「新社会兵庫」 1月22日号
命と尊厳が大切にされる新時代創出へ
新社会党兵庫県本部 委員長 粟原富夫(神戸市会議員)
 今年の干支は巳です。私は、年男です。何回目かは想像にお任せします。私は蛇が大の苦手で、子どもの頃、蛇を平気でつかむ同級生を見てびっくりしたものです。その私が巳年なのですから。
 巳の語源は、植物の種子ができはじめる時期を意味します。『漢書 律歴志』では、「止む」の意味の「巳」とし、草木の生長が極限に達して次の生命がつくられ始める時期と解釈しています。つまりは、旧時代から新時代の到来の時期が「巳」年ということになります。
 したがって、晴れやかな年の初めとしたいのですが、政治の状況は護憲派・リベラル派にとって後退の連続です。公約を破り続けた民主党に大きな批判の声が出たのは当然ですが、自民党の大勝には釈然としないものを感じています。前回の選挙で批判された自民党と今回支持された自民党が大きく変化したかと言えば、そうは思えません。国防軍の創設や消費税の増税、憲法の改正などの政策が決して支持されたわけではありません。今後の日本にとって重要な「脱原発」の課題も、争点からぼかされてしまいました。むしろ、政治全体への不信感が、戦後最低レベルの投票率となっているのではないでしょうか。そして、民意を全く反映しない小選挙区制度が自民党を後押ししていることはマスコミも認めるところです。そういう意味では、古い体制がさらに進んで、民主党時代も含め旧体制が極限にまで達したのかもしれません。
 さて、昨年を象徴した漢字一文字は「金」だそうです。オリンピックでの金メダルや山中教授のノーベル賞の金字塔、暗い経済から明るさへの象徴が「金」という意味もあるようです。しかし、社会風刺の要素はどこにもなく、少しがっかりしました。私が選ぶならば「脱」です。「脱原発」であり、「不況」からの脱出、「非正規雇用」からの脱出、「貧困」からの脱出です。まさに、拝金に象徴される古い体制から脱皮し、人間の命はもちろん、尊厳が大切にされる新しい時代の創出の年にしたいものです。2013年を象徴する漢字一文字が期待の「金」でなく、やり遂げた「脱」になるよう頑張ります。
 そして、新社会党が若者を結集できる魅力ある党になるよう、「巳年」、大きく脱皮しようではありませんか。新社会党兵庫県本部、巳年の委員長が先頭に立ちます。
写真:オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件糾弾!を訴え、沖縄・宜野湾市では県内外から約3千人が集まって「怒りの御万人(うまんちゅ)大行動」が取り組まれた=12年12月23日、宜野湾市
神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑 刻銘碑設置へ
神戸空襲を記録する会代表 中田 政子さん
 神戸空襲を記録する会(中田政子代表)が取り組んできた、神戸空襲による犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑の設置が今年の夏、実を結ぼうとしている。今年5月下旬にも着工され、8月中旬には完成の予定だ。設置場所は、神戸市から土地の提供を受けた大倉山公園(神戸市中央区楠町7、神戸市営地下鉄・西神山手線「大倉山」駅北)の一角。

 太平洋戦争の末期、幾度にもわたる神戸空襲によって8千人を超える人々のいのちが奪われ、神戸市内全域が焼け野原になったが、こうした歴史の事実を記録し、後世に伝えるためのモニュメントとして、碑には「神戸空襲を忘れない―いのちと平和の碑―」と刻まれる。すでに碑のデザインは決まり、碑文も建設準備会のメンバーによって推敲が重ねられ、いま確定に向けた詰めの段階に入っている。

 戦後68年目にしてようやく実現する刻銘碑について、神戸空襲を記録する会の中田政子代表にお話を伺った。
 中田さんの母は兵庫区(当時は林田区)で1945年3月17日の大空襲に遭った。全身に大火傷を負い奇跡的に命は助かったが、背負っていた1歳10カ月の長女は爆風で吹き飛ばされ、遺体は見つからなかった。そのとき母の胎内にいた政子さんが、姉は自分の身代わりのように亡くなったという思いを持ちつつ、神戸空襲を記録する会の活動に携わっていた母が亡くなったあとも活動を引き継ぎ、1997年からは3代目の代表を務めている。
―刻銘碑の建立を思い立ったのは?
