「新社会兵庫」 9月13日号
さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会
 内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の9氏の呼びかけによる「さようなら原発1000万人アクション」を兵庫県で進めようと「さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会」が7月22日に結成されたが、その運動の柱である「さようなら原発1000万人署名」の取り組みを広げようと、地域の運動団体による街頭署名行動が精力的に行なわれている。

 神戸では、8月から東灘区、灘区、兵庫区、北区、須磨区、垂水区でそれぞれ各区の「憲法を生かす会」などが街頭署名行動を取り組み始めた。
 「憲法を生かす会・兵庫(区)」は、8月25日、9月1日、8日と3週連続で原発問題を扱ったDVD「原発震災・ニューズリーフ」シリーズの鑑賞会を兵庫勤労市民センターで開くとともに、鑑賞会開催前の夕方の1時間、JR兵庫駅前などで署名行動を取り組んだ。1回目のDVD鑑賞会には「配っているビラの案内を見て来た」という人が3人いて、主催者を喜ばせた。
 また、8月3日に原発問題の集会を開催して活動を再開させた「9プラス25改憲阻止市民の会」(原和美代表世話人)は5日から11日までの1週間、連日4時から6時までの2時間、三宮・マルイ前でマイクによる宣伝行動を行いながら脱原発の署名を呼びかけた。
 「1000万人署名」のことはまだ一般に浸透しているとは言えず、今後の行動の広がりと積み重ね、また、組合など組織内での取り組みの徹底などが問われよう。  これまでの街頭署名運動では傾向的に女性の方が関心は高く、署名に応じてくれる比率も高いことが伺われる。
 「兵庫県実行委員会」は当面の行動として、9月10日〜11日に山口県・上関原発建設反対闘争に学ぶツアーに取り組み、19日の東京・明治公園での「原発にさようなら全国集会」(5万人規模)にはバス2台で参加者を送る予定をしている。

写真:「9プラス25改憲阻止市民の会」は9月5日から11日の連日、三宮で「さようなら原発1000万署名を集めた=9月5日、神戸市
「栗原前委員長に感謝し松枝新委員長を励ます集い」を
党兵庫県本部が開催
 新社会党は7月に開いた第16回定期全国大会で、05年の第10回大会から3期6年にわたって委員長を務めた栗原君子さん(元参議院議員)が退任、書記長であった松枝佳宏さん(63歳)が新しく委員長に就任した。
 この交代を受け、松枝委員長の所属県本部である兵庫県本部は8月31日、神戸市内のホテルで「栗原君子前委員長に感謝し、松枝佳宏新委員長を励ます集い」を開いた。
 集いには、新社会党に期待を寄せ応援する各界・各団体の代表や個人約70人が出席し、栗原前委員長の労をねぎらうとともに、松枝委員長に期待と激励の言葉を贈った。
 集いは粟原富夫・兵庫県本部委員長のあいさつに始まり、16年前の新社会党結党時、栗原さんらとともに5人の国会議員の一人であった岡崎宏美元衆議院議員が乾杯の発声。歓談を交えて、社民党兵庫県連、闘う第三極を目指す近畿会議、9プラス25改憲阻止市民の会の代表からそれぞれ護憲のための共同の前進をさらにめざそうとの連帯のあいさつが贈られた。その後も労働組合・民主団体代表、学者や市民運動関係の個人ら11人からスピーチが続いた。党内からも顧問や先輩、自治体議員、総支部代表、さらに近畿ブロック各府県本部の代表らが参加して松枝委員長を励ました。
 これらを受けて、最後に栗原前委員長と松枝委員長があいさつ。松枝委員長は、「とにかく現場重視。現場からしか闘いは生まれない。だから全国を歩いていろいろ話し合いたいし、言いたい。こんな局面を打開するにはあまり訳の分かっていないものが突破しようとするものいいだろう。ただ道を誤らないようにみんなと一緒に考えていきたい」などと、決意の一端を表明した。
写真:新社会党に期待する約70人が集まり栗原前委員長の労をねぎらうとともに、松枝新委員長を励ました=8月31日、神戸市内
お別れ会に多数の友人ら
 8月13日に急逝した詩人でロシア文学者の赤松徳治さん(76歳)を偲ぶ「お別れの会」が8月27日、神戸市灘区の六甲道勤労市民センターで開かれた。
 赤松さんは詩やロシア文学の分野で活躍する傍ら、「9プラス25改憲阻止市民の会」世話人や「憲法を生かす会・灘」代表委員などを務めて護憲・平和運動にも積極的に関わるとともに、井上力(元神戸市議)後援会長など新社会党関係の議員後援会の役員も力を惜しまず担ってきた。
 これまで多くの詩集や訳詩集を刊行しているが、7月1日に出版されたばかりの『新・日本現代詩文庫89 赤松徳治詩集』(土曜美術出版販売)が最後の詩集となった。
 お別れ会には、赤松さんの交友関係の広さを物語るように詩の同人関係、自身の出身大学でもあり、ロシア文学、ロシア語を講義してきた神戸外大や神戸大の関係、護憲・平和・政治運動や新社会党関係の約130人が集まり、別れを惜しんだ。
