「新社会兵庫」 8月30日号
「9プラス25改憲阻止市民の会」が集会
 6月の世話人会と7月の拡大世話人会を経て、脱原発闘争を軸として活動を再開していくことを確認した「9プラス25改憲阻止市民の会」(原和美・代表世話人)は、その皮切りとして8月3日、「『脱原発』を考える集会」を兵庫県私学会館で開いた。集会には約70人が参加し、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)のインタビューを収録したDVDを観るとともに、福島第一原発の現地、福島県双葉郡からの報告などを聞いた。

 集会では原和美さんのあいさつののち、DVD〈原発震災・ニューズリーフ〉9「3ヵ月後の今 福島原発で何が起こっているか―4―」を観て、福島原発事故がその後どうなっているのかについての解説に学ぶとともに、放射能汚染の広がりの実態とそのなかで私たちがどう暮らしていくべきなのかについての問題提起からも考えた。
 つづいて、福島原発の現地でこれまで原発反対闘争に取り組んできた森田省一さん(双葉地方平和フォーラム副議長)から「働く者の視点から原発事故を考える」と題する報告を聞いた。
 森田さんは、家族がバラバラにされたり、いつ戻れるかも分からない不安が募る原発事故後の避難生活の状況を語るとともに、一瞬にして暮らし・人権・ふるさとを奪い去った原発に怒りを込めて、利益最優先の東京電力の対応やこれまでつかんできた原発で働く労働者の非人間的な労働実態などを紹介した。
 さらに、同じく福島県の大熊町から神戸市長田区に原発避難してきた槻林茂さんが、自身の避難生活の実態や一時帰宅にあたっての東京電力の傲慢な対応などを生々しく報告した。槻林さんは元郵政労働者で、震災までは農業(マイタケ農家)を営んでいた人だ。
 集会の最後に松枝佳宏事務局長が活動の基調を提案。「原子力から自然エネルギーへの転換と原発の廃炉を要求する」とした会の原発に対する基本的な立場の上に、「さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会」の呼びかけに応え、脱原発・反原発の学習と交流の取り組みや「1000万人署名」の運動などに全力をあげることが当面の活動として確認された。9月初旬には神戸市の三宮で署名集中行動に取り組むとともに、10月8日には会員集会を開く予定。

写真:原発事故後の避難生活の状況や原発労働者の実態なども報告された「脱原発」を考える集い=8月3日、神戸市中央区
9プラス25改憲阻止市民の会
脱原発街頭署名行動
  • 9月5日(月)〜11日(日)
    毎日 16:00〜18:00
  • 三宮・マルイ前
各地区の「憲法を生かす会」などが街頭署名行動を展開
 「さようなら原発1000万人アクション」の運動を兵庫県で広げようと、7月22日に結成された「さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会」に結集する地域レベルでの署名運動が、酷暑のなかでも各地で取り組まれている。
 神戸市灘区では、「憲法を生かす会・灘」が中心となって11日の夕方、JR六甲道駅前で街頭署名運動に取り組み、約1時間半の行動で約130筆の署名が集まった。
 このほか、北区では「憲法を生かす北区の会」が6、7、13日の3日間、区内の駅前や大型店舗前で署名行動を行ない、兵庫区、長田区、須磨区、東灘区でも各区の「憲法を生かす会」などの運動団体が8月から街頭署名を始めた。
 「脱原発」の積極的な動きが、とくに女性によって示される一方で、「原発を廃止して代替エネルギーはどうする? 原発なしでは必要な電力は賄えない」「原発を廃止すれば日本経済が落ち込んでダメになる」など、これまで原発推進派が刷り込んできた宣伝が依然浸透しており、たやすく署名運動が広がる気運にはないこともこの間の行動のなかで実感されている。「脱原発」側の訴えの工夫も問われている。
写真:JR六甲道駅前では1時間半で約130筆の署名が集まった=8月11日、神戸市灘区
脱原発東はりまアクションU
 「憲法生かす加古川・稲美・播磨の会」や他の市民団体、有志の人々で5月31日に結成された「脱原発東はりまアクション実行委員会」は、結成直後の6月11日には「6・11脱原発全国100万人アクション」に連帯する取り組みとして、加古川市中心部で署名・脱原発アクションを実行したが、7月31日には「アクションU」として鎌仲ひとみ監督の映画「ヒバクシャ〜世界の終りに〜」の上映活動に取り組んだ。加古川市勤労会館で開かれた映画上映会には62名が参加した。
 上映会では映画のあと、反原発の歌「げんぱつどん」が披露され、その後は映画を見ての感想や今の原発問題についての意見交換が行われた。
 「原発を推進する側は正確な情報を出さないし、マスコミは嘘ばかりを流す。本当に怖い」「大震災が原発の危険性を発信してくれた。とにかく原発を推進してきた者、自民党は全く責任を取らない。その無責任ぶりに怒りを感じる」「チェルノブイリの時もびっくりした。食べ物が無くなってしまう。多くの子どもが亡くなったのに運動を継続できていなかった悔しさを持っている」「アメリカの原発・プルトニウムによる汚染地周辺で生産されたジャガイモが日本に輸出されハンバーガー社のポテトとして食べさせられていることを知ってショックだった」など、多くの感想・意見が出された。
 同実行委員会では第3弾の取り組みとして、「9・17東はりまアクションV」を開催する。
(S)
写真:62人が集まった「脱原発東はりまアクションU」では「ヒバクシャ」を上映した=7月31日、加古川市

