- 史跡 生洲跡(神戸市兵庫区)
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1796(寛政8)年刊行の『摂津名所図会』で、「四方を囲みて、上に雨覆の屋根あり。中に潮水を湛へ、鯛、鱧、鱸(すずき)ほか諸魚多く放ち生けて、つねに貯ふ。これを兵庫の生魚といふ。……往来の旅人、目を悦ばしめ、奇として時をうつす……」などと「兵庫生洲」を絵入りで紹介している。
生洲は長さ13間、幅4間(24m×7m)で、和田岬より西方の漁者は船を生洲に寄せて毎朝のように魚を持ち込んだ。しけや不漁のときには、ここから早馬や早舟にて活け魚を京や大阪に運んだという。
和田岬の東側は、もともと天然の良港として知られた。平安時代(812年)の平清盛による修築や鎌倉時代(1196年)の港の整備を経て、瀬戸内海航路東端の一大港湾・宿場町として栄えた。生洲は、この宿場の魚の供給源であり観光スポットであった。
明治になると遊園地「和楽園」が現在の三菱重工の場所に開園し、1895(明治28)年には、和田岬水族放養場が開設された。これがこの国初の水族館とされるが、その原点が「兵庫生洲」と言えなくもない。
【メモ】神戸市兵庫区今出在家町。市営地下鉄海岸線・中央市場前駅から南へ徒歩6分。南浜公園内。
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