ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語74
神戸港西関門跡の碑(神戸市中央区相生町)

2024/01/24
 諸外国との修好通商条約(1858年)によって220年続いた鎖国が解かれ、この国は大きく変容していく。神戸では、開港とこれに伴う外国人居留地の設置で大きく様変わりする。
神戸港の開港は1868(慶応3)年1月1日で、住民が多く住み、賑わっていた兵庫津(兵庫区・中央市場付近)から東に3・5㌔の場所に設置された。住民と外国人の衝突などを懸念したためだ。外国人居留地は港の東側に位置する神戸村に置かれた。旧生田川(今のフラワーロード)より西で、畑や砂地が広がっていたが、近くにかつての神戸海軍操練所があり、その施設が活用できることもあって選定されたようだ。
 ちなみに、居留地は現在の東遊園地から大丸までの地域を22街区126区に分割。整然とした街並みが形成された。
 写真の「明治維新開港当時関門跡」の碑は、居留地設置時に、居留地の安全と街道の監視、密貿易を防ぐために14か所に設けられた番所のうちの1つ。かつては三越神戸店の壁面に埋め込まれていた。
 なお、これらの関門は 1871(明治4)年にすべて廃止され、自由に通行できるようになる。
(鍋島)
【メモ】JR神戸駅から南東に3分。元町本通り西出口南角。 
【写真説明】神戸港の開港に伴い設置された外国人居留地の安全や監視等のために設けられた番所の跡を示す