新社会兵庫ナウ

おんなの目(2022年12月14日号) 
私の2022年を振り返る

2022/12/14
 大した変化はないが忙しく、気が付けば師走、というのが例年だ。しかし今年は毎月のカレンダーをめくるに合わせて当面する課題が次々に現れた。時間との勝負も含めて「走った」。
 これは、党の委員長としての振り返りだが、1人の人間としては、もう一度自分の拠って立つところを確認させられた1年だった。
 2月、新社会党大会で夏の参議院選挙の候補者に決定されたのは私の次女だ。党兵庫県本部の専従職員とは言え、かつてのように学生運動や職場の青年運動などを経験し、その能力をかわれて専従者になったわけではない。引きこもる生活を経て、半年間のアルバイトの後、正式採用。県本部の先輩や各総支部の財政担当者の皆さんにゆっくりと付き合ってもらう中で学び育ってきた人間である。
 娘が苦しんでいた10年近くは、親の私自身が「何故、どうして?どうすればいいのか」と自問していたし、カウンセリングに親子共に通い、少しは力が抜けて会話できるようになっても、仕事探しで自己否定する姿を見ていると、無理をさせてはいけないという思いが消えたことはなかった。
 しかし、彼女は党の中期政策論議を通して自分が求めていることがはっきりしたのだろうと思う。普遍的な人間の権利として、①生涯を通じて人間らしく生き続けること、②ひとりひとりを単位とした(社会保障や税制など)制度に改めること、③ひとりひとりは給付を受ける権利において平等であること。この方針を打ち出した党に「お母さん、新社会党をなくしたらあかんよ。ちゃんと頑張って残さないと、若い世代が困る」と言った。
 候補者を引き受けた彼女は「女・シングル それでも生きていける社会、家族単位から個人単位へ」を訴えたが、何故そう思うのかという具体的な訴えは、彼女が20年間抱え込んだ悩み、また、そこから動けるようになった日々の全てだった。嘘がなかった。人間として強くなったと思う。候補者として自分を語る娘を見ながら、私もまた、それまでの20年が「振り返ることが出来る日々」になった。
 当初、懐疑的だった人も含め、スローガンが呼び起こした女性や若者世代に触れて、ジェンダー不平等をそのままにして「人間らしく生きられる」社会はないと考える人が増えてきたことはとてもうれしい。「男社会」の労働運動や党活動の中で感じてきた「積年の鬱憤」とでも言うべき思いを、これからの時代の人に繰り返させない機会にしたいと思う。
 「家族を養う」男性たちにとって、女性は「力がない」「補助的」な存在だった。今に至る家族単位制度を認めてきた背景だ。パワハラやセクハラがはびこる社会の背景でもある。私の活動の原点は、職場の女性差別に直面した当時、目指す方向を教えてくれた憲法の権利条項だった。その憲法が標的にされている。就職氷河期のように泣かされる若者を生む社会を再来させないために生きると確認する1年となった。(岡崎宏美)