ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語66
尼崎藩領界碑(尼崎市西川2丁目)

2023/04/25
【写真説明】領有関係が複雑だった尼崎藩の領地の範囲を示すための石碑のひとつ。神社の注連柱の移設中に掘り出された

 領界碑は、領有関係が複雑であった尼崎藩の領地の範囲を示すために設置された石碑で、これまで16基が確認されている。写真の石碑は、1985年に西川八幡神社の注連柱(しめばしら)の移設中に掘り出された。江戸時代の西川村にあった3基のうちの1つとされている。ちなみに16基は、いずれも全長2・4mの花崗岩製で字体も共通している。
 尼崎藩は、近世に入ると大阪の西を守る要の地として幕府から重視されるようになる。大坂の陣の後の1617(元和3)年に徳川家譜代の戸田氏哲に5万石を与えて尼崎に転封し、四層の天守を持つ本格的な城郭を築城させた。この築城に合わせ、尼崎の各所にあった寺院を城の西側に集めて寺町を形成し守りを固めた。さらに城の南側には武家屋敷を配置することで近世の城下町としての尼崎の町ができあがった。
以後、西国に向かう大阪からの旅人は、神崎川を渡りきったところにある領界碑を見て尼崎藩に入ったことを知り、優美な天守を見ながら城の南側を迂回し、西国へ歩を進めた。(鍋島)
【メモ】JR尼崎駅下車。北側に出て東へ7分。西川八幡神社境内。