ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語75
神力翁丸尾重次郎の碑(たつの市御津町)

2024/02/28
明治時代に多収穫米「神力」を発見し広げた丸尾重次郎の生誕地に立つ石碑
 
 最近は次々と新しい水稲品種が世に出ているが、そのルーツをたどると「旭」や「亀ノ尾」など5〜6品種に行きつく。この限られた品種の中でも特に近年の多収化に貢献したのが「神力」であるという。
 「神力」は、1877年( 明治10年)御津町(現たつの市)の農家・丸尾重次郎によって発見された。自分の田で栽培していた水稲「程良」の中に3本だけ芒のない穂があった。もともと稲作改良に熱心だった丸尾はこれを見逃さなかった。さっそく試作してみると従来の稲と比べて25%も増収した。丸尾はこの品種を「器量良」と名付けたが、この望外の多収は神のお力添えに違いないと考え、のちに「神力」と改名した。「神力」は、大時の1919年(大正8年)には、全国水稲面積の20%で栽培されたが、昭和になると「旭」にその座をあけわたしたという。
 たつの市民病院の北約500mの道路沿いには「神力翁丸尾重次郎生誕地」の真新しい看板が立つが、そこから200mほど南にある石碑は草木に埋もれ、忘れ去られたような佇まいである。
(森山)
【メモ】山電網干駅からバス15分、たつの市民病院北、徒歩約200m