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私の主張(2023年12月27日号)
政治腐敗の根は小選挙区制
今こそ大衆の怒りで変革を
2023/12/27
■虚言癖の下手な芝居
物忘れのひどい人を健忘症という。岸田首相がマスコミで発言する「忘れた」「認識がない」は度を越えているが、これらは健忘でも痴呆でもない。辞書を調べるまでもなく、虚言(癖)である。
かつて岸田は自民党本部で統一教会(日本)の幹部Aを伴ったキングリッチ元米下院議長と会見した。写真という物証が厳存しているにもかかわらず、岸田はその記憶も認識もないととぼけた。会見場は制・私服警官に警備されている自民党本部である。記憶にも認識も残らない漠たる人物が存在しうると所ではない。
岸田本人も含めて、誰一人岸田の言を信用するものはいない。ただその場逃れの方便であったであろう。他を欺くために自らを欺け、というさすが政治家の噓である。
このような人物が、なぜ首相であり、自民党総裁でいられるのか。
岸田が政権に就いてこのかた、国民に隠しようもなく明らかになったことは、「新しい資本主義」など、さまざまな政策的言辞にかかわらず本当に固執しているものは、首相の椅子だという彼の姿勢であった。自らの理想もなく、国民の信頼にも頓着しない人物が政権を保持しようとすれば、選ぶ道は党内最大派閥に媚びることである。
安倍派こそが自民党の逞しい屋台骨であるとほめたたえ、モリ・カケ・サクラの犯罪を強さの現れとして扱い、安倍の死に際しては、国葬をさえ行った。安倍派を弁護する気持ちは毛頭ないが、これでは安倍派がのさばり、堕落し、劣化するのは当然である。自民党の腐敗を促進した岸田の責任は免れない。にもかかわらず、岸田は自浄作用の一歩さえ踏み出さなかった。
■大衆の活性こそ薬
安倍派にベタつくだけベタついた岸田が、いま政権にしがみつくために選んでいる方策は、これ見よがしに安倍派と距離を取り、安倍派を悪者視しているかのように見せることである。しかし、ここまでお粗末なドタバタ劇を見せられた国民は、自民党内が「目くそ鼻くそ」であることを見てしまっている。岸田の振る舞いが見苦しくさえある。
三国志には、孔明が泣いて馬謖を斬る話はあるが、馬謖を斬って逃げる孔明の話はない。自民党にひび割れが走り、岸田の求心力は落ちて、戻ることはあるまい。
今の自民党は、腐食し、空洞化し、倒壊することが予測される巨木のようである。私たちは小さな試みも疎かにせず、自民党を倒すたたかいを周到に進めなければならない。自民党の呆れるほどの醜態を見せつけられた大衆に起ち上ろうとしている変化があることを見落としてはならない。一例をあげよう。12月15日、JR六甲道駅前で行った介護保険制度改悪反対署名運動は1時間の間に130筆が集まった。それだけではない。署名の際に交わされる会話は増えている。意見を述べる署名者も多く、異なる空気をつくり出していた。大衆が元気に転じるかもしれない兆しが感じ取れる。この兆しを私たちは積極的にとらえ、大衆が感じ、語り、怒ろうとする空気を後押ししなければならない。私たちが先頭に立つことはもちろんであるが、従来の「数だけの岸田不支持」と言われていたものを、考え、声を発し、行動し、物理的な力を醸し出す不支持に変えていかなければならない。
■腐敗の根底は小選挙区制
窮地に追い込まれた自民党は、維新や国民民主党に救いを求めるかもしれない。求められた党派は、通常国会における予算審議や大阪万博問題、政権への誘惑などエサに惹かれるかもしれない。総選挙も迫ってくることもあり、分かれ道となるのは、大衆の活性状況であろう。大衆の状況を脇に放置し政治が続いてきたが、投票率がどうなるかなどに表れるであろうが、大衆の呼吸が感じられる政治を引き寄せていかなければならない。
30年前の小選挙区制選挙が持ち込まれた時、「カネのかからない選挙」「派閥がなくなる政治」等々が大きな声で言われていたことを思い出そう。今、私たちが目にしているのは「カネのかかる政治」「派閥が予想もしなかったほどに跳梁跋扈する政治(というよりむしろ犯罪)」である。そういう謳い文句が生み出した政治である。小選挙区制という現行の制度こそ、国民大衆の政治的エネルギーを不当にゆがめる、政治を常に腐敗に導く政治制度こそ、検めるべき根元である。
