「新社会兵庫」 7月24日号
- 「さようなら原発10万人集会」に全国から熱い思い
内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の9氏が呼びかけ人となっている「さようなら原発1000万人アクション」が呼びかけた「さようなら原発10万人集会」は16日昼過ぎから東京・代々木公園で開かれ、全国から集まった17万の人で会場は埋め尽くされた。脱原発集会では過去最大規模の数字だ。同アクション兵庫県実行委員会からも15日からバス2台で出発した80人のほか、多数が参加して再稼働反対、脱原発への熱い心を一つにした。
会場となった代々木公園の主会場には第1ステージ(サッカー場で主に市民・市民団体・NPO関係が集結)と第2ステージ(野外音楽堂で原水禁、平和フォーラムなど)が設置され(このほか、会場外にも全労連などの集結場所がそれぞれ設定された)、集会は同時並行で進められた。
第1ステージの集会は、照り付ける日差しのなか、小室等さんらのオープニングライブで開幕。講談師の神田香織さんの司会で進められ、呼びかけ人の鎌田慧、坂本龍一、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、瀬戸内寂聴の7氏がつぎつぎと登壇して発言した。このなかで、坂本龍一さんは「電気のために国の未来である子どもの命を危険にさらすべきではない」、大江さんは「政府の再稼働に侮辱されたと感じている。私たちは侮辱の中で生きていくほかないのか。次の原発の大爆発によって侮辱の中で死ぬほかないのか。そういうことがあってはいけない」と訴えた。
さらに、作家の広瀬隆さん、大飯原発の現地から宗教家の中島哲演さん、そして福島からは武藤類子さんが、それぞれ胸を打ち、胸に染み入るような再稼働反対、脱原発の訴えを行なった。
デモも3つのコースに分かれ、明治公園までの原宿コースでは「再稼働反対」「原発いらない」とリズミカルな掛け声を響かせながら、それぞれが手づくり感いっぱいのアピールボードなどを手に訴えた。子ども連れの参加者の姿も目立った。
写真上:会場の代々木公園は2つに分けられた会場内はもちろん、会場の外も人手いっぱいに埋まった=7月16日、東京都渋谷区 写真下:3つのコースに分けられたデモ行進は出発から2時間経ってもまだ途切れることはなく続いた=7月16日、東京都渋谷区
- 「核廃絶」「脱原発」を訴え 7.12〜8.2
平和友好祭兵庫県実行委員会(実行委員長=平瀬勲・自治労兵庫県本部青年部長)が1985年から毎年取り組んできて今年で第28回を迎えた反核平和の火リレーが12日から始まり、兵庫県庁前を出発した。
リレーは県内約600qの距離を核廃絶∞脱原発≠訴えながら走り継ぐとともに、各自治体の庁舎・役場、支所前で平和行政の推進≠求めるミニ集会も開く。8月2日に終着地の神戸市役所前に到着する。
リレーの出発にあたり、12日午前10時から兵庫県庁前で開かれた出発式では、平瀬実行委員長が「核のない世界の実現をめざして、今年も脱原発を掲げて走り抜く」と決意表明。その後、自治労兵庫県本部、兵庫県職労、社民党兵庫県連、新社会党兵庫県本部、兵庫県企画県民局の各代表と黒田一美県会議員から激励と連帯のあいさつが続いた。広島平和公園で採火した火が第1走者のトーチに点火され、リレーが出発した。
写真:広島・平和公園の火から採火した火はリレーの第1走者のトーチに移されて出発=7月12日、兵庫県庁前
- ひょうご労働法律センターが総会
-
ひょうご労働法律センター(代表委員・上原康夫弁護士ら6人)は第12回総会を10日、神戸市勤労会館で開いた。
冒頭のあいさつで、上原さんは青木昭憲・同センター事務局長の急逝(今年2月)に触れ、「ほんとうに有能で惜しい人を亡くした。当センターにかけた彼の遺志を引き継いで新体制でやっていこう」と述べた。