9.17東はりまアクションV
  • 9月17日(土) 15時30分〜
  • 鶴林寺公園(東側)
    (加古川市加古川町北在家)
  • 屋外集会とパレード
人間扱いされない避難所生活
 私は福島の大熊町(福島第一原発の隣町)から避難してきて長田区の市営住宅に入っています。自分が経験した避難生活のことと一時帰宅のことについてお話しします。
 原発の水素爆発で避難指示が出て、3月12日の7時頃、とりあえずカバン1つとジャンバー2着ほど持っただけで、一緒の子ども1人と姪2人が朝食が未だだったのでそのための飲み物と食パン、お菓子を持って、指定の地区の集会所に行きました。
 しかし、ようやくバスが来たのは10時20分頃。大熊町は約1万1500人の町です。40〜50台のバスだと何往復もしなければ全員、遠くの避難所に運べません。向かう避難所は30〜50キロ離れた高校、中学校、小学校の体育館です。バスで向かいましたが、渋滞で車が動かない。普通なら乗用車で40〜50分で楽に行けるところ、5時間半かかりました。しかし、行ったところは何もない。その日のご飯さえ食べられるかどうかわからない状態でした。 原発が壊れたということはそれまで知らされていませんでした。避難所で初めてラジオで原発が壊れた、爆発したと聞かされました。最初は、どうせ2、3日すればすぐに戻れるだろう、これもいい経験だ、と気楽な気持ちで行きましたが、原発が爆発してしまうともう帰れません。
 私の妻は県立病院の栄養士をしていました。病院の施設がかなり壊れて患者さんに食べさせる物もない。プロパンガスも使えない。妻の病院では医師、看護師、栄養士、事務関係の人が力を合わせて入院患者全員にそれぞれのカルテを付けて別の病院に移しました。
 その仕事が終わったからと、3日後に妻が私に問い合わせて、私のいる避難所に2人の看護師さんを連れてやってきました。しかし、避難所には入れてもらえないんです。なぜなら、原発から20キロ圏内を車で走ってきて、当然、除染もしていますが、結局、放射能に汚染されているからということですね。人の命を本気になって守り、患者さんを安全な他のところに移し終えて家族のところへ戻ろうと、やっとのことで2人の看護師さんと一緒に避難所にたどり着いたのですが、避難所は入るなと言われる。これは、まさに人間の扱いじゃない。町の担当者とかけあって、何とか人道的に看護師さんだけでも入れてもらえないかと頼みました。避難所には病人や高齢者がたくさんいます。病院に行ってもろくな診察もしてもらえないし、薬もわずかしかもらえない。配給もおにぎり1日4個くらい。治療はできなくても患者さんの世話はできるからとかけあって、何とか看護師さん2人だけは避難所にいられることになりました。
 私も頭にきていて、こんな避難所にいられるかということで息子のいる千葉の習志野市に行きました。でも、そこは小さすぎて5人が暮らせるような空間ではありません。そこで10日間暮らして、妻の兄が神戸の中央区に住んでいる関係で神戸では市営住宅が確保されているからと神戸に呼ばれ、家族6人で神戸に来ました。確かに住宅には入れました。しかし、用意されている布団は2組、茶碗も2組。あとは電器とガス台くらい。わずかに持っていた自分のお金で炊飯器、冷蔵庫、掃除機、電子レンジ、すべて買いそろえました。親も一緒に来たもので、それで数十万円かかりました。金がなければ避難所で受けていただいても生活が成り立たないという実態です。今までなら買う必要のなかった米も、野菜も買うしかありません。

