「新社会兵庫」 10月23日号
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解雇撤回闘争を闘い続ける2つの労働組合の支援をさらに強めようと、9月29日と10月5日、抗議集会と支援する会の総会がそれぞれに持たれた。全港湾神戸支部姫路伊藤分会とあかし地域ユニオン東亜外業分会の闘いだ。いずれも劣悪な労働環境を改善しようと労働組合を結成するや明らかに労働組合つぶしをねらった会社の偽装解散・組合員全員解雇や工場休止・「整理解雇」などの不当な攻撃を受け、いまは裁判闘争の最中。ともに多くの支援の仲間がかけつけるなか、当該の分会からは「不当な解雇は絶対に許さない」「勝利の日まで闘い続ける」と力強い決意が発せられた。
- 解雇から3年の抗議行動 全港湾神戸支部姫路伊藤分会
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2009年9月30日の(株)伊藤運輸による偽装解散、不当解雇から3年が経つ9月29日、全港湾神戸支部は姫路伊藤分会の闘争支援を強めようと姫路市内で抗議行動を展開した。
抗議先の会社会長、社長宅からは川を挟んで目と鼻の先にある公園で開かれた抗議集会には、闘争を支援する全港湾関西地本の各支部や四国地本代表をはじめ、ひょうごユニオンに結集する各地域ユニオンや地区労など約90人が参加。
集会では、末廣・全港湾神戸支部委員長のあいさつのあと、無念にも闘争の渦中で今年9月20日に闘病のすえ亡くなった分会員を悼む黙とうが行われた。続いて宇野・神戸支部書記長が闘争の現状報告を行ない、支援の仲間からはつぎつぎと連帯と激励のあいさつが贈られた。集会の最後に、姫路伊藤分会の5人の組合員がそろって前に立ち、それぞれの近況報告や決意が述べられた。高M分会長は「解雇からまる3年経ったが、3年は本当に長い。ときどき落ち込むときもあるが、みんなのところに出ていくと元気になれる。絶対にこの闘いに勝つ」と決意表明、11月21日に開かれる裁判期日(午後1時15分、神戸地裁姫路支部)の証人尋問への支援傍聴を要請した。
集会後は、組合旗を林立させて、会長や社長の自宅前を通るコースをデモ行進。「組合つぶしをやめろ」「職場に戻せ」などと怒りのシュプレヒコールで気勢を上げた。
偽装解散した(株) 伊藤運輸は(株)伊藤興業の荷物を運搬していたが、2010年3月に伊藤運輸、伊藤興業の創業者が創立した(株)イトウメタルに、いまは伊藤興業の事業が譲渡されている。役員、従業員もイトウメタルに移っているのに、会社はその関係性を明らかにしようとせず、雇用責任逃れに終始している。
写真:会社、社長宅の周辺を怒りのシュプレヒコールでデモ行進する集会参加者=9月29日、姫路市
- あかし地域ユニオン東亜外業分会
幹部社員の人権無視やパワハラ、差別がまかり通る職場だった東亜外業(株)東播工場で労働組合を結成して、交渉によって職場を変えようとしていた矢先、組合を嫌悪する会社から工場休止を理由に解雇されたあかし地域ユニオン東亜外業分会の仲間を支えようと結成された「東亜外業の仲間を支援する会」の第2回総会が10月25日、明石市産業交流センターで開かれた。
開場前から続々と仲間が集まり、予定していた会場の隣のとの間仕切りを急きょ取り払って広くしたところにほぼ満席の参加状況となった。
冒頭、闘いの足取りが映像で紹介された。1年前の東播工場への抗議行動に韓国民主労総の訪日団が交流し、共に会社になだれ込んだ映像も写されたりしてこの1年の闘いへの思いをそれぞれに感じていた。
岡ア進「支援する会」会長のあいさつに続き、永井俊作・明石市議は、「資本への許せない思い、怒り、労働者の連帯を発信する総会だ」と位置づけた。
進行中の裁判の代理人である上原康夫弁護士からは、「この解雇は組合員をねらった解雇であり、それは不当労働行為である。仮処分では整理解雇の4要件のうち人員削減の必要性以外は認められないとして『解雇は無効だ』とする決定が出たが、本訴の判決では不当労働行為での解雇無効の判断を裁判官にさせるような最終陳述書を書きたい」と決意が述べられた。
最後に、分会組合員一人ひとりが、仲間への感謝とこれからの闘いに対する決意を述べ、最年少組合員の久保さんの発声で「団結がんばろう」を行ない閉会した。
(I)
写真:分会組合員ひとりひとりがこれからの決意を述べた第2回総会=10月5日、明石市
- 「さようなら原発・兵庫」がフィールドワーク
小浜市とおおい町へ -
「さようなら原発・兵庫」(さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会)は10月6、7日の2日間、若狭湾の「原発銀座」における反原発運動に学び交流しようとフィールドワークを行なった。