 「会の発足から5年目の1975年、市民からの100円募金で薬仙寺(兵庫区)に慰霊碑を建設したとき、亡くなった方のお名前の登録を呼びかけた。3年ほど続けたが、行政の協力もなく会の態勢も不十分で一度は頓挫した。
 その後、『空襲・戦災を記録する会全国連絡会議』で、福井の会が慰霊祭のときに空襲で亡くなった方全員のお名前を読み上げているという話を聞いて、なんの補償もなく亡くなっていった方々のせめてお名前を残したいということを改めて強く思うようになった。ただ、明確なすべがなくどうしようかと考えていた空襲から60年の2005年、1週間にわたる写真展を開いたとき、そこを連絡場所にしてお名前を届けてもらおうと本格的な呼びかけを始めた。
 行政に協力を働きかけても扉は堅かったが、2010年、ようやく神戸市も名簿編さんとモニュメント建設に協力してくれることが決まった」
―いま、何人ほどの名簿に?
 「1600人以上になっている。簡単には増えないが、碑には8千人の名前のスペースをとり、名前が分からない方々のことは空間で伝えたいと考えている。これだけ多くの犠牲者のお名前が分からないほど悲惨な戦争だったことを子どもたちがその空間から感じ取ってもらえたらと思う」。
―碑文のまとめもたいへんな作業では?
 「第2次世界大戦、アジア太平洋戦争……、戦争の呼び名ひとつで議論になる。また、実際に行なわれた機雷封鎖や模擬原爆などの言葉も盛り込む予定だが、あまりなじみのない言葉も子どもたちがどんなものかと調べるきっかけになってくれたら、という思いもある」
 中田さんは、碑の建立にあたって、名簿整理などの傍ら、行政との折衝など、「こんなことも」とこれまでになかった活動の経験も重ねた。
 このほかにも、神戸空襲を記録する会が毎年、薬仙寺で開催する3月17日の合同慰霊祭(すでに41回)、1999年から始めた年1回の戦跡ウォーク、空襲体験者とともに小・中学校などを回る「空襲についてお話する会」の取り組みなど、これまでもたいへん多忙な活動ぶり。そのうえ、いま、戦争の悲惨さを伝え平和を誓うモニュメントの建設をひとつの足がかりに、将来どんなことをすべきかということにも思いは広がり、その考えをめぐらせている。
 神戸空襲を記録する会では、建設基金として600万円を目標に、募金を呼びかけている。建設募金は、郵便振替にて。郵便振替口座=00920−3−154884(神戸空襲を記録する会)。

【神戸空襲】1945年、米軍による神戸への空襲が数十回にわたって行なわれ、神戸の街は焦土と化した。死者数は8千人を超えると言われるが、公式的な記録はない(「復興誌」では7423人)。神戸空襲を記録する会では、兵庫区の一部に試験的に焼夷弾を落とした2月4日の空襲、3月17日の東京、名古屋、大阪と続いた夜間大空襲、川西航空機甲南工場をねらった5月11日の爆弾攻撃、神戸市東部を襲った6月5日の空襲を大空襲としている。
戦跡伝える「平和マップ」
神戸平和マップをつくる会 小城 智子さん
 神戸空襲の傷跡や戦争犠牲者の慰霊碑など、地域に残る戦跡≠マップにし、戦争と平和を考えるための学習などに活用してもらおうと、平和教育に熱心にとりくんできた元小学校教員の小城(こじょう)智子さん(神戸市長田区)が「平和マップ」をつくった。これまで兵庫区版と長田区版(それぞれ南部と北部の2冊セット)ができあがり、いま、中央区版と須磨区版の仕上げに取りかかっている。今後、市内全区のものをつくっていきたいと意欲的に活動を進める小城智子さんに、「平和マップ」にかける思いを聞いた。
 ―つくろうと思ったのはいつ頃から?
