新社会兵庫ナウ

私の主張(2020年4月28日号)

2020/04/28
迷走・独断・無責任の安倍政権に
      “命とくらし”は委ねられない

 
3つの“危機感”
 新型コロナウイルスの猛威の前に世界が呻吟している。感染拡大の勢いは止まらず、確認された感染者数は世界で238万人を超え、国内でも1万人を突破した(4月20日現在)。だが、少ない検査数からすれば、実勢はもっと深刻なはずだ。すでに市中感染は広がり、だれもが感染し、また、他者に感染させる可能性をもっている。まだウイルスに対する治療薬やワクチンが開発されていない状況を考えると、いま眼前に広がっているのは、歴史上類まれな疫病蔓延の危機的状況だ。まずはこのことに冷静な危機感を持ち、”社会的距離“もやむなし、自覚的な行動に努めたい。
 加えて、感染拡大防止のためにとられている社会的・経済的な措置によって社会には深刻な影響が広がっている。リーマンショック時を超え、1929年の大恐慌時以来のものとも予想されている経済への打撃は、働くもののくらしに、ひいては働くものの命にさえ大きな脅威を与えている。このことにも重大な危機感を抱く。
 こうした事態にあっては、政治の役割は、何よりも国民の命とくらしをこの脅威から守ることにある。そのことを最優先させなければならない。政府にはそのための迅速な政策の確立とその実行が求められる。
 だが、こうした観点からこの間の安倍内閣の対応を振り返ると、この内閣にも大きな危機感を覚えてしまう。

迷走、独断、無責任……の”悪夢“
 新型コロナウイルスに対する安倍内閣の対応・対策はことごとくが後手に回り、迷走を続けてきたと言わねばなるまい。正確な情報発信や説明責任がどれだけ果たされてきただろうか。打ち出された政策の客観的な根拠や事実がどれだけ語られたであろうか。行き詰まった挙句が首相の独断であり、その独断を正当化するために、噓やごまかしを並べてきたのが実態ではなかろうか。
 ゴタゴタ劇をすこし振り返ってみよう。東京五輪開催にこだわった政治的思惑による対応の遅れがある。そして2月下旬の独断による全国的なイベントの自粛要請とその翌日の突然の全国一斉臨時休校の要請。周囲から迫られた7都府県を対象にした緊急事態宣言の発出は補償なき休業要請となった。そこで大見得を切ったのが減収世帯への30万円の給付案だ。だが、あまりの評判の悪さに、異例の予算組み替えでの一律10万円給付への驚くべき大転換劇。その転換には口実が欲しかったのだろう、緊急事態宣言は全国拡大へ。致命的なのは、そのいずれもがいまだに実行されないでいるという遅さだ。その過程での、466億円もかけたなんとも的外れな「アベノマスク」2枚の全世帯配布などは論外としか言えぬ愚策だ。
 そこに見えるのは、政権の維持こそが最優先課題という姿であり、国民のくらしに向き合い、ウイルスや経済的打撃から国民の命とくらしを守るという視線も、姿勢も、心情も感じ取れない。自画自賛を基調として、プロンプターに頼り切り、自分の言葉で訴えることのない首相の記者会見にいつもそのことを感じてしまう。
 安倍首相はことあるごとに“悪夢のような民主党政権”と罵り続けてきたが、いま、このコロナウイルス禍の中で私たちが見ているのは、”悪夢のような安倍政権“ではないか。自らが吐き出した罵倒はそのまま自分で受けてもらわねばなるまい。まさに迷走・独断・無責任の安倍政権であり、とても私たちの命やくらしを託すことはできない。

安倍内閣の早期退陣を!
 安倍首相は、今回のウイルス禍が戦後最大ともいえる危機であり、国民がひとつになってウイルスと戦おうと呼びかけてきた。だが、森友・加計問題や桜を見る会疑惑をはじめとする問題で噓をつき続けてきた安倍首相の呼びかけは国民から信頼を得られるだろうか。
 逆に、この危機のなかで、これに便乗した悪巧みの方が透けて見える。政権が追い詰められてきた不都合な事実を忘れさせ、野党の追及からの逃げ切りを図ろうとする魂胆がその一つであり、さらには、緊急事態宣言の発令を奇貨として、この際とばかりに改憲論議を促す、火事場泥棒的な動きである。そんなとんでもない策動を許してはならない。
 そして、いま改めて考えてみたい。アベノミクスの見せかけの”成功“で粉飾された経済の実態、行政改革の名のもとに進められてきた医療・介護を含む公的部門の縮小・削減がもたらしている脆弱な社会体制、放置されてきた格差と貧困の構造など、これまでの矛盾が浮かび上がり、噴出してきている現実についてだ。私たちは、この現実に向き合いながら、今後の政治・社会のあり方を考える機会としなければならないのではなかろうか。
 新型コロナウイルスへの対応は今後も長期にわたるだろう。これにはきちんとした科学的知見に基づいて対応していくしかない。だが、同時に問題とされるのは、その過程での政治であり、政策である。今から間違いなく待ち受けているのは経済への大打撃であり、企業を維持するための労働者へのさまざまな犠牲の強要である。それに向けた闘いとその準備を怠ってはならない。私たちが、反転攻勢に転じる機会にしなければならない。
 上野恵司(『新社会兵庫』編集長)