国の遅い対応と傲慢な東電の態度
 次に、一時帰宅の問題です。一時帰宅を町に申し込んでいたところ、電話がかかってきて7月9日に一時帰宅できるがどうか、と都合を聞いてきました。「遠いから前泊も必要ですね」と言うので、後泊もしたいと申し込み、妻と2人合わせて11万円ほどの費用がかかりましたが一時帰宅しました。しかし、東電から出るお金は前泊の2人分のホテル代の1万2千円だけです。「あとはどうなるのか」と聞いても、「あとは損害賠償請求してください」という態度です。いつできるのか、いつ支払われるのか、と聞いても、「まだそれは国でも東電でも決まっていません、だからいつになるかわかりません」という、まったく人を馬鹿にした話です。この時は引き下がりましたが、国の対応も遅いし、東電も態度が傲慢です。 いまは、われわれはいつか帰れるのか、という気持ちでいっぱいです。放射線線量も高く、果たして帰って住めるようななのか、とずっと不安です。
【文責=編集部】
写真:避難生活の生々しい実態や東電の対応を怒りを込めて報告する槻林茂さん=8月3日、兵庫県私学会館
松枝佳宏委員長にインタビュー@
【松枝佳宏委員長の略歴】
1947年12月、福岡県生まれ。
1996年、新社会党の結党と同時に中央執行委員に選任され、05年の第10回大会で副委員長に就任。
08年の第13回大会では横堀正一前書記長の急逝を受けて書記長に就任。今年7月の第16回大会まで努めた。