 「やろうと決心したのは2年前。これまでも学校の平和教育のなかで、神戸空襲を記録する会の中田政子さんらにも来てもらって空襲のお話を聞かせてもらっていたが、現地だともっと実感を持って聞けるのではと思っていた。ちょうど学校で兵庫区の『歴史ウォーク』を取り組むとき、空襲跡が残っている場所の写真も入れて地図に示し、歩いてもらうようにしたら、生徒や保護者たちにも「これはいい」と好評だった。その後もウォークの手伝いをつづけ、労働組合の教研集会でも報告させてもらったが、こういうものをちゃんとつくれば、どこの学校でも取り組めると思い、退職したらマップづくりをしようと決めた」
 ―それで退職後、早速に取り組んだ?
 「昨年4月に定年退職してからまず図書館通いを始め、神戸空襲や外国人強制連行などの研究書や体験記にあたったり、実際に体験者のお話なども聞かせてもらったりして資料の整理に努めた。それまでも資料はある程度集めていたが、退職後は本格的に地域を回り、仲間にも手伝ってもらいながら関係場所の写真を撮ったり、関係者のお話などを聞いて回った」
―やってみてどんな苦労が?
 「本には書いてあっても、住所が不明確だったり、目当ての建物がなかったりとか、現場が分からないことが結構ある。とくに一般の建物はほとんど残っていない。近所の方に聞いてもまったく分からなかったり、よく知っている方がもう亡くなっていたりとか、始めるのが10年遅かったと感じる」
―どのような活用を考えている?
 「各2千部の発行だが、神戸市内の小・中学校、高校に見本を送る。とくに学校の先生に平和教育に使ってほしい。高校生や一般の方には自分で歩いて訪ねてほしい」
 マップの兵庫区版では南部、北部あわせて19箇所、長田区は南部と北部で15箇所の戦跡を紹介している。マップはA3サイズ。写真や体験談なども掲載している。
 一般には2部セットで500円で送るが、カンパを募っている。郵便振替口座=00930−4−145024(神戸平和マップをつくる会)
労働大学副学長 今村 稔

 自民党の不思議な勝ちと反省迫られる護憲派
 プロ野球の名監督と謳われた野村克也氏は、試合後のコメントとしてしばしば「負けに不思議な負けなし、勝ちに不思議な勝ちあり」とボヤいていた。昨年末の総選挙で言えば、民主党の惨敗はなんの不思議もない負けであり、自民党の勝ちは、たとえマスコミが「圧勝」とはやしたてていようとも、不思議な勝ちであった。
 得票率(比例区)をみてもあきらかなように、自民党のそれは大惨敗であった3年前と今回とでは、さしたる増加がないにもかかわらず、倍以上の議席を獲得している。マスコミの調査によると、自民党に投票した人の動機の内訳は、政策の支持7%、民主党への失望81%であるという。民主党の呆れるほどのエラー続出で、自民党はヒットも打点もなしで大量得点を重ねた。政党の数がかつてないほどに多く、賑やかであるはずにもかかわらず、投票率は10%近くダウンし戦後最低であった。大衆が奏でた選挙の基本的な曲調は、3年前の前回の「期待」とは一転して「失望」であった。
 大衆の主体性、積極性の著しい後退と裏腹に、風船を抱えたような自民党の不思議な勝利であった。民主党への失望がもたらした票の分け前には、みんなの党、維新の会、公明党などがあずかったが、騒がしくなった改憲攻勢に抗する勢力は、この票をまったく吸収できなかった。これは眼を離すことのできない、胸をえぐるほどの反省をわれわれに迫る事象である。
 大衆運動の組織化、追求の鬼になろう
 いままでの例では、選挙においてある勢力が著しい勝利を収めた場合、とくに反動色の強い保守勢力が勝利を収めた場合、彼らは大衆を惹きつける力を強め、大衆もまたその線に沿って活発化する兆しを見せたものであった。しかし、今回は大衆と自民党の間にそのような兆しはいまだに見られない。自民党に投票した大衆、自民党の勝利をつくりだしてしまった大衆は、いまだに自民党を支持する大衆、気持に変化をきたし始めた大衆にはなっていない。参院選挙が迫っていることもあり、自民党もそのギャップを埋めようと「景気回復」「雇用増大」などをうたう経済政策をはじめ攻勢を展開してくるであろう。領土、改憲、教育などを通じてナショナリズムや国家主義のアピールを強め、国民への働きかけを強めてくるであろう。
