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おんなの目(2023年2月8日号)
2023/02/08
家での看取り〜私の場合
七草粥の日、それは突然だった。「ばあちゃん、今朝はあまり食べないなあ」と思っていたら、しばらくすると緑がかった茶色い液体を吐いた。 「あっ!また腸閉塞や!」、慌てて吸痰器で口の中の液体を吸い出し、訪問看護師に電話した。
母は昨年11月初めにショート先で同様のことが起こり、嘔吐物の一部が肺に入って誤嚥性肺炎になり、1ヶ月ほど入院した。コロナ禍の影響で面会は全く出来なかった。2週間の絶食、点滴で肺炎と閉塞は治まり、医師に呼ばれた。「口からの摂取を始めるが、できるかどうかはわからない」と。私は「食べれても食べれなくてもうちに連れて帰ります。最期は家で看取ります」と言った。
93歳の母は昨夏の猛暑がこたえ、食べる量が減りかなり痩せてしまい、訪問看護師に時々、点滴してもらっていた。食事はスプーンで与えていたが、なかなか口さえ開けず、やむを得ずエネルギー補充の吸うゼリーの先を口に入れるとむせずに飲み込めたので、その旨を伝え、ナースのアイデアでシリンジ(針無し注射器)で栄養液を飲ませてくれることになった。
その2週間後、12月初めに母はシリンジと共に退院し、自宅のみでの介護が始まった。10月までは週3回のデイサービスに行っていたので、私はその間、筋トレに通ったり、パートでヘルパーとして働いたり、細々と活動したりしていたが、それは出来なくなった。母は1ヶ月ずっと寝たきりだったので手足が固まってしまっていたが、以前から来ていただいていた理学療法士の先生にリハビリでほぐしてもらったり、座る練習をしたりしていた。主治医も在宅診療専門の先生に代え、24時間対応で私には心強かった。訪問看護師に腸や体調管理をしてもらったり、新しく訪問入浴を利用することになり、テキパキと準備され、ゆっくり丁寧にお湯につけてもらい、母は気持ち良さそうにしていた。食事は私がシリンジで栄養液を、時々口を開けた時にはプリンやお正月には白味噌仕立ての餅抜き雑煮も食べさせることができた。正月には孫や妹にも会うことができたし、ひ孫とスマホの画面で顔を見て声も聞けて本当に良かった。その嘔吐の前日までそんな日々だったのだ。
嘔吐後すぐにナースが、翌日にはドクターが来て下さり、「脈も触れないくらい弱く、老衰なのでご本人の負担にならないよう点滴などの処置はせず、自然に任せましょう」とのお話があり、『一両日中』とのこと。覚悟は決めていたが、夜中に私がひとりで看る時に息が止まってしまったら辛いなあと思い、3晩目に虫の息の母に「ばあちゃん、朝までがんばって!」と夜中に何度か声をかけていたが、夜が明けたので「ばあちゃん、もう頑張らんでいいよ」と。そしたら朝10時過ぎに目がカッと開いたかと思うと息が止まり、何度か大きく息をして静かに目を閉じた。ちゃんと私の言う事を聞いてくれたのだ。こうして私の看取りは終わった。
以下は、私が神戸新聞文芸欄に投句した川柳で、掲載された中から母のことを詠んだものだ。( )内はお題。
眠れぬ夜老母の寝息を聞いている(夜)
敵味方だけは嗅ぎ出す母卒寿(敵)
冬越せた老母のセーター押し洗い(洗う)
滑り止めマットの残る廊下かな(廊下)
(元ヘルパーM.K.)
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七草粥の日、それは突然だった。「ばあちゃん、今朝はあまり食べないなあ」と思っていたら、しばらくすると緑がかった茶色い液体を吐いた。 「あっ!また腸閉塞や!」、慌てて吸痰器で口の中の液体を吸い出し、訪問看護師に電話した。
母は昨年11月初めにショート先で同様のことが起こり、嘔吐物の一部が肺に入って誤嚥性肺炎になり、1ヶ月ほど入院した。コロナ禍の影響で面会は全く出来なかった。2週間の絶食、点滴で肺炎と閉塞は治まり、医師に呼ばれた。「口からの摂取を始めるが、できるかどうかはわからない」と。私は「食べれても食べれなくてもうちに連れて帰ります。最期は家で看取ります」と言った。
93歳の母は昨夏の猛暑がこたえ、食べる量が減りかなり痩せてしまい、訪問看護師に時々、点滴してもらっていた。食事はスプーンで与えていたが、なかなか口さえ開けず、やむを得ずエネルギー補充の吸うゼリーの先を口に入れるとむせずに飲み込めたので、その旨を伝え、ナースのアイデアでシリンジ(針無し注射器)で栄養液を飲ませてくれることになった。
その2週間後、12月初めに母はシリンジと共に退院し、自宅のみでの介護が始まった。10月までは週3回のデイサービスに行っていたので、私はその間、筋トレに通ったり、パートでヘルパーとして働いたり、細々と活動したりしていたが、それは出来なくなった。母は1ヶ月ずっと寝たきりだったので手足が固まってしまっていたが、以前から来ていただいていた理学療法士の先生にリハビリでほぐしてもらったり、座る練習をしたりしていた。主治医も在宅診療専門の先生に代え、24時間対応で私には心強かった。訪問看護師に腸や体調管理をしてもらったり、新しく訪問入浴を利用することになり、テキパキと準備され、ゆっくり丁寧にお湯につけてもらい、母は気持ち良さそうにしていた。食事は私がシリンジで栄養液を、時々口を開けた時にはプリンやお正月には白味噌仕立ての餅抜き雑煮も食べさせることができた。正月には孫や妹にも会うことができたし、ひ孫とスマホの画面で顔を見て声も聞けて本当に良かった。その嘔吐の前日までそんな日々だったのだ。
嘔吐後すぐにナースが、翌日にはドクターが来て下さり、「脈も触れないくらい弱く、老衰なのでご本人の負担にならないよう点滴などの処置はせず、自然に任せましょう」とのお話があり、『一両日中』とのこと。覚悟は決めていたが、夜中に私がひとりで看る時に息が止まってしまったら辛いなあと思い、3晩目に虫の息の母に「ばあちゃん、朝までがんばって!」と夜中に何度か声をかけていたが、夜が明けたので「ばあちゃん、もう頑張らんでいいよ」と。そしたら朝10時過ぎに目がカッと開いたかと思うと息が止まり、何度か大きく息をして静かに目を閉じた。ちゃんと私の言う事を聞いてくれたのだ。こうして私の看取りは終わった。
以下は、私が神戸新聞文芸欄に投句した川柳で、掲載された中から母のことを詠んだものだ。( )内はお題。
眠れぬ夜老母の寝息を聞いている(夜)
敵味方だけは嗅ぎ出す母卒寿(敵)
冬越せた老母のセーター押し洗い(洗う)
滑り止めマットの残る廊下かな(廊下)
(元ヘルパーM.K.)