 7月の第16回定期全国大会で新しく新社会党の4代目の委員長に就任した松枝佳宏さんに、委員長が所属する兵庫県本部の岡崎彩子職員が抱負や決意などを聞いた。
◇        ◇       ◇
―まだ新米党員の立場から質問させてもらいます。護憲派の退潮が言われていますが、「ここが新社会党のいいところだ」と委員長が自信を持って言えることを教えてください。
党員の頑張りが誇り
松枝 書記長を3年やってきて全国を回ってきたが、自分が誇りだと思っていることは、一言で言えば、党員がいろんなところでがんばっていること。それも、しんどいなかで、資金もなく、国会議員もいないなかで、みんなのためにいろんな工夫をしてがんばっている。それが誇りの一つ。
 もう一つは、憲法をめぐる状況が悪くなり、それと同時に働く人全体の境遇もたいへん悪くなるなかで、それを打開するためにどうしたらいいのかということで、社民党、共産党、そしていろんな市民運動の人たちとも一緒になって、その状況を止めるための努力を一貫して追求してきた。それも工夫しながら……。その2つは言っておきたい。
―私たちの力は本当に弱っているのですか?
政党の運動の弱さ
松枝 いま、反原発・脱原発が言われていて、電力不足のキャンペーンが張られている。放射能に関してはこれくらいなら安心と、両極端の意見が出ている。そこでぼくらはどう説明するかということが、この前、あるところで議論になった。新社会党としてもっと分かりやすいチラシをつくって訴えたら、という意見がある。確かにそうだ。しかし、りっぱなチラシをつくったら、みんな反原発の運動に立ち上がるのだろうかという議論にもなった。実際、原発に関する本は山ほど出ているし、いろんなところで立派なチラシやパンフもある。だから、問題はそこにあるのではない。結局、何だろうと議論したが、結論から言うと、われわれがみんなのところに入っていない。例えば9千人の名簿があるとすれば、選挙のときにはその一人ひとりに頼んでも、今度の脱原発の運動で一人ひとりに当たっているのだろうか。当たってみてのやりとりがない中で、自分らだけで考えている。お互いのキャッチボールみたいなのがあるのかということだと思う。
 それから、いま欠けていると思うものは、例えば、昔なら働く者の代表として議員を出そうとしてきた。自分らの思いを実現してくれる人を出そうという運動があった。いまはそうなっていない。政党と運動が結びついていなくて、この人はどうかと単純に人を選ぶ。みんなでつくるということがない。運動があれば、自分らの要求はこれだ、自分らの代表を出して政治に反映させようとなった。その辺が弱くなっているんだと思う。
―いま、新社会党が最も力を入れて取り組まなければいけないないことは何ですか。
自己決定の保障を
松枝 それは山ほどある。ボヤキを含めて言えば、今回の原発事故問題でも、自主避難とかいろいろあるが、基本的には自己決定権ということが大事だと思う。自分はここに留まる、留まらないということも含めて自己主張がすごく弱い。本来なら自己決定できる正確な情報をきちんと提供して、自己決定したことを支えるということが原発問題でも一番重要だと思う。
 もう一つ。今の被災地についていえば、せめて「1世帯200万円はこれからの3年間は保障します。その上で自分らの身の処し方を決めて下さい」というような大胆さがいるのでは。被災者には余裕も、ゆとりもないから、そんな大胆な政策が求められるのだと思う。
―やっぱり重要なのは震災の問題ですか。
要求を出そう
松枝 当面は震災問題。率直に言って政府・権力者は東北を切り捨てようとしている。あるいは今回の事態をどう利用するかということだけを考えている。これを許したらいけない。震災問題から逃げないことだと思う。
 でも、なかなか要求というものが出てこない。やっぱり自己決定権というか、要求をつくっていかないとやられてしまう。
 要求というのはいっぱいあるはずだ。いま心配しているのは、人災だからと原発事故は補償の基準をつくろうとしている。基準は必ず差別を生み出すが、一応、補償の対象となっているからまだいい。しかし、津波でやられたことにはどれだけの補償があるか。その辺をどう考えたらいいのか。原発も津波の被害者もこれから生活していく上では一緒だ。これをどう考えるか。ぼくらはどういう要求を出していけばいいのか。具体化するのは難しいが、それはそこにいる人たちが考えないと。   (つづく)
(小西)
写真:インタビューに応える松枝佳宏委員長、8月9日、新社会党兵庫県本部
第27回反核平和の火リレーで訴え 8.5 & 6
 今年で第27回を数えた反核平和の火リレー(主催・兵庫県青年女性学生平和友好祭実行委員会)が5、6日の2日間、今年は地域を阪神間に限定して行なわれた。
 出発にあたり、5日午前10時から兵庫県庁前で出発式が行なわれ、水田載久実行委員長(自治労兵庫県本部青年部長)が、福島第一原発の事故で新たなヒバクシャという課題がつきつけられたとリレー運動の新たな意義を訴えながら、これまで取り組んできた県内すべての自治体での「非核自治体宣言」をめざして引き続き運動を進めると決意表明。その後、自治労兵庫県本部、兵庫県職労、新社会党兵庫県本部、兵庫県(企画財政局)から連帯や激励のあいさつが続いた。新社会党からは粟原富夫委員長があいさつし、原発事故の問題にも触れて「国内の54基の原発の全面廃絶をも大きな目標にして核廃絶の運動を進めよう」などと訴えた。
 第1ランナーのトーチに広島平和公園で採火した火が点火されてリレーは出発。出発後は、リレーの途中や終了した後に、JR元町駅やJR芦屋駅など4駅で、「非核自治体宣言」を求める宣伝と署名行動にも取り組んだ。
写真:ランナーを前に連帯や激励のメッセージが贈られた出発式=7月5日、兵庫県庁前
インフォメーション
「原発にさようなら全国集会」(5万人集会)
  • 9月19日(月・祝) 13時30分
  • 東京・明治公園

    ※兵庫からバスで参加します。参加費 1万円
    18日22時兵庫出発/19日夜東京出発・22日早朝兵庫着
    ※申し込みは 078-335-1182(事務局)

    さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会