 しかし、自民党や安倍政権は、3年前に大勝し政権を獲得した民主党がアメリカや財界の全面的信頼を得られなかったために躓いたことを学んでいる。原発容認やTPPなど、陰に陽にその筋の意向は全面的に受け入れるシフトを布いている。自民党・安倍政権の国民への働きかけは、さまざまな所で矛盾点、脆弱点を抱えている。われわれが大衆的な働きかけと力で、安倍政権の欺瞞的なアピールを突き崩し、大衆を安倍政権の手に委ねることのないよう努めなければならない。本当には大衆の支持を得ていないにもかかわらず、大衆の支持に後押しされているかのような安倍政権の虚像を、いつまでも虚像にとどめておかなければならない。
 たとえば、日銀を抑えつけても景気回復をはかる強い安倍政権ということさらの演出に対して、われわれは生活擁護改善の大衆運動を真剣に対置していかなければならない。賃上げ要求は当然である。2%のインフレターゲットを設けてのデフレ脱却をすすめようとする安倍政権に対して、財界はその甘い汁をわがものに独占しようとして歓迎しながらも、労働者の賃上げ要求には応じないと強調している。雇用の拡大といっても、資本家の姿勢を見ればそれは不安定雇用の拡大であり、貧富の格差と貧困化を促進するものになることは必定である。デフレ脱却を考えるならば、まず賃上げ等を含む国民の生活の改善・向上をわれわれは突きつきていかなければならない。
 安倍政権の推しすすめようとする政策のひとつひとつの中に、大衆闘争にしなければならない因子が包含されることに注意し、大衆闘争の組織、追求の鬼とならなければならない。
 安倍政権に対する、大衆の惹きつけあいこそ、いまわれわれが当面する課題である。
 真剣な共同と統一戦線づくりの努力を
 民主党に対する幻滅から生じた票を、われわれ護憲派は吸収することができなかった。なぜか?言い過ぎを恐れずに言うならば、護憲派、護憲各派の力に対する大衆の不信である。われわれは、われわれを信頼してくれという前に、われわれが信頼されるに足る勢力であることを大衆に示さなければならない。各党派がバラバラであり、大きな勢力にまとまる努力をしていない、ということほど大衆にとっての不信の種子はないであろう。
 各党派が独自の将来目標や主体性を持つことは当然であり、敬意が払われるべきことであろう。しかし、主体性や将来目標がしっかりとわがものになればなるほど、当面のなすべきことが明確になり、具体的になるはずである。共同し、統一戦線をめざす意識がバラバラであり、鮮明化しないということは、将来目標が唱えるだけのお題目に堕していることを意味しないだろうか。
 統一戦線づくりの努力をしない勢力を、大衆は信頼しないであろう。
躍進、後退…注目の今秋の連邦議会選挙
小林 省三(灘総支部)
自衛隊を災害救助隊に改組すべきだ
昨年9月19、20日の2日間、新社会党有志代表団(11人)の一員としてベルリンを訪問、ドイツ左翼党との交流を行なった。交流の中心は、左翼党の綱領策定にあたっての議論や、党内諸潮流との話し合いだったが、ここでは、ベルント・イーメ博士(党綱領と選挙戦略の策定担当)の基本講演から左翼党の当面する課題について紹介したい。また、質疑応答についても一部紹介する。今秋にはドイツ連邦議会選挙があり、ドイツ左翼党が停滞から反転攻勢に転ずることができるか大きな節目の年として注目される。

 以下は、イーメ博士の講演の要約である。

 各政党の現勢
 まず、選挙戦略について述べる。どの政党も単独では過半数に満たないし、キリスト教民主同盟と自由民主党の連立も50%にならない。社会民主党と緑の党の連立でもだめで、社会民主党、緑の党、左翼党連立も同様である。社会民主党、緑の党は左翼党との連立を拒否している。大連立(キリスト教民主同盟と社会民主党の連立)が最悪の選択で、ドイツの発展にはつながらない。左翼党は社会民主党、緑の党に課題別の連立を求めている。
