- 賀川豊彦生誕100年記念碑(神戸市中央区)
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碑は人びとが集う家を表している。屋根はクロスして十字架を表し、中央の赤御影石には有名な「死線を越えて我は行く」の言葉が彫られている。
「死線を越えて」の「死線」は、病を克服するだけでなく、貧困や社会悪、権力、戦争、暴力と闘い、これを越えていく決意を示したもの。賀川は、この考えを貫き、労働運動や農民運動、部落解放運動などに生涯を捧げた。
葺合(現中央区)の生田川を拠点に、皮膚病やトラホームに感染しながら奉仕活動に取り組む一方で、1921(大正10)年に起こった川崎・三菱大争議ではストライキの先頭に立ち、労働組合幹部と共に検挙されたこともある。1920年に賀川の指導で誕生した神戸消費組合は、その後の灘神戸生活協同組合(現、生活協同組合コープこうべ)に引継がれている。
敗戦後、日本社会党の結党に向け浅沼稲次郎らとともに奔走するが、1945年11月2日の結党大会で「天皇陛下万歳」三唱の音頭を取ったことで党内の批判を浴び、左右対立を引き起こした。
記念碑から200メートル東に記念館がある。
【メモ】神戸市中央区小野柄通1丁目。生田川と国道2号線が交差する南西角の公園内にある。JR三ノ宮駅南から2号線に沿って東へ徒歩5分。
(鍋島)
今号から新らしいシリーズがスタート
鍋島浩一さん(新社会党県本部副委員長)の手により第318号(2009年1月20日発行)以来、連載を続けてきた「ひょうごミュージアムめぐり」は前々号(第489号)で第100回という節目を迎えたことでひと区切りをつけ終了しました。
今号からは引き続き新シリーズ「ひょうご碑物語」が始まります。これまでと同じく「ひょうご描き歩き」と交互の連載です。投稿、大歓迎です。
2017年4月11日号
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