「新社会兵庫」 9月10日号
 またも豪雨による大規模な被害が発生した。8月28日未明から佐賀県内に集中的に降り続いた大雨で、干満差が大きい有明海に面した平野部で深刻な被害が出た▼有明海を含む諫早湾の干拓事業は古くは推古天皇の頃に起こされたともいわれている。江戸時代から本格化された干拓でどこまでも広がる実りを生む田畑を整備してきた。しかし海抜ゼロ、満ちれば海面より低くなる土地であることには変わりはない。ひとたび集中豪雨に見舞われれば水の逃げ場がなくなる。今回は満潮時に重なったため海にも堰き止められることになった▼現地の知人は「子どもの頃から水害とは隣合わせで、家を建てる規準は水に浸からない場所だと親から言われてきたが、何十年間大被害がなく、目の前に海が見えなければ忘れている人も多かったかも知れない」とつぶやいた▼自然の破壊力の恐ろしさを誰もが口にする。しかし、ここ数年来の異常気象の原因を含め、過去40年の統計で増加傾向にあるとされる局地的豪雨のメカニズムは解明されていない▼原因の一つとされる温