トロッコ道(朝来市生野町)
 生野・姫路間49qを最短で結ぶ日本初の産業専用道路として馬車道が造られ、生野鉱山や明延鉱山からの鉱石を運び、「銀の馬車道」と親しまれた。1200年余りの歴史を持つ生野銀山は明治元年に政府の直轄となり、最新技術が投入された日本の近代鉱山の第1号。昭和48年に閉山したが、馬車道の始点の生野の町中には近代化に伴う資産があちこちに残っている。
 JR播但線生野駅から東へ5分ほど歩いた市川の右岸沿いに、生野鉱山の鉱石を運搬するために造られたトロッコ道が残っている。銀山湖から流れ出た市川の流れが直角に向きを変えるあたりに魅力的な石積みアーチがあり、その上をトロッコが通っていた軌道が残る。このトロッコ道は、大正9年に金香瀬(かながせ)坑道から旧駅までの電車専用道として建設された。姫宮神社へ架かる橋からの眺めが特に良い。
 このすぐ近くには、播但鉄道の祖・浅田氏の旧邸が口銀谷(くちがなや)銀山ミュージアムセンターとなって公開されている。また、生野鉱山に勤務した日本人官吏のための社宅も4棟残っていて、そこで生まれた、黒澤映画に欠かせない「いぶし銀」の名優志村喬の生家跡が記念館として開放され、「七人の侍」や「生きる」をはじめ夥しい出演映画のポスターや資料などが展示されている。
(嶋谷)
2018年12月11日号