新社会兵庫ナウ

私の主張(2020年6月9日号)

2020/06/16
新型コロナ禍で新たなロスジェネを生み出すな 
 
学生生活を襲う新型コロナ
 リーマン・ショック以降、多くの大学生は学生生活を送るためにアルバイトの比重を高めてきた。新型コロナ感染の広がりによってそのアルバイトができなくなり、非常事態宣言によってさらに深刻なものになった。
 アルバイトができないだけでなく、ネットでの授業しかない(それすらできていない大学もある)、図書館が使えない、部活・サークルができない。本来の学生生活を送れていないにもかかわらず、授業料等は満額納めさせられているのだ。
戦後最大の不況に突入
 だが、大学生の最も大きな不安は将来のことである。年明けまでは、労働力不足による売り手市場だったが、一変してしまった。日本経済、いや世界経済は、もはや誰も正確に想像することすらできない戦後最大の恐慌に突入した。
 ロスジェネはバブル経済の破綻とその後の日本経済の低迷によって生みだされた。非正規労働(正規職でも過密・低賃金労働)に多くの若者が追い込まれた。ロスジェネをなんとかしようという機運が出てきたのが、ここ1〜2年のことである。
 その矢先の今回の大不況である。大学院生、大学生、高校生、その下の世代も実に暗雲が漂う未来が待ちうけることになった。しかも、深刻さの度合いはたぶん桁違いである。
矛盾の根源が見えている
 この事態を迎えて、バブル経済の崩壊やリーマン・ショックのときと比較して、いくつかの理由で展望を持つことができると私は考えている。
 1つは、矛盾の根源が見えていることである。バブル経済とその崩壊時には、新自由主義という概念すら私たちは持っていなかった。新自由主義の矛盾に注目し始めたのは、1990年代の後半からである。リーマン・ショックにおいては、新自由主義と結びつけて語っても、なかなか理解されなかった。だがここ数年、貧富の格差の拡大が明確になり、日々の生活の矛盾と経済について、新自由主義という概念で説明できるようになっていた。
新たな参加型社会運動
 第2は、日本において新たな参加型社会運動が成功し始めていることである。SNS、とりわけツイッターによって、「検察官定年延長法案」の成立を阻止したことは、日本の社会運動が陥っていた無力感から脱出する契機となるだろう。
「国民の理解なしには進められない」と安倍首相に言わせたことは、日本の社会運動における歴史的な快挙である。もちろん過大評価してはならないが、SNSが社会運動として政権を動かす世論を形成する力をもったのである。
当事者の生の声を集める
 奨学金問題に取り組んできてマスコミ関係者とのつながりもできたが、彼らが望んだのは当事者の「実態」「生の声」である。だが、当事者はそう簡単に声をあげられない。とくに弱者である当事者が発言すると、強烈なバッシングを受けてしまう。黙らされるだけでなく、深い傷を負ってしまうことに強い警戒心を抱いているのだ。奨学金問題において、当事者の取材を仲介してそのことを痛感した。
 それでも、当事者が声をあげない限り、社会は変えられない。彼らの「声」「実態」を受けとめて集約する仕方に工夫が必要である。
社会の仕組みと結びつける
 日本社会において人々は、近視的視野と短期的思考下に置かれている。「今だけ、自分だけ」である。そして、失敗は「自己責任」とされてしまう。
 だが、新自由主義の矛盾の深まりと今回のコロナ感染問題は、矛盾を社会の仕組みを通して考えるようになってきている。その仕組みをわかりやすく説明し、抜本的解決策を掲げた社会運動を作ることが求められている。
 新たな、より深刻なロスジェネを生み出さないために、当事者の声を集め、SNSを活用して、社会の仕組みを変える社会運動を模索し始めたところである。
 佐野修吉(奨学金問題と学費を考える兵庫の会・事務局長)