今村 稔(憲法を生かす会・灘共同代表)
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■虚言癖の下手な芝居
物忘れのひどい人を健忘症という。岸田首相がマスコミで発言する「忘れた」「認識がない」は度を越えているが、これらは健忘でも痴呆でもない。辞書を調べるまでもなく、虚言(癖)である。かつて岸田は自民党本部で統一教会(日本)の幹部Aを伴ったキングリッチ元米下院議長と会見した。写真という物証が厳存しているにもかかわらず、岸田はその記憶も認識もないととぼけた。会見場は制・私服警官に警備されている自民党本部である。記憶にも認識も残らない漠たる人物が存在しうると所ではない。
岸田本人も含めて、誰一人岸田の言を信用するものはいない。ただその場逃れの方便であったであろう。他を欺くために自らを欺け、というさすが政治家の噓である。
このような人物が、なぜ首相であり、自民党総裁でいられるのか。
岸田が政権に就いてこのかた、国民に隠しようもなく明らかになったことは、「新しい資本主義」など、さまざまな政策的言辞にかかわらず本当に固執しているものは、首相の椅子だという彼の姿勢であった。自らの理想もなく、国民の信頼にも頓着しない人物が政権を保持しようとすれば、選ぶ道は党内最大派閥に媚びることである。
安倍派こそが自民党の逞しい屋台骨であるとほめたたえ、モリ・カケ・サクラの犯罪を強さの現れとして扱い、安倍の死に際しては、国葬をさえ行った。安倍派を弁護する気持ちは毛頭ないが、これでは安倍派がのさばり、堕落し、劣化するのは当然である。自民党の腐敗を促進した岸田の責任は免れない。にもかかわらず、岸田は自浄作用の一歩さえ踏み出さなかった。
■大衆の活性こそ薬
安倍派にベタつくだけベタついた岸田が、いま政権にしがみつくために選んでいる方策は、これ見よがしに安倍派と距離を取り、安倍派を悪者視しているかのように見せることである。しかし、ここまでお粗末なドタバタ劇を見せられた国民は、自民党内が「目くそ鼻くそ」であることを見てしまっている。岸田の振る舞いが見苦しくさえある。三国志には、孔明が泣いて馬謖を斬る話はあるが、馬謖を斬って逃げる孔明の話はない。自民党にひび割れが走り、岸田の求心力は落ちて、戻ることはあるまい。
今の自民党は、腐食し、空洞化し、倒壊することが予測される巨木のようである。私たちは小さな試みも疎かにせず、自民党を倒すたたかいを周到に進めなければならない。自民党の呆れるほどの醜態を見せつけられた大衆に起ち上ろうとしている変化があることを見落としてはならない。一例をあげよう。12月15日、JR六甲道駅前で行った介護保険制度改悪反対署名運動は1時間の間に130筆が集まった。それだけではない。署名の際に交わされる会話は増えている。意見を述べる署名者も多く、異なる空気をつくり出していた。大衆が元気に転じるかもしれない兆しが感じ取れる。この兆しを私たちは積極的にとらえ、大衆が感じ、語り、怒ろうとする空気を後押ししなければならない。私たちが先頭に立つことはもちろんであるが、従来の「数だけの岸田不支持」と言われていたものを、考え、声を発し、行動し、物理的な力を醸し出す不支持に変えていかなければならない。
■腐敗の根底は小選挙区制
窮地に追い込まれた自民党は、維新や国民民主党に救いを求めるかもしれない。求められた党派は、通常国会における予算審議や大阪万博問題、政権への誘惑などエサに惹かれるかもしれない。総選挙も迫ってくることもあり、分かれ道となるのは、大衆の活性状況であろう。大衆の状況を脇に放置し政治が続いてきたが、投票率がどうなるかなどに表れるであろうが、大衆の呼吸が感じられる政治を引き寄せていかなければならない。30年前の小選挙区制選挙が持ち込まれた時、「カネのかからない選挙」「派閥がなくなる政治」等々が大きな声で言われていたことを思い出そう。今、私たちが目にしているのは「カネのかかる政治」「派閥が予想もしなかったほどに跳梁跋扈する政治(というよりむしろ犯罪)」である。そういう謳い文句が生み出した政治である。小選挙区制という現行の制度こそ、国民大衆の政治的エネルギーを不当にゆがめる、政治を常に腐敗に導く政治制度こそ、検めるべき根元である。