21人の参加者がマイクロバス1台で先ず向かった先は福井県小浜市。国宝・明通寺を訪ね、「原発に反対する福井県民会議」の代表委員も務める中島哲演住職のお話を聴いた。中島住職は若狭の「原発銀座」化の歴史に触れながら、大飯原発3、4号機の再稼働を許してしまった構造的な問題について言及し、「安全神話」と「必要神話」の上に約40年にわたって若狭には「ミニ原子力ムラ」が形成されていること、それに関西広域連合、野田政権、「巨大な原子力ムラ」が一体で加わり、「見切り発車」が強行されたと指摘。また、福島原発事故後は、従来の「立地地元」だけでなく、「被害地元」「大電力消費圏としての地元」の概念が大きな役割を果たしていると提起し、関西での運動の強化を促した。また、原発に頼らない地域再生をめざした政策的取り組みなども紹介された。
その後、一行は大飯原発(おおい町)が望める小浜市の泊地区の海岸まで移動、潜むように対岸の湾内に立地する大飯原発1、2号機を眺めた。
2日目は、おおい町で宮崎宗真・西方寺住職から大飯原発再稼働をめぐる動きの経緯や活断層の調査問題など現今の課題についての報告を受けるとともに、おおい町の産業構造や原発立地ゆえの交付金に頼る町の主要施策などの説明も受けた。おおい町で公然と反原発運動をしているのはただ1人の反対派町議のほかはお連れ合いの副住職との2人だけだそうだ。それでも再稼働の住民説明会では反対意見を述べたり、再稼働阻止のテント村を人に知られないように支援する人も出てきたりしたが、再稼働が強行されるや、また原発問題では「無風」の町になっている現状が述べられた。
写真:小浜市での原発建設を阻止した中島哲演住職から原発闘争の課題などについて聞いた=10月6日、福井県小浜市
- 農問懇、I女性会議、ぴぃぷるが主催
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原発事故による放射能汚染で食糧の安全確保が大きな関心事になっている。また、国内農業は高齢化と後継者不足、TPP参加問題などに見られるように、将来への懸念が広がっている。
そうしたなか、「『食』と『農』を考える兵庫のつどい」が9月29日、神戸市内で開かれ、農業の現状とこれからのあり方などを交流した。兵庫県農業問題懇話会、I女性会議ひょうご、(有)ぴぃぷるの3者による実行委員会が主催したもので、約50人が参加した。
鳴海妥医師(ろっこう医療生協)の講演や篠山市の阪東農場からの現状報告のほか、ぴぃぷる取扱商品や阪東農場から持参された黒豆枝豆などの試食なども行われた。
「健康づくりと食」と題した鳴海医師の講演では、当たり前のはずの食の安心・安全が、そうでなくなっていることや国内農業が危機に瀕していることを踏まえ、戦後の食と農の変遷について振り返った。工場製品は輸出、農産物は輸入という貿易構造が作られた(農産物の自由化拡大)ことやスーパーマーケットや外食産業の広がりによる大量生産、流通、周年供給の拡大などが、今日の農業・農村の疲弊に繋がったと指摘、大資本最優先の政策が「自給率の低下と農業就業人口の減少をもたらした」と結論づけた。
農業だけで生きていくことを決意した後継者とともに米や黒豆の販路拡大などに取り組んでいる阪東さんからは、50戸の集落のうち14戸が農業だが、70〜80歳がその中心で、このままでは数年のうちに集落そのものが崩壊しかねない現状であることが報告された。そうしたなか、たくさんの応援者の力も借りながら「安心・安全でゆかいな農業をめざす」との決意が語られた。
最後に、阪東農場の新米のおにぎりと黒豆の枝豆、みそ汁、天理の刀根柿などを囲んでの試食と交流が行われた。
(N)
写真:ろっこう医療生協の鳴海渉る妥医師が「健康づくりと食」と題して講演=9月29日、神戸市
- 憲法を生かす会・兵庫
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秋を迎え、「憲法を生かす会・兵庫」は今年の春に続いて9月23日、「史跡めぐりウォーク」を神戸市兵庫区内で行った。参加者は14人。
今回は兵庫区の南部を中心に散策。まず神戸空襲時に亡くなった郵政(現NTT)の女性を偲ぶ碑がある柳原天神社へ。それから、高さ18メートル、重量60トンの兵庫大仏(日本三大大仏)がある能福寺、柳原天神、清盛塚、さらには真光寺、後白河法皇が幽閉されたとされる薬仙寺など、平清盛ゆかりのスポットをめぐる約3キロの道のりを歩いた。「KOBE de 清盛」の歴史館以外は、どの神社・仏閣も閑散としていた。
来春も花見時に実施することを確認して解散した。(K)
- 敗戦が日本の「領土問題」の出発点