議案の提案は宇野克己・全港湾神戸支部書記長(その後の議事で新事務局長に就任)によって行なわれ、「情勢に応えられるセンターの機能強化を」の目標のもとに、「法対活動家の育成」を最重要課題として、「新事務局体制の構築・強化」などに努力していくことが提案された。また、今後の活動として運営委員の世代交代を後押しするため、運営委員以外の次世代メンバーにもオブ参加を呼びかけることや、センターの改訂版リーフレットを新しく作成することなどを確認した。
第38回労働法律セミナーは8月8日(水)午後6時30分から神戸市勤労会館で開かれる(テーマは「集団的労使関係・団体交渉」)。
総会後は懇親会に移り、参加者・参加団体の紹介やいま取り組み中の争議の報告などが行なわれた。
写真:「急逝した青木前事務局長遺志をを引き継ぎ新体制で活動を強めよう」と訴える上原康夫代表=7月10日、神戸市勤労会館
- EU諸国での反緊縮運動の高まりの中で
8.26に社会主義ゼミナール -
反新自由主義を掲げて躍進を遂げてきたドイツ左翼党が、5月の最大州の州議会選挙で惨敗を喫し、前回の躍進によって得た議席を「5%条項」のために失うという打撃を受けた。同党は本格的な社会主義政党として昨年11月に新綱領を採択したばかり。ヨーロッパ全体に広がる反緊縮の大衆運動が大きく高まるなかで、なぜ左翼党が停滞しているのか。
今年の「2012社会主義ゼミナールin近畿」は、ドイツ左翼党の台頭と停滞について、ドイツ政治の専門家である木戸衛一さん(大阪大学国際公共政策研究科准教授)を講師に招いて学ぶ。
【開催要項】
■日時=8月26日(日)午後1時30分
■会場=山西福祉記念会館(大阪市北区神山町11―12。阪急梅田から徒歩10分、阪神梅田・JR大阪から徒歩15分)
■資料代=1000円
■先着60人。参加申し込みが必要。次のURLで参加申し込みを。
http://kokucheese.com/event/index/43380/
■主催=近畿社会主義ゼミナール実行委員会(電話 06‐6353‐3072)
- 家族をバラバラにした原発事故
2日目(6月24日)は、昨年9月の「さようなら原発6万人集会」(東京・明治公園)での発言などで有名になり、「さようなら原発2・4兵庫県集会」(明石市)にも来てくださった武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年)を訪ねた。
武藤さんの紹介・案内で「あぶくま市民放射能測定所」で大川原夫妻の話を伺った。夫妻は福島県田村市船引町、三春町と隣接の地で30年間有機野菜の栽培を続けている。行政の測定所に作物サンプルを持ち込んでも、安全とか危険とかの判断だけしか答えないので、具体的な数値を知りたいという住民の要望から、カンパを合わせて測定器を調達した。120kg、120万円の代物である。
この地は避難解除されているのか、夫妻は今後もこの地で野菜作りを続ける決心をしているとのこと。シイタケの榾(ほだ)木が汚染されたので榾木4万本を破棄して、補償金で新たに1万本の原木を購入した人だ。息子さんの妻が子どものことを思って「自家製の米は食べられない」と決断して息子さん夫婦は他県産米を食べており、一家で2台の炊飯器を使っている。子ども達には他県に出て行くことを勧めるが、それでも大人達が町を離れないのは、農民のプライド、百姓魂だと言えようと話していた。
武藤さんが営んでいる里山喫茶「燦」は、現在は福島原発告訴団事務所となっており、そこで武藤さんの話を聞いた。
「今回の原発事故で、県民・国民は被害者であることを決して忘れてはならない。事故の責任を追及し加害者をあぶり出すために、検察に捜査を求めて刑事告訴をする。現在1300人の原告人を集めて、民事での賠償請求でなく、怒りをもって犯人の処罰を求める」と言っておられた。
「会津おだか会」(南相馬市小高は福島第一原発の北20km圏内で、小高から会津に避難されている人達が集う会)の世話役をしている國分富夫さんの借上げ住宅で、國分さんたちから次のような話を聞いた。
