八を顕彰する碑が播但線・甘地駅前に建つ
内藤利八は、1856年(安政3年)、播磨姫路藩領神東郡、のちの川辺村(神崎郡川辺村を経て、現市川町)生まれの政治家及び実業家。漢学、英語、政治学を修め、1873年(明治6年)、18歳にして川辺村戸長に就任。1881年(明治14年)に兵庫県会議員に当選。1890年(明治23年)には第1回衆議院議員総選挙で当選し、以降、衆議院議員を通算5期のほか、姫路水力電気各社長、姫路商業銀行監査役などを務めた。
播但鉄道(現JR播但線)の発起人の一人でもあり、1894年(明治27年)には姫路から寺前間が開通し、その後、社長に就任した。
当時、馬車を引いていた馬力や沿線の人たちからの反対があったが、完成後は、「銀の馬車道」による輸送から鉄道輸送に切り替わり、播但地域の近代化に大きな功績を残したと言われている。
2021年は内藤利八没後100年となり、内藤利八の記念切手も発売された。
(森山)
【メモ】JR播但線・甘地駅下車すぐ。甘地駅から碑までの約100mの間には、姫路の版画家・岩田健三郎氏のユニークな作品が立ち並び、内藤利八氏の紹介や発行された記念切手の絵柄、姫路から和田山までの播但線沿いの見どころなどが紹介されている。
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内藤利八は、1856年(安政3年)、播磨姫路藩領神東郡、のちの川辺村(神崎郡川辺村を経て、現市川町)生まれの政治家及び実業家。漢学、英語、政治学を修め、1873年(明治6年)、18歳にして川辺村戸長に就任。1881年(明治14年)に兵庫県会議員に当選。1890年(明治23年)には第1回衆議院議員総選挙で当選し、以降、衆議院議員を通算5期のほか、姫路水力電気各社長、姫路商業銀行監査役などを務めた。
播但鉄道(現JR播但線)の発起人の一人でもあり、1894年(明治27年)には姫路から寺前間が開通し、その後、社長に就任した。
当時、馬車を引いていた馬力や沿線の人たちからの反対があったが、完成後は、「銀の馬車道」による輸送から鉄道輸送に切り替わり、播但地域の近代化に大きな功績を残したと言われている。
2021年は内藤利八没後100年となり、内藤利八の記念切手も発売された。