- 浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)の碑
(加古郡播磨町)
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播磨町生まれの彦蔵が13歳の時、江戸見物からの帰途、遠州灘で遭難して漂流中、米国船に救われサンフランシスコに着いた。約1年後、他の遭難者と送還船に乗船するが、米国で学びたい思いに駆られ寄港した香港からサンフランシスコに引き返した。 カトリック教徒となり洗礼を受けジョセフ・ヒコとなり、日本人で初めてアメリカに帰化する。
1859(安政6)年の開港の際は、ハリスの通訳として帰国。日米修好条約の締結に奔走した。
1862(文久2)年、再び帰国したヒコは、横浜でこの国最初の新聞『海外新聞』を2年にわたって発行し、貴重な海外のニュースを紹介した。
その後、1875(明治8)年に神戸に移住、中央区中山手通6丁目に居を構え、13年間、製茶貿易や精米業を営んだ。ヒコが住んだ場所はかつて神戸掖済会病院があったところ(現在はマンションになっている)で、玄関わきに「本邦民間新聞創始者ジョセフ・ヒコ氏居址」の碑がある。
写真の碑は、1960年、日米修好150年を記念して阿閉村(現播磨町)が建立した。
【メモ】加古郡播磨町宮北1丁目。播磨小学校内にある。山陽電車播磨町駅から南西へ徒歩5分。
写真:日本人で初めてアメリカに帰化し日米修好条約の締結に奔走したジョゼフ・ヒコの碑は日米修好150年を記念して1960年播磨町に建てられた
2019年8月13日号
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