 左翼党は、2009年には11%の支持率だったが、現状は6〜8%と当時ほど強力ではない。
 ノルトライン・ヴェストファーレン州での敗北
 第2に、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州議会選挙の経験を述べる。先の選挙(2012年5月、得票率2・5%で「5%条項」クリアをできず=5%以上の得票率がないと議席を確保できない)で敗北し、議席を失う結果となった。
 この州では2009年、2010年に左翼党は躍進した。SPD の新自由主義的なアジェンダ政策に反発した組合員がSPDでなく左翼党を支持した。さらにSPDの左派と低賃金層、失業者、不安定雇用層などが左翼党の社会政策に期待したので成果を上げることができた。同じように左翼的中間層の支持も得た。
 この間、SPDは政策を転換し、失業問題、不安定就労問題、最低賃金制度や富裕層課税強化など左翼党の綱領的要求を取り入れ、SPDの社会的側面が強化された。
 一方、左翼党は力不足で目標を根付かせ実行することができず、有権者の幻滅からSPDに回帰したり棄権に回った。彼らはSPDを承認したのではなく、左翼党よりSPDが利益を実行してくれると思ったのだ。
写真:イーメ博士(右端)の講演を聞く新社会党有志交流団
 欧州金融危機への対応
 第3に、欧州金融危機について左翼党は危機の原因、この危機の中で銀行がどういう行動をしたのかを明らかにし、金融危機と体制の危機の関係について明らかにした。左翼党は確かに正しく危機の原因を明らかにしたが、多くの人は金融危機の現象は見えても、その関連が理解できず、メルケル首相が他国よりうまく解決してくれると幻想を持っていた。自分の仕事、年金、貯金、子どもの教育がどうなるのか、という人々の抱える不安にもとづいて左翼党は働きかけ、応えることができなかった。
 今日の条件のもとでどんな変革が可能なのかを左翼党は示せなかった。次の選挙では人々が抱えている問題について具体的に働きかけなければならない。
 党派間対立の失敗
 4番目に、ノルトライン・ヴェストファーレン州では左翼党は誤りを犯した。州議会や市町村議会の左翼党フラクションの中で党派間の対立があり、喧嘩が行われた。有権者にどう働きかけるかで意見の一致を見ず、自爆してしまった。メディアは、市町村レベルで意見が一致しないのにどうして全国レベルで一致できるのかと宣伝した。
 新しい通信技術、生活様式への対応
 5番目に、党綱領は新しい通信技術の問題を取り上げている。これは新しい価値観、生活様式をもたらしている。昔とは全く違った状態で、この新しい生活様式に順応しなければ選挙民、とくに若年層を獲得することはできないだろう。
 選挙民への働きかけ方
 6番目は話しかける言葉の問題である。選挙民に働きかける言葉だ。階級闘争のスローガンを述べるだけでは不十分で、選挙民を獲得することはできない。とくに西側では「反社会主義・反共主義」が強く、抑制的で引いてしまう。「共産主義へ」だけでは反感を持たれる。社会主義の概念も新しいコミュニケーション方法や言葉と結びつけないと選挙民を獲得することは難しい。
写真:交流会場の左翼党本部「カール・リープネヒト・ハウス」

 《質疑応答より》
 党内潮流について
 問=潮流の規約上の扱い、潮流の権限、代議員権はどうか。潮流の下部組織はあるのか。
 答=党規約に潮流のことは規定がある。潮流はスポークスマンを通してその考えを発表するが独自の基本組織を持っていない。例えば「社会主義左翼」という潮流は、集まって討論し公に見解を発表するが、独自の下部組織は持っていない。党の幹部会や大会など中央、地方の諸機関で見解を表明する。それは党規約で保障されている。潮流の会議や行事に対する財政的な支援もある。