 お別れ会の実行委員長を務めた佐治孝典さん(近代日本政治思想史研究者)が赤松さんについて「静かな語り口だが、文学者として激しさがあった。彼の人間観は暖かく、温もりに溢れていた。穏やかな人格ですすんで自己主張をする人ではなかったが、信念にひたむきで、内に力強く生きようとする力を持った人だった」と語るなど、友人や後輩がそれぞれの交わりのなかでの赤松さんを思い浮かべ、お別れの言葉を述べた。
写真:赤松さんの交友関係の広さを物語るように各界から130人が出席して別れを惜しんだ=8月27日、六甲道勤労市民センター
9.3〜4 奈良
 新社会党近畿ブロック協議会は、今年の近畿ブロック党学校を9月3日、4日の2日間、奈良市月ヶ瀬で開いた。
 今回のテーマの一つが震災・原発問題で、小林圭二さん(元京都大学原子炉実験所講師)の講演に学ぶとともに、震災・原発問題への新社会党の課題を明確にしようと、「東日本大震災と今日的な情勢」と題して、松枝佳宏委員長から問題提起を受けた。
 受け入れの奈良県本部からは、開催地の月ヶ瀬に密着した党建設の取り組みを稲葉耕一奈良県本部委員長や入党して間もない青年党員ら4人がリレーで報告した。
 2日目は各府県本部から、自治体選挙総括、護憲・平和運動、労働運動・ユニオン運動など課題ごとに活動報告が行なわれた。また、特別報告として、JAL解雇撤回闘争について闘争の現状報告とともに支援の訴えを受けた。
全石油昭和シェル労組
 「全石油昭和シェル労組和解解決報告・神戸集会」が8月25日、神戸市勤労会館で開かれた。
 全石油昭和シェル労組と昭和シェル石油(株)は昨年12月24日、40年に及ぶ労使紛争、男女賃金昇格差別をはじめとしたすべての争議に関して最高裁で一括和解が成立した。この勝利的和解を受けて、東京、大阪での報告集会に続き、神戸での集会となり、約60人が参加して喜びを分かち合った。
 集会は、瀧委員長から支援へのお礼とともに、今後も原発のない社会をめざす取り組み、働く者の権利を守る闘い、基地撤去や憲法擁護など社会的な課題についても、力を注ぐとの決意が表明された。その後、映像を交え40年の闘いを振り返った。
 歓談を交えながら参加者からのあいさつを受けたのち、いま兵庫で組合つぶしの攻撃と闘っている全港湾姫路伊藤分会、あかし地域ユニオン東亜外業分会、関西ソフラン化工労組からも若い仲間が闘争報告を行なった。「厳しい闘いが続くが40年を思うとまだまだ」と笑いも出て、闘うことの大切さを共感することができた。
 最後に、神戸の組合員だった日笠善夫さんがお礼のあいさつを行なった。日笠さんは、職場だけでなく、社宅のために居住の場でも家族も含めて凄まじい差別を受けてきた。その報告に涙がにじんだが、日笠さんの笑顔が一段と輝いていた。
集会はインターナショナルの斉唱で幕を閉じた。
(塚原)
写真:集会後に参加者で記念撮影=8月25日、神戸市勤労会館
南京・海南島フィールドワーク 8.12〜19
 8月12日〜19日、「神戸・南京を結ぶ会」の『南京・海南島フィールドワーク』に参加した。定年退職して時間の余裕もでき、関心があった中国を少し見てみようということが参加の動機である。
 「神戸・南京を結ぶ会」は、96年に「丸木位里・俊とニューヨークの中国人画家が描いた南京1937絵画展」が神戸で開催された際、その成功を支えた皆さんで結成された。97年8月が第1回の訪中となり、今回で15回目だそうである。会の目的のひとつは「日中間の侵略・戦争の時期の歴史を学ぶこと」である。
 南京でのメインイベントは、8月15日の大虐殺資料館(正式には侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館)での南京国際平和集会である。参加者は、日本から来た神戸、大阪、長崎の38人と資料館の職員の皆さんで、小規模な集会であったが、この日、この場所で日本人が来て平和集会が持たれたということで中国メディアでも話題になったそうである。
 集会後、事件当時6歳だった幸存者の郭秀蘭さんのお話を伺った。
 記念館の中を見て回ったが、中国の人に混じって日本軍の蛮行の大量の展示を見ると、申し訳ないような、叱られているような気がして緊張した。最後のコーナーで、日中国交回復や戦後補償裁判などが紹介され、少しホットした。ここには年間573万人の来館者がある、と館長さんが話していた。
 南京から海南島・海口市までは3時間。島は九州ほどの大きさがあり、三亜市は「東洋のハワイ」として売出し中の国際リゾート地である。毎年1500万人の観光客があるそうで、ロシアからのお客さんが目立った。私たちの宿泊したホテルの前も海水浴場になっていたが、私たちの目的は「侵略・戦争の歴史を学ぶこと」なので、ここでも、多くの慰霊碑や戦跡を訪ね、幸存者や当時を知る人のお話を伺った。
 海南島は、1939年に日本軍に占領され、鉱山開発や採掘、鉄道敷設、積出港建設などに朝鮮人、中国人、英豪捕虜などが動員・酷使され、多くの犠牲者が出た。
 以上、今回のフィールドワークの概要を紹介したが、皆さんもぜひ一度参加され、平和について考える機会とされるようお勧めします。
小林省三(灘区在住)
写真:日本軍に虐殺された村民の慰霊碑=中国・海南島