被災地メーデー実行委員会は、東北の被災地とつながろうと「“いのちのパレット”プロジェクト」として、パレットでつくったオブジェを届けるため7月21、22日、13人が宮城県石巻市の仮設押切沼団地を訪ね、交流を持った。
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被災地メーデー実行委員会による“いのちのパレット”プロジェクトの総勢13人は7月20日夕刻、大雨の中を神戸を出発。
宮城県石巻市に向かう途中、被害のひどかった地域を通った。ここは「住宅再建規制区域」。1年前に訪れた時、無数の船や車が散乱していたが、今はただそれが撤去されているだけで当時と変わらず、家の土台だけが雑草の中に残っている。そんな光景がどこまでも続いていた。復興の道のりの遠さを感じた。
目的地の仮設押切沼団地は、石巻市郊外にある124世帯380人の仮設住宅だ。到着後、企画の案内を兼ねて自治会長さんと一緒に一軒一軒を訪ねて回った。17年前の仮設住宅労働実態調査の時もそうだった。緊張しながらの仮設住宅回り。中には夫を亡くした方や子どもを亡くした方もおられ、涙に声が詰まることも。この間の国や自治体の対応への不満から“絆”とか“頑張って!コール”は、もううんざりだという声も。また、この仮設住宅は、若い世代も多く、一人住まいの高齢者が集中的に被害を被った阪神・淡路大震災とは違い、東日本大震災の広範囲にわたる津波被害の大きさをあらためて感じることになった。
居住者もメンバーも、大人も子どもも、みんなで一緒に
プロジェクトチームのグループの一つは、たこ焼き・玉子焼き作りとリボンの花作りに。事前打ち合わせの折に、居住者から「一度、明石名物玉子焼き≠食べてみたい」という要望があったことなどからメンバーは初挑戦。事前練習も積み重ね、本番では居住者もメンバーも大人も子どももみんなで一緒に作った。リボンの花作りは、「被災地メーデー」の会場を彩るリボンの花を若いお母さんや子どもたちと一緒に作り、自宅に持ち帰ってもらった。この仮設住宅には、あちこちで被災された人が入居しており、そのために子どもたちの通う学校もバラバラだ。お互いのつながりも少ないのだろう、企画に参加して「初めて顔を見た」という声も聞かれた。
もう一つのオブジェグループは、被災地神戸と石巻につながる“海と空に架かる希望の虹”、そして、太陽・魚・花・森が描かれた下絵に、子どもはもちろん大人も童心に返ってみんなで一緒に色づけして楽しんだ。そのカラフルなオブジェが設置され、無機質な色≠フ仮設住宅の周辺がパァーッと明るくなった。この明るさが少しでも居住者の元気につながればと思った。また、そのオブジェには、皆で考えて決めた仮設住宅の表札名『太陽(あさひ)のぼる虹の郷(さと)』が書き添えられた。先の見通せない仮設住宅での生活の中にあって、「居住者に元気を出してほしい、希望を持ってほしい」の願いを込めた。さらに、そのオブジェの上には方位表示板が……。一つは「石巻港」、一つは「神戸・道程約1000q」、そしてもう一つは「希望」。一日も早く再出発ができるようにと仮設の出口に向けられていた。居住者の心の支えになることを願った。
被災地・被災者と“つながる支援”がこれからの課題の一つ
「港神戸を象徴するパレットを!『被災地メーデー』の舞台に使われたパレットを!」という発想に始まった今回の企画。パレットの調達から下絵塗り。マイクロバスでの運搬、そして現地での色塗り、設置。たこ焼き・玉子焼き作りへの挑戦。リボンの花作り。また、思いの込められた長田の仲間の絵手紙、高齢者の手作りペンダントやネックレス、子どもたちのメッセージ。そして、仮設押切沼団地につないでくれたボランティア団体「チーム神戸」の金田さん、パレット設置にアドバイスいただいた神戸土木建築労働組合の皆さん、プロジェクトにカンパの協力をいただいた皆さん。たくさんの人の思いや願いに支えられ、メンバー一人ひとりのそれぞれの頑張りで何とか本来の目的を達成することができたのではないかと思う。
しかし、これで終わったわけではない。復興に向けて、国の(政治の)機能が十分に果たされているとは言えない今、被災地での復興が長引けば長引くほど、被災地、被災者は忘れ去られていく。被災者に希望を失わせてはならない。私たち一人ひとりも、小さくともできることをやる。いろいろな支援があっても良いのではないか。被災地、被災者と“つながる支援”が、これからますます必要となってくる。
小林るみ子(神戸ワーカーズユニオン執行委員、神戸市会議員)
写真上:団地の案内板として設置されたパレットのオブジェクトを囲んで居住者の方々と一緒に記念撮影=7月22日、宮城県石巻市・仮設押切沼団地
写真中:居住者も手伝った明石焼づくり=7月21日
写真下:子どもも大人も楽しみながら色づけを行い、カラフルなオブジェへとパレットが変身=7月21日