つい最近、「原発事故被災者相双の会」結成総会が開かれ、相馬地区、双葉地区の各避難者の会が一致団結して、東電・国・自治体に「相双の会」としてまとまって要求していこうとしていること。会の目的は、@若者の雇用と子どもの健康、A損害賠償の速やかな解決、B家族が一緒に生活できる条件づくり、C放射能から命を守る取り組みである。
そもそも加害者である東電と国が、損害賠償基準を作って被災者の申請を査定することが逆さであり、その基準を打破しなければ生活再建の展望は開けないということ。
警戒区域の3分割(帰宅困難・居住制限・解除準備)は、行政単位で線引きをして補償差別を生み、被災者を分断するものであるということ。
補償申請に絡んで、弁護士が蠢いていること。
避難者の情報は、個人情報保護が弊害となって得ることができず、会としての名簿作りができなかったこと。
今後の裁判闘争で、賠償の解決、東電・国の責任追及が行われていくことになるが、神戸からの闘争支援の要請も受けた。
話を聞いた5人の方々の沈着冷静な話しぶりには感服した。
最後に、原発地域への接近を試みたが、検問に阻止され断念した。道すがら、空っぽの牛舎、放置され夏草に覆われた田畑を見て、住民・農民の悔しさは如何ほどかと思い、こちらも怒りがこみ上げてきた。福島の浜通りには行けなかったが、そこは津波と原発事故の災害を被っているであろう。
憲法を生かす会・垂水 菅沼祥三
写真:「あぶくま市民放射能測定所」が120万円で購入した放射能測定器=6月24日
- 被災地と被災者を考える懇談会ら
-
阪神・淡路大震災の被災者向けに、県や神戸市などがUR(都市再生機構)など民間から借り上げた復興公営住宅(借り上げ住宅)をめぐって、2015年度から20年の返還期限を迎えるにあたり、神戸市はずっと「とにかく住み替えありき」との態度を示している。
こうした状況に対し、被災地と被災者を考える懇談会や県震災復興研究センターなどの市民グループは、7月2、3日の両日、希望者の居住継続を求めて、神戸市役所1号館前でテントを張り、居住者向けの相談会を開設する傍ら、座り込みによるアピール・要請行動も行なった。
この行動には居住延長を望む借り上げ住宅の居住者や、これを支援する団体や個人が参加。新社会党議員団も、あわはら富夫、小林るみ子両市議が相談活動に応じるなど、支援と協力を行った。
3日には、居住者に住み替えを求め続ける神戸市に対する抗議集会が開かれ、その後、居住の延長を求める居住者本人の署名530筆と、応援署名約5千筆を矢田神戸市長に提出した。
(N)
写真:居住延長を求めて神戸市に訴える借り上げ住宅居住者と支援者たち=7月3日、神戸市役所前
今年2月18日、劇症肝炎のため61歳で急逝した青木昭憲さんを偲ぶ会が7日、神戸市中央区の神戸中央港湾労働者福祉センターで開かれた。
青木さんは、1976年から社青同兵庫地区本部の専従として青年運動に従事した後、地域ユニオン運動にかかわり、98年に全港湾神戸支部専従に就任。全港湾神戸支部書記長や副委員長などを歴任して全港湾の労働運動を指導的な立場で担う傍ら、兵庫における地域労働運動の強化・発展を目指す運動にも深くかかわり、神戸地区労議長、ひょうご地域労働運動連絡会副議長、ひょうご労働法律センター事務局長も兼任。その在任中の逝去だった。また、韓国労働運動との連帯・交流活動にも早くから力を注ぎ、交流先の韓国民主労総全北地域本部からの信望も厚かった。
偲ぶ会には、全港湾の役員・組合員をはじめ、地域ユニオン運動・地域労働運動をともに担ってきた先輩や仲間、学生運動時代からの友人、さらに韓国からも8人の仲間が青木さんの死を悼んでかけつけ、出席者は200人を超えた。
会場の遺影横のスクリーンには生前の青木さんの活動ぶりを伝える懐かしい写真や動画が流され続けるなか、勝利した争議で青木さんにたいへんお世話になったとの感謝の言葉が神戸ワーカーズユニオン恵泉寮分会や全港湾神戸支部本四海峡バス分会の仲間から述べられたほか、各界から追悼のスピーチが贈られた。
写真:青木昭憲さんの死を悼む200人が出席して会場がいっぱいになった「偲ぶ会」=7月7日、神戸市中央区
|