 5%条項について
 問=「5%条項」をどう見るか。
 答=小党乱立から連立政治の不安定を生んだワイマール時代の反省から導入された。憲法規定だから望んでも簡単には変えられない。我々には大きな障害で、5%を超えることは非常に重要な挑戦だ。単独では5%条項は越えられない。労働組合や社会団体とも協力しなければならないし、社会主義を望まない人たちにも彼らの利益に働きかけないと支持を得ることはできない。5%条項を越えないと、議会に議席がないと、我々の考えをメデイアは伝えないし有権者との対話もできない。
【ドイツ左翼党(Die Linke)】
 ドイツ左翼党は、民主社会主義党(PDS)と「労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ」(WASG)の2つの党が合同して2007年6月に結成された党。PDSは旧東独政権党SED(社会主義統一党)党員250万人のうち6万人がその後継政党として結成した党で、WASGは、シュレーダー社民党・緑の党(赤緑)連立政権(1998〜2005年)が遂行した新自由主義政策や連邦軍によるユーゴ空爆に反発して大量に離党した旧社民党員とその他の左派諸勢力が旧西独地域で結成した党。
 結成後は躍進を続け、2009年の連邦議会選挙では、緑の党を上回る11・9%の得票率と76議席を獲得、EU議会にも8議席を得て5党体制の一角を占めた。だが、2011年から党勢に陰りが生まれ、党員の減少が続く一方、昨年5月のノルトライン・ヴェストファーレン州(人口1800万人のドイツ最大州)議会選挙で前回得票(5・6%)を半減させ、議席を一挙に失うという大敗北を喫した。
 左翼党を支える組織上の柱は「複数主義と透明性」。左翼党には10を越える潮流があり、規約上も公認されている。人数が250人を超えると代議員権が与えられ、活動・企画に対して党からの資金援助もある。
武庫川ユニオンが通算20回目のフェスタ
 武庫川ユニオン恒例の「レイバーフェスタ2012」が昨年12月23日、尼崎労働福祉会館で開かれた。「国際交流フェスタ」から「レイバーフェスタ」に衣替えして4回目で、通算20回目。労働福祉会館での開催は、尼崎市が同会館を今年3月末日で廃止することを決定しているので、このままでは最後となる。
 参加者数はやや少なめの約80人だったものの、イベント企画は盛りだくさん。会館廃止反対運動を一緒に闘っているギター教室の先生のギター演奏から始まり、飯田実行委員長の開会あいさつと上山史代委員長の発声による乾杯のあとはユニオン合唱団「MKG3070」の歌。今回は踊りも披露して新境地を見せた。
 その後、昨年のフェスタの頃に結成した重里学園分会が団体交渉で解雇撤回を勝ち取った報告、昨年秋に結成した西宮食糧分会の、結成後の若干のトラブルを乗り越え前進を図ったという報告が続き、日本郵便非正規ユニオンの福本委員長から自分に対する不当なスキル評価に対して裁判で闘うという決意が語られた。
 その後も各分会によるクイズ、河内音頭、フォークダンスでも大いに盛り上がった。脱原発部会は昨年に引き続き映像で、原発ではなく再生可能エネルギーが広がっている取り組みを紹介。郵政部会による劇では、朝礼での軍隊ばりの交通安全唱和の実態や年賀ハガキの販売での悲喜劇などが表現された。フェスタの最後には、労働福祉会館の受付業務の2人の労働者がプロなみの歌を披露、最後は全員で「つぶすな労館」を合唱してフェスタを終えた。
(K)
写真:尼崎市による労働福祉会館廃止の方針のため20年続いた同会館では最後の開催となったレイバーフェスタ2012=12年12月23日、尼崎市
広がる震災石綿禍に十分な対策を
