新社会兵庫ナウ

私の主張(2024年8月28日号)
8月14日を忘れない
日本軍「慰安婦」メモリアルデー

2024/08/28
 19910814―一昨年9月に神戸で開催された「表現の不自由展」で、入場料振り込み口座に設定したログインパスワードだった。「表現の不自由展」は開催にこぎつけるまでにおびただしい時間とエネルギーと心痛を要した。そして当日の右翼のものすごい妨害。加えて開催後も会場だった県民会館への執拗な抗議は続き、館長さんは心労からか退職されてしまわれた。あれからもう2年。
 1991年8月14日は、「慰安婦は業者が連れ歩いたのだ」と、日本軍の関与を認めない日本政府に、燃えるような怒りを持った金学順さんが名乗り出た日だ。世間の好奇、嘲笑、侮蔑、驚嘆のまなざしにさらされるであろうことは容易に想像されたであろう。でも「私には(名乗り出ることによって)迷惑をかける親族もいない。責任逃れをする日本が許せない」と、記者の露骨な質問にもつらい気持ちをこらえて毅然と答えていた姿が忘れられない。あれからもう33年だ。
 金学順さんに励まされて、各地、各国の性被害者たちは、やっと「責められるべきは私ではない」と、戦争犯罪の告発者となって闘いの先頭に立っていった。そのほとんどが故人となってしまってからも、伊東詩織さんや五ノ井里奈さんのように自分を奮い立たせて不正義に立ち向かった女性が後に続いた。しかし肝心の私たちは、彼女たちの「勇気」と生やさしく一言で言い表すにはあまりにも深い苦しみや葛藤を、どこまで自分事として思い描けているだろうか。
 33年経って日本政府の謝罪は得られたか。「慰安婦」問題は解決したか。前進したか。せめて忘れられずにいるか。残念ながらすべて「否」と言わざるをえない。安倍政権後、軍の関与は強制的なものではなかったというウソがまかり通り、今では「謝罪は済んだ、問題は存在しない」というのが日本政府の公式見解のようになっている。今年、「慰安婦」を連れ回した事実はないと記述する教科書(令和出版「国史」)が検定に合格した。河野談話は死んだ。
 期限を9月に控え、ドイツ・ベルリン市ミッテ区に建立されている「平和の少女像」が撤去されようとしている。ドイツは今、極右勢力が力を持ち、なんと彼らは日本の戦後の歩みをお手本にしているという。日本は敗戦を受け入れず、移民を認めず、原発もなくさない国だからだそうだ(今年4月28日の「木戸衛一講演」による)。
 沖縄で、本土の基地で、またもや性暴力が繰り返されていることが発覚した。しかも謝罪すらなく、米軍、日本政府あげての隠蔽で、時が過ぎるのを待つ作戦だ。ここにも性犯罪に対する甘さ、軽さが嫌でも浮かび上がる。
 やはり極限の女性差別である「慰安婦」問題がきちんと衆目の理解が得られる形で解決できていないことが、いま起こっている多くの問題の出発点で到達点だと感じる。かつて小林よしのりは慰安婦制度について、「父祖の性欲をゆるせ」と叫んだ。2013年5月13日(私はこの日も忘れることができない)、橋下徹大阪市長(当時)は「銃弾が飛びかう中で戦う兵士に休息を与えるには慰安婦制度が必要だった」、「沖縄米兵も風俗店を活用したらいい」、「世界中の国がやっている。日本だけが非難されるのはおかしい」と発言し、結局、撤回することはなかった。こんな男を今もメディアに登場させ、しかも視聴率が稼げるということは、発言の何が問題だったのかわかっていないのが、橋下一人ではないということ、この国・社会の到達した人権レベルがこの程度だということだ。小林や橋下の吐き気をもよおすような「本音」がこの問題の根底にある。そしてそれは今もって糾弾されていない。大都会の夜、性売買というどう考えても明らかな「女性差別」が辻々に立っているではないか。「そんな女もいるんだから、本人がいいんだったらいいんじゃないの」と、問題にすらできない認識がある。
 性にまつわる事件では、女性が被害者であることが多い(ジャニーズ事件は男性だった)が、そこには(加害者である)男性とはこういうものだという前提があるようだ。私は男になったことがないから分からないが、男(の性欲)とはこういうものだと、小林や橋下に言われて、男性は腹が立たないのだろうか。男性への侮辱ではないのか。
 8月14日は世界が決めた日本軍「慰安婦」メモリアルデーである。
門永三枝子(アイ女性会議ひょうご事務局長)