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寄稿
被災地・能登を訪ねて
神戸市会議員 あわはら富夫
2024/05/22
【写真説明】震災と火災の惨状がまだそのまま残る輪島市
震災直後の景色がそのまま
4月上旬、私の郷里である能登の宝達志水町を訪ねた。その後、奥能登の輪島市、七尾市中島町と訪ね、被災者の生活支援の活動に取り組む神戸のボランティアグループを激励してきた。
宝達志水町は人的被害はなく、公共インフラの復旧も早かったが、それでも損壊家屋は液状化により1500戸を超えていた。輪島市へつながる能登里山街道は、被災から3か月を経過しても、輪島市に向かう途中から行きの一方通行に規制され、しかも、至る所が土砂崩れしていて、夜の走行は非常に危険な状態だった。
輪島市では一部、仮設住宅の建設は始まっているものの、数が全体で決定的に不足。さらに驚いたのは、大火災に見舞われた河井町は焼けた住宅ビルはもちろん、路上の焼けた自動車、電線にもたれる電柱などまでもが放置状態で、解体撤去などがまったく進んでいない状況だったことだ。
阪神・淡路大震災時は、震災後3か月には神戸市の復興計画が決まり、公費解体もどんどん進み、アスベスト被害を心配しなければならなかったような状態だったから、地震のあった元旦から景色が全く変わらない輪島市の現状には驚かされた。
七尾市中島町で生活支援を行う、神戸の団体である被災地NGO恊働センターの支援基地を訪れたが、仮設住宅建設が絶対的に不足し、また、仮設住宅団地に集会所がないなど、これまでの震災の経験が活かされていないと怒っていた。さらに、災害救助法の主体である県の姿が見えず、地元自治体の対応が「すべてのことで遅れている」と嘆いていた。
震災は、その都市が抱えている将来的な課題を今の課題にしてしまう。人口減で弱まる自治体力、さらに進む限界集落。復興どころか復旧も進んでいない状況であった。元の暮らしに戻す支援が切に求められる。被災者の生活再建には、阪神・淡路大震災の被災者の運動で成立させた被災者生活再建支援法がある。この法律は地震など災害のたびに充実し、被災者の生活再建に役立つ制度になってきている。野党が支給額最高の600万円をすべての被災者を対象に給付する改正案を国会に提案している。この改正案を成立させ、阪神・淡路大震災の被災者の思いが能登の被災者を救うことを心から願う。
能登半島地震と2つの「原発」〜志賀原発と珠洲「原発」
能登半島には今回の地震時に稼働していなかった志賀原発と長年の市民運動で建設凍結を勝ち取った珠洲原発計画がある。
志賀原発は私の高校の校区にあり、周辺に友達もいる。志賀原発では、地震で陸海空とも交通手段は遮断され、特に避難ルートは現在でも修復工事が行われている能登里山街道である。原発避難計画が全く機能しないことが証明された。また、志賀原発は再稼働が目前だったが、東日本大震災以後、新しい活断層の存在を反対派が問題提起し、再稼働をめぐる闘いが繰り広げられていた。今回の地震で外部電源も内部電源も一時期途絶えていた。稼働されていれば炉心の冷却ができず福島原発事故と同じ経過をたどったのではないだろうか。
過去に計画されていた珠洲原発では、予定地集落は孤立して避難計画は役立たず、しかも予定地の海岸は2mから4mも隆起。原発ができていれば配管が破断するだけでなく炉心それ自体が破壊される大爆発が起こっていても不思議ではない状況であった。志賀原発の再稼働をさせず、珠洲原発計画を凍結に追い込んだ能登の市民運動に感謝である。
日本では半島や小さな集落などに立地が多い原発。地震と原発の両立はあり得ない。活断層が無数に走る日本に「原発はあり得ない」ということを、今回の能登行きであらためて確信した。
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4月上旬、私の郷里である能登の宝達志水町を訪ねた。その後、奥能登の輪島市、七尾市中島町と訪ね、被災者の生活支援の活動に取り組む神戸のボランティアグループを激励してきた。
宝達志水町は人的被害はなく、公共インフラの復旧も早かったが、それでも損壊家屋は液状化により1500戸を超えていた。輪島市へつながる能登里山街道は、被災から3か月を経過しても、輪島市に向かう途中から行きの一方通行に規制され、しかも、至る所が土砂崩れしていて、夜の走行は非常に危険な状態だった。
輪島市では一部、仮設住宅の建設は始まっているものの、数が全体で決定的に不足。さらに驚いたのは、大火災に見舞われた河井町は焼けた住宅ビルはもちろん、路上の焼けた自動車、電線にもたれる電柱などまでもが放置状態で、解体撤去などがまったく進んでいない状況だったことだ。
阪神・淡路大震災時は、震災後3か月には神戸市の復興計画が決まり、公費解体もどんどん進み、アスベスト被害を心配しなければならなかったような状態だったから、地震のあった元旦から景色が全く変わらない輪島市の現状には驚かされた。
七尾市中島町で生活支援を行う、神戸の団体である被災地NGO恊働センターの支援基地を訪れたが、仮設住宅建設が絶対的に不足し、また、仮設住宅団地に集会所がないなど、これまでの震災の経験が活かされていないと怒っていた。さらに、災害救助法の主体である県の姿が見えず、地元自治体の対応が「すべてのことで遅れている」と嘆いていた。
震災は、その都市が抱えている将来的な課題を今の課題にしてしまう。人口減で弱まる自治体力、さらに進む限界集落。復興どころか復旧も進んでいない状況であった。元の暮らしに戻す支援が切に求められる。被災者の生活再建には、阪神・淡路大震災の被災者の運動で成立させた被災者生活再建支援法がある。この法律は地震など災害のたびに充実し、被災者の生活再建に役立つ制度になってきている。野党が支給額最高の600万円をすべての被災者を対象に給付する改正案を国会に提案している。この改正案を成立させ、阪神・淡路大震災の被災者の思いが能登の被災者を救うことを心から願う。
能登半島地震と2つの「原発」〜志賀原発と珠洲「原発」
能登半島には今回の地震時に稼働していなかった志賀原発と長年の市民運動で建設凍結を勝ち取った珠洲原発計画がある。
志賀原発は私の高校の校区にあり、周辺に友達もいる。志賀原発では、地震で陸海空とも交通手段は遮断され、特に避難ルートは現在でも修復工事が行われている能登里山街道である。原発避難計画が全く機能しないことが証明された。また、志賀原発は再稼働が目前だったが、東日本大震災以後、新しい活断層の存在を反対派が問題提起し、再稼働をめぐる闘いが繰り広げられていた。今回の地震で外部電源も内部電源も一時期途絶えていた。稼働されていれば炉心の冷却ができず福島原発事故と同じ経過をたどったのではないだろうか。
過去に計画されていた珠洲原発では、予定地集落は孤立して避難計画は役立たず、しかも予定地の海岸は2mから4mも隆起。原発ができていれば配管が破断するだけでなく炉心それ自体が破壊される大爆発が起こっていても不思議ではない状況であった。志賀原発の再稼働をさせず、珠洲原発計画を凍結に追い込んだ能登の市民運動に感謝である。
日本では半島や小さな集落などに立地が多い原発。地震と原発の両立はあり得ない。活断層が無数に走る日本に「原発はあり得ない」ということを、今回の能登行きであらためて確信した。