戸田氏鉄顕彰碑(尼崎市)
 昨年、尼崎城天守閣の復元を機に顕彰碑が建立された。顕彰碑の表面には尼崎藩士・岡文彦作の『近世尼崎城』の絵図が描かれている。そのお城を築いたのが、近江の膳所藩から転封、18年にわたって藩政の基礎をつくった戸田氏鉄(うじかね)である。
 尼崎藩の領域は、現在の尼崎市のほか西宮、芦屋、伊丹、神戸の一部におよんだ。尼崎城は一国一城令に基づき、域内の城郭を廃し、尼崎藩の本拠として1618(元和3)年に築かれた。大阪湾に面し、隣接する神崎川や庄下川を濠として取り込んで守りを固めた。海上からだと水に浮かんで見え、その優美な姿から「琴浦城」と称された。
 氏鉄は治水事業にも手腕を発揮した。神崎川の分流である左門殿川の開削や海岸線の護岸などに取り組んだ。左門は氏鉄の官職名で、ほかにも左門橋などの名が残る。
 4層の天守閣は、築城400年の今年夏にも完成の予定。
 ちなみに、最後の城主の桜井忠興は有志と救護団体「博愛社」(のちの日本赤十字社)を結成、自ら戦場に赴き、西南戦争の負傷兵やコレラ患者の救護に当たった。
【メモ】尼崎市北城内。阪神尼崎駅から南東へ徒歩5分。
写真:築城400年の今年の夏に尼崎城の天守閣が復元されるのを機に尼崎城を築いた戸田氏の顕彰碑が昨年建立された