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浦部法穂さん(憲法学者、神戸大学名誉教授)が「憲法を生かす北区の会」総会(9月2日)で行った記念講演の要旨。前号からのつづき。
【見出し、文責は編集部】
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敗戦が領土問題の原点
日本の領土問題の「出発点」は何か。それは「戦争に負けた」ということだ。戦争に負けて日本は領土を失った。カイロ宣言で、日本の領土は、北海道、本州、四国、九州、およびそれらに属する、連合国が指定する島に限定され、決定された。それを日本が受け入れて降伏したのだから、日本の領土問題の原点はそこにある。
戦争で負けて失った土地について「固有の領土」だと言ってみても、所詮は通用しない話だ。
たしかに「北方領土」や「竹島」は、戦争で「失った領土」に含まれるのかどうかについては争う余地はあるにはある。尖閣諸島もそうだ。尖閣諸島についていえば、アメリカが日本を占領統治するとき、沖縄の直接統治に絡んで尖閣諸島までを含めて占領の対象にして軍政府の支配を打ち立てたといういきさつがあって、尖閣諸島は台湾からは切り離されて沖縄に入れられた。その後、サンフランシスコ平和条約の締結によってその扱いがあいまいになっているというところで尖閣諸島は失った領土に入るか入らないのか、争いのあるところだ。しかし、問題の原点は戦争に負けたということにある。それを忘れてはならない。
敗戦以前の歴史的ないきさつを持ち出してあれこれ言うことは、戦争に負けたことによって失った土地を取り返そうという主張をしているのにほかならない。
ドイツの「領土問題」
このことは、たとえばドイツのことを考えてみるとよく分かる。
ドイツという国は、そもそも昔からはなかった。1871年にはじめてドイツという国ができる。「ドイツ帝国」として今のドイツの国の基ができた。それが基本的に今日までドイツという国として続いているが、その地にあったのはプロイセン、ザクセン、バイエルンなどの小さな王国であった。その「ドイツ帝国」を主導し、その中核を占めたのがプロイセンだ。そのプロイセンの領土は、いまではほとんどがドイツの領土ではない。第2次大戦で敗れた結果、領土を失い、その結果、西側諸国の取り合いもあって、旧プロイセンの領土の大部分は、いまはポーランドになっている。つまり、かつてドイツ帝国の中核を構成した土地がいまはポーランド領である。歴史的ないきさつを持ち出して、いまはポーランドに属する旧プロイセン領だった土地を、ドイツが「歴史的にみてわが国固有の領土だ」と主張したらいったいどうなるだろうか。ヒトラーの主張と同じになる。
ドイツの場合も、やはり領土問題の出発点は敗戦ということでしか語れない。それ以前のいきさつを持ち出したらとんでもない話になる。そんなことはできないと分かっているからドイツはそんな主張は一切していない。
語られない出発点
そうしてみれば、日本の今の議論がいかにおかしいかということがよく分かる。竹島は1905年に編入されたとか、1895年に尖閣諸島は無人だということを確認して領有を宣言したとか……。ドイツになぞらえていえば、1871年にドイツ帝国ができたときにはあそこはドイツの領土だったというのと同じことになる。
だから、領土問題を語るときにはどこが出発点かということをはっきりさせる必要がある。その上で、疑義があるのだったら、その部分についての疑義をはっきりと出して議論する。それをしない限りは領土問題の解決はない。
こんなことがほとんど言われていないのが実情だ。領土問題の出発点はまったく語られていない。そこをきちんと認識して、議論の際にはっきりさせることだ。そういう議論をすれば中国にも韓国にも十分通用するはずだ。
日本は1910年には韓国を併合している。だから1905年に竹島を併合したというのは、韓国側から見れば、韓国併合の第一歩と見られるわけで、それを持ち出して領有権を主張する日本という国はとんでもない国だと受け取られる。
問題はサンフランシスコ平和条約で竹島の問題がはっきりしていないことが問題だということを提起していけば、韓国側だって十分に話に乗れる議論だ。
領土問題の出発点をきちんと認識していないということが今の混迷を招いている。
実利を考えた外交を
実際問題で言えば、あんな島は人ひとり住めない。問題なのは、島の領有によって領海が違ってくるわけで、島そのものには価値がなくても海に価値がある。海洋資源と海底資源。だから、実際の領土問題の争いは土地をめぐる争いでなく海をめぐる争いだ。
