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ひょうごミュージアム
ひょうご碑物語71
寝釈迦の渡し碑 (たつの市新宮町觜崎)
2023/10/11
昔、揖保川は瀬戸内海からの水運として、また、山陽道、美作道、因幡道の交通の要所として栄えた。たつの市新宮町觜崎の揖保川に架かる觜崎橋の東詰めには、当時、渡しがあった。そして、渡し場の南西の川下に連なる山並が寝釈迦姿であることからこの名前が付けられた。
碑に曰く、「ここ觜崎は、因幡街道、別名駈落街道筋の宿場町で、この渡し場で旅人は道中の平安を祈り、西に向かう。駈落者は身の不考(碑文ママ)を詫びて、共に寝釈迦に手を合わせたと言う。また後醍醐天皇御西下の道筋でもあった」と。
この山並は釈迦が仰向けに横たわっている、と見る人もいれば、昔は揖保川はもっと滔滔と流れており、川面に映った山影を含めて横を向いた釈迦であったとの話もある。
渡しのすぐ北側には屏風のようにほぼ垂直に岩肌がそびえる天然記念物「屏風岩」(8世紀の『播磨風土記』にも登場)があり、それに連なる岩肌には5体の磨崖仏が彫られている。その一つの銘文には「文和3年(1354年)10月に藤原(以下解読不能)」とあり、藤原某の何回忌かに彫られたものと考えられている。これらを見てもこの地が信仰を集めた場所であることがうかがえる。
(森山)
【メモ】JR姫新線・東觜崎駅から北西へ約1㎞。
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碑に曰く、「ここ觜崎は、因幡街道、別名駈落街道筋の宿場町で、この渡し場で旅人は道中の平安を祈り、西に向かう。駈落者は身の不考(碑文ママ)を詫びて、共に寝釈迦に手を合わせたと言う。また後醍醐天皇御西下の道筋でもあった」と。
この山並は釈迦が仰向けに横たわっている、と見る人もいれば、昔は揖保川はもっと滔滔と流れており、川面に映った山影を含めて横を向いた釈迦であったとの話もある。
渡しのすぐ北側には屏風のようにほぼ垂直に岩肌がそびえる天然記念物「屏風岩」(8世紀の『播磨風土記』にも登場)があり、それに連なる岩肌には5体の磨崖仏が彫られている。その一つの銘文には「文和3年(1354年)10月に藤原(以下解読不能)」とあり、藤原某の何回忌かに彫られたものと考えられている。これらを見てもこの地が信仰を集めた場所であることがうかがえる。