 阪神・淡路大震災から18年が経ったいま、私たちが恐れていた通り、阪神・淡路大震災の際のアスベスト(石綿)被害が相次いで現れ始めた。倒壊建物の解体作業に携わった労働者が中皮腫を発症し、08年に初めて労災認定されたが、昨年5月、がれき収集作業を行なった明石市職員が中皮腫と診断された。8月には、わずか2カ月間解体作業に携り一昨年に死亡した宝塚市の男性が中皮腫で労災認定されたことが、さらに、3年近くがれき処理に関わり中皮腫で一昨年死亡した男性も昨年、労災認定されていたことが明らかになった。十数年から40年の潜伏期間を経て発症するアスベスト被害は今後、数多く発症する可能性が高まっている。震災時のがれき処理や解体作業の従事者だけでなく、一般市民も含めた健診体制の強化など、行政の早急で積極的な対応・対策が求められている。
 また、県や各自治体が20年契約で民間から借り上げた、6千戸を超える復興公営住宅の問題がある。契約期限切れが15年から始まる中、行政は被災者の声も十分に聞かないまま住み替えを迫ってきた。災害復興住宅の高齢化率は約5割、単身高齢者の割合も4割を超え、高齢被災者の孤立化が進むなか、多くが終の棲家として入居し、このまま住み続けたいと希望している。その希望者には、契約延長などあらゆる手段を尽くして居住継続できるようにすべきである。
 さらに、復興市街地再開発事業でも問題が浮き彫りになっている。新長田南地区では、再開発ビルの売却は半分以下にとどまり300億円以上の債務を抱える。また、市が採用したビル管理方式をめぐり、被災者店舗と第3セクターとの間で混乱が生じる事態になっており、再開発事業のあり方が問われている。
 いまだ多くの被害をもたらし続けている原発災害は、原発と人類は共存できないことを示した。今こそ原発に頼らない社会・経済構造の実現が求められている。また、阪神・淡路大震災の教訓や運動をもとにつくられた「被災者生活再建支援法」は、対象者は全壊・大規模半壊のみで、半壊以下世帯の救済は盛り込まれていない。適用基準や支給金額の見直しは今後の大きな課題として残されている。
 海外にも緊急展開できる大規模・総合的な消防・救助能力を持つ、非軍事の「災害救助隊」の創設も必要である。
 新社会党は、今後も被災者の立場に立った震災復興の再検証を市民とともに進め、脱原発社会の実現、くらしや生活の再生をめざして全力で奮闘する決意である。
2013年1月17日
新社会党兵庫県本部
ご支援・ご協力に感謝します
 本紙は、2013年の新年号という節目の号で第400号を迎えました。
 第1号は、新社会党兵庫県本部の前進である「護憲社会党」(日本社会党兵庫県本部再建準備会)の機関紙として発行された『しんぶん護憲』でした。その後、1996年の新社会党の結党、同兵庫県本部の発足とともに同年4月、『新社会兵庫』と改題し今日に至っています。
 これもひとえに読者の皆様、党員の方々の御支援・ご協力の賜物だと心から感謝を申し上げます。
 ただ近年、経営的には大変厳しい状況が続いており、ぜひ読者の拡大にもご協力いただきますようお願いを致します。
 400号に際し、いつも感想などを寄せていただき、激励をいただいている前川協子さんからお手紙を頂戴しましたので、ここにご紹介させていただきます。
【『新社会兵庫』編集部】

オアシスからの前進を
 鳩のシンボルマークを掲げた『新社会兵庫』さん、第400号の発行おめでとうございます。
 阪神・淡路大震災に続く東日本大震災や長引く社会不安、そして残念な年末の国政選挙結果に悄然となっていた私ですが、羽ばたく鳩の健気さに、「やはりこれは、『新社会』さんにもう一ふんばりしていただかねば……」と思い始めているところです。
 昨年末の西宮で開かれた西日本ブロック大衆運動交流会≠ナは、西谷さんの気概溢れる講演や「福島原発事故の責任を問う」原告代表・國分さんの健気な報告に、人道的な絆や学びの大切さを自覚し、それは日頃から『新社会兵庫』さんを貫く「真」と「信」の精神と同一のものであると確信しました。
 よって、これからは志を一にする有為な方達の協力を得て、『新社会』さんが民衆のオアシスにとどまらず、封建時代の一揆を見習った「民衆一揆」を先導してくださるようお願い致します。
前川 協子(西宮市在住)