とすれば、領有の問題については棚上げしておいて、海の資源をいかに平和的にお互いの利益のために使うかという方向で考えるのが実際上は一番いい。実利という点でもそれが一番。はるかに生産的だと思う。人が住んでいないような島ひとつのことで熱くなる、対立するというのではなく、対立させないで実利を取るということが一番賢い外交。「棚上げ論」とはそういうことだった。いま、そういう知恵が外交に求められている。
- 日本軍「慰安婦」制度の悲惨すぎる事実
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「ナヌムの家」と併設の「日本軍『慰安婦』歴史館」を訪問
3日目はソウルから車で1時間ほどの郊外にある「ナヌムの家」を訪問した。
「ナヌムの家」は日本軍「慰安婦」被害女性が共同生活をしている家だ。現在は8人のハルモニが暮らしている。日本軍「慰安婦」歴史館も併設されており、日本人ボランティアの工藤さんから熱のこもった説明を受けながら見学した。工藤さんは、他では聞けない日本軍「慰安婦」の具体的な事実を、冷静に分かりやすく説明してくださった。
再現された「慰安所」の部屋。廊下には実際に使われていた「シズコ」「ヨシエ」など日本名の名前が書かれた名札が掛けられている。彼女らは、韓国名を日本名に勝手に変えられた。誰がどんな名前をつけられたのか、それは、どの記録にもない。「あなたが『慰安婦』をしていた証拠を出せ」と言われても、証拠などないのだ。
部屋に置かれているものは、ベッドの他にたった一つ。洗面器だけ。入っているのは、消毒液。軍隊で恐いのは、性病である。兵士が性病にかからないように一人が出ていくと消毒するのだ。力尽き失神して動けなくなってしまった女性には、管理を任されている女性が洗面器の消毒液をぶっかける。女性たちには定期的に性病検査が行われ、その結果は「可」「不可」で表される。それは、兵士ができるか、できないかの「可」「不可」である。女性を人として見るのではなく、物として、道具として扱っているのだ。一つの「慰安所」で「不可」が多くなり、できる「慰安婦」の数が減ると、兵士の待ち時間が長くなる。そうなると困るので、管理を任されている女性も「慰安婦」の代わりをさせられる。そうならないように、失神した女性に消毒液をぶっかけることになるのだ。
また、管理を任されている女性は性病にかかった女性の手当てもしていたそうだ。その手当がすさまじい。淋病には水銀の入った薬をパックにしたものをはり、梅毒には「606」という殺虫剤を注射していた。女性を人間として扱わない行為は、聞いているだけでもつらくて逃げ出したくなる。しかし、日本軍「慰安婦」被害女性一人ひとりには、逃げ出したくても逃げられない、悪夢のような時間がそのとき実際に流れていたのだ 。
戦争が終わり、引き揚げる時も、またむごい。「慰安婦」を殺してから逃げた部隊。兵士だけ逃げて置き去りにされた日本軍「慰安婦」。何も知らされないままとどまり、火をつけられた「慰安所」。そんな中、逃げている途中に連合軍に見つかり、捕虜となった人が何とか生き延びてきている。
「いまは日本人に会いたくない」―
韓国では8月16日に、「ある軍に『慰安婦』を20人増員してほしい」と要望した書類が見つかったことを新聞が報じたそうだ。「慰安所」に日本軍が関わっていたことを証明するものである。もちろん、日本では全く報道されていない。
ところが、この間、橋下大阪市長は「強制連行はなかった」「『河野談話』を見直すべき」「日本軍『慰安婦』制度は、戦争状態であれば問題がない」かのような発言をした。事実を歪曲し、女性の人権を無視した発言は、ハルモニ達にも届いている。ニュースを見るたびにハルモニ達の血圧は上がるそうだ。ハルモニ達と交流ができるかもしれないと楽しみにしていたのだが、連日の報道で、「今は、日本人に会いたくない」と実現できなかった。そして、「これまで多くの日本人が『ナヌムの家』を訪問してくれたが、彼らは日本でどのように私たちのことを伝えてくれたのだろう」と、失望されているようだ。
そこで、ハルモニ達は行動した。日本の全国会議員に「『ナヌムの家』に来てください。一緒に食事をしましょう」と招待状を送ったのだ。ところが、私たちが訪問した9月16日の時点では返事は1通も返ってきていなかった。もし、1通も返事が返ってこなかったら、逆に会いに行こうと考えているようだ。
日本軍「慰安婦」制度が引き起こしたあまりにも悲惨な事実。今回はほんの少しだけ触れたにすぎないが、その事実に圧倒されてしまった。日本でわたしたちはどんなことができるのか、大きな課題を抱えて帰ってきた。
佐野みさ子(須磨区)
写真:日本軍「慰安婦」だった女性たちが共同生活をしている「ナヌムの家」=9月14日、ソウル
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