「新社会兵庫」 9月24日号
 「第4次安倍再改造内閣」だと。それにしても長く続いてきたものだ。これが最後とばかりにか、閣僚19人のうち17人が交代し、13人が初入閣だ。「安定と挑戦の内閣」と首相自らが語る一方で、前回の改造時と同じく「在庫一掃内閣」とか「お友達内閣」とかの揶揄がある。首相の側近が主要ポストに就き、加計学園問題の当事者の1人でもあった政治家がなんと文科相に納まった。まさに噴飯もので、国民を馬鹿にしているとしか言いようがない▼だが、この顔ぶれには大いなる警戒も必要だ。首相を含め、12人が日本会議議連に属するという右翼的内閣である。内閣改造後の記者会見で語った「自民党結党以来の悲願である改憲を必ずや成し遂げていく」という安倍首相の決意を軽くみておくわけにはいくまい。党人事を含めた改憲シフトからは野党の切り崩しも含め、憲法審議会での攻勢など、今後の活発な動きが想像できよう。この臨時国会での動向が改憲への道を大きく歩むステップになるかもしれない。改憲という悲願達成のためには年内の解散・総選挙さえも噂される▼だが、10月からの消費税引き上げを前にしても、内閣支持率は大きく上がっている。この国は一体どうなっているんだろう。
年金「財政検証」に見る、
     基礎年金の給付水準引き下げの方向
 時あたかも参議院選挙直前、あろうことか、政府の金融庁審議会の報告書「老後の生活費が30年で2千万円が不足する」を担当大臣たる麻生氏が受け取りを拒否するという前代未聞の事件が起こった。政権にとってその報告書の内容が不利に動くことが明らかだったからだ。そして、参議院選挙が終わって8月27日、厚労省は「財政の現況及び見通し=財政検証結果」を公表した。年金制度は、2004年(平成16年)の法改正によってマクロ経済スライドが導入され、現在の制度が確立されたが、5年ごとに行われる「検証結果」は、「年金制度」が将来にわたって維持でき、国民の老後の生活に寄与できるかどうかを伺うものである。
■国は年金制度をどう見てきたか
 年金制度はもちろん国が作ったものであるが、時の政府(政権)が制度をどう評価していたかを検証すると次のようになる。
・1959年(国民年金制度の発足)、「給付は最低生活を保障しなければならない」「老齢、障害または死亡によって国民生活の安定は損なわれない」
・1986年(基礎年金発足)、「老後生活の基礎的部分を保障するもの」(※基礎的消費生活とは食糧費、住居費、被服費、光熱費)
・そして、2004年(年金給付水準の放棄)、マクロ経済スライドの導入。(里見賢治・大阪府立大学名誉教授による)
 マクロ経済スライドとは、「社会全体の年金制度を支える力の減少と被保険者の数、寿命の延びに伴う年金給付の増加というマクロ的な負担能力と給付規模の変動に応じて調整(抑制)するものであり期待される」(厚労省)。
 自ら作った「制度」に対して、その考え(評価)がものの見事に変節していることがわかる。早くから老後の生活の所得保障は放棄されていたのだ。
■この度の財政検証の内容
 この度の「財政検証」について見てみると概ね次のことがわかる。ただ、これらの数値は、様々な前提条件を設定したもので自分の老後がどれに当てはまるかは明らかにはならない。前提条件の設定は、主には@人口(低位・中位・高位)、A労働力(経済成長と労働参加が進む・一定程度進む・進まない)、B経済前提(物価上昇・賃金上昇そして生産性の上昇など)から1〜6ケースに分類されている。1から3までが上位、4から5が中位、そして6が低位となり、おのおのの見通しが想定されている。1つの試算であるケースV(経済成長と労働参加が進む、物価上昇1・2%、賃金上昇1・1%、経済成長率0・4%など)では所得代替率は2047年度には50・8%となり50%を維持していることになっている。前回の財政検証(2014年)では50%を下回る場合は、給付と負担のあり方について見直すとされている。つまり、所得代替50%を守ることがこのマクロ経済スライドの約束になっているということだ。ところが、ケースW〜Yの場合(経済成長と労働参加が一定程度進む、あるいは進まないなど)は50%を割り込んでくる。(※所得代替率とは現役男子の平均手取り収入額に対する年金額の比率)
 前回(2014年)は65歳時で62・7%、今回は61・7%(=夫婦2人の基礎年金13万円+夫の厚生年金9万円/男子の平均手取り収入)であり、1%下がっている。将来、給付が下がっていくことはだれの目にも明らかだ。すでに識者からはこれまでの物価上昇、労働参加や経済成長から見ればケースはより低位にするのが順当だと言われている。
■制度を守るための国の策
 年金制度100年の安心は、制度を守ることができたとしても、「老後の生活を安心して過ごすことのできる」ということからは程遠いものになっている。
 そして、「改善」のためには次のことがすでに考えられている。その1は、支給開始年齢の繰り下げ。その2は、在職老齢年金の見直し。そして、適用拡大だ。現在ある繰り下げ需給をさらに75歳まで繰り下げることによって、その人は75歳まで働くことになる。年金に頼らない自助を促している。また、在職老齢年金の見直しは高齢者の就労を促進しているが、現在65歳以上では47万円以上の収入になると年金カットとなる。カットをやめると年金財政はより厳しくなるが、代替率も下がることになる。そして適用拡大は先の法改正に謳われているが、とりわけ中小の企業にとっては経営に大きな影響をもたらしている。
 「2千万円不足」問題が惹起させた金融庁報告書は若いうちから資金をためて「投資信託」などで資金運用をやりなさい、その方法は「金融庁」が指南しますというものではなかったか。年金制度がだれのためにあるのか考えさせられる。
三木 平(元年金関係従事者)
敬老パス・福祉パスが危機
 熟年者ユニオンはいま重大な課題に直面している。神戸市が30万人強の対象者に交付している敬老パス・福祉パスの制度が改悪されようとしていることだ。私たちがこの動きを知ったのは、市の広報などではなく、地元紙からだった。6月22日、神戸新聞は「県バス協会からの要望を受け、神戸市は有識者会議を7月に設置し、長期的に維持できる制度について検討したいとしている」と報じ、敬老パス・福祉パスがともに見直しの危機にあることを知ったのだ。
 有識者会議を7月12日に控え、熟年者ユニオンは7月10日、神戸市長と保健福祉局長宛てに3項目の申し入れを行った。@発足時の無料化を含め、敬老パス・福祉パス制度を維持するため予算を増額すること、A高齢者、障がい者の代表を有識者会議に加えること、また、市民の陳情の機会を設けること、B市長との懇談の機会をつくること、の3項目だ。
 これに対する回答のないまま、第1回目の有識者会議が開かれたが、公開とはいえ、広い会場にもかかわらず傍聴は20人までと制限を加え、傍聴者には撮影・録音は許されなかった。有識者会議は、「高齢者は増加していく。元気だ。裕福だ。居場所も近くにある」「公益企業といえども赤字を出すわけにはいかない」等等、反論するのも馬鹿らしいような議論で、誰ひとり予算について、また、バス会社との契約の問題等については言及しなかった。傍聴できた会員の1人からは「予算は増やさない、サービスを縮小しろというのが前提の茶番劇」との感想。
 8月16日の第2回有識者会議に向け、2回目の要望書を市当局に出して書面での回答を申し入れた。後日、回答を書面で受取り、あわせて担当課長との面談も行えたが、ほぼゼロ回答に等しい内容であった。
 私たちはこの事態をひとりでも多くの市民に広げようと、ターミナルでのチラシ配布と署名集めの行動を7月17日より始めた。市民の反響は、「ええー、なんで」と驚きの表情を隠さず、署名の反応もたいへん良い。
 市民の目を避けるようにお盆休みの真っ只中の8月16日に開かれた第2回目の有識者会議は敷かれたレールの上を粛々進んでいくものだった。
 私たちは今後、決算市会、予算市会に向け、市民の驚きと怒りを背景に、「高齢者、障がい者の社会参加と移動支援」の制度を守り、拡充する運動を、「つなぐ市議団」のアドバイスを受けながら、多くの人たちと共に闘い抜く所存だ。ご支援を。
加納 功(熟年者ユニオン事務局長)
「やさしい日本語」
 「やさしい日本語」をご存知だろうか。阪神・淡路大震災のとき、外国人が災害情報を受け取るすべがなかった教訓から、緊急時の情報を平易な日本語で、という活動が始まったことをお聞きになったかもしれない。非常時はもちろんだが、ますます多くの外国人が私たちの隣人になりつつある今、あらゆる人の日常生活の中で「やさしい日本語」を生かすことが重要になってきている。
 外国人を見ると英語で話さなければならないと考えるのは間違いだ。今、留学生や技能実習生として急激に増えているベトナム人は、ほとんど英語が話せないが、初歩の日本語は確実に習得しているし、日本が気に入って訪れる観光客も、欧米か中国等のアジア圏かを問わず、日本語を少々学んで来ていることが少なくない。外国人にとってわかりやすい「やさしい日本語」が話せれば、コミュニケーションは格段に容易になる。
 日本人どうしの会話は、早口だったり方言が混じったり業界用語や難解な漢語を使ったりする。それをちょっと気をつけて、誰でもわかる語彙におきかえ、長い文は短く区切り、誤解を招かない、はっきりした言葉にする。少しトレーニングが必要だが、慣れたら難しいことではない。国際交流協会などが「やさしい日本語」を学ぶ講座を開いたりしているので、外国人と接する機会があるという方はぜひ一度のぞいてみてください。
 日本語がかなり話せる外国人でも、漢字が多用される日本語の書き言葉は苦手という人は多い。日本で生活する外国人には、お役所や学校の文書は高い壁だ。「時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。」で始まるPTAのプリントを前に呆然とする親がいることを関係者は誰も想像しないのだろうか。クラスに複数の外国籍児童がいる神戸市の小学校(私が見た実例)にしてこれである。例えば「避難経路」と書かれてわかる外国人は中国系の人たちだけだ。「こちらへにげてください」なら、かなりの割合の外国人が理解できる。
 数か国語の翻訳を用意しなくてもいい。やさしい言葉を使って、難しい漢字を使わないで、わかりやすく短く伝えてほしい。それだけで、言語の壁はどんなに低くなることか。
 役所や学校をはじめとして、日本社会でより多く「やさしい日本語」が使われることは、実は外国人にとってだけではなく、知的障がいや聴覚障がいのある人やお年寄りにとっても大変な手助けとなる。漢語だらけの入り組んだ文を読んだり聞いたりしなくても、同じ内容をわかりやすい言い回しにすれば、はるかに多くの人に伝えることができるし、あらゆる人が文章理解の労力を軽減できる。言わば言葉のユニバーサルデザインである。
 情報を得ること、コミュニケーションをとることにさまざまな困難をかかえる人たちの生活を、「やさしい日本語」は劇的に変えられるかもしれない。「易しい日本語」は「優しい日本語」でもあるのだ。
(H・N 日本語教師)