新社会兵庫ナウ

おんなの目(2023年6月14日号)
いつの日か笑顔が戻る

2023/06/14
 今年3月、無事に定年を迎えました。阪神・淡路大震災直後の出産で保育園に入れず取った育休と大病を患ったときの計9か月の休職期間以外、看護師として定年後の安定した生活を夢見て休みなく働き続けてきました。
しかし年金は65歳からしか支給されず、ダウン症の娘と2人暮らしで、生活のため定年後も嘱託職員として働かせていただくこととなりましたが、土曜の2回出勤が減っただけで賃金は60%に。時給換算では新入職員の時給よりも低く、高齢者雇用調整金が出るといってもわずかで期待もできません。
認知症で同居していた叔母がグループホームに入居したこともあり昨年夏より家賃の安いマンションに転居しました。それでも家賃で年金の約半分が消えてしまう計算で、貯蓄を切り崩しながらの生活となります。同居している時よりイキイキと生活している叔母をみていると自分も認知症になったらグループホームに入りたいと思いますが、自分の年金額では全く足りず貯金の残額と相談しながら入居を検討しなければなりません。
医療も、介護保険も、負担は増えるばかり。まさに昨年の参院選での岡崎彩子さんのスローガン「女・シングル・それでも生きていける社会!」に変わらない限り、お金の切れ目が命の切れ目の厳しい現実です。
そんな中、今年3月中旬から娘が心を閉ざしてしまいました。癒しの笑顔も声も消え、目も合わせてくれず、意思表示もしてくれない状況が続いています。作業所には送迎を利用して何とか通うことができていますが、作業所以外は家から一歩も出ようとせず、近くに住む姉や姪にも心を開いてくれません。
娘さんが同様の状況の友人の紹介で専門医に相談すると「ダウン症の退行」疑いで、様々なストレスがきっかけで心のシャッターを下ろしてしまった状態のため外側から無理にこじ開けることはできず本人が開けようとするまで待つしかないとのこと。
 振り返ると、いつも私の都合で転居を繰り返し、そのたびに娘にかなり負担をかけてきました。娘のしんどさにも気づかず、今まで仕事、趣味のサークル、組合や諸活動の会議とほぼ毎晩遅い私を手伝いをしながら待っていてくれる娘の優しさに甘え続けてきました。障がいがあっても、高齢になっても安心して生活できる社会をめざして活動してきたはずなのに、娘に負担をかけるばかりで、次の世代の人たちに働きかけることもできず、今まで何をしてきたのかと考えると虚しさばかりが残ります。
しかし、このまま逃げるわけにはいきません。選挙結果も重なり心折れそうな時も娘のことを気にかけて下さる仲間の存在に励まされてきました。
王子公園再整備の問題も今からが正念場。仲間と共にあきらめず長期戦覚悟で自分にできることを続けていきたいと思います。
娘のことも娘のペースを大切にしながら焦らず向き合っていきたいと思います。
いつの日か笑顔が戻る日が来ると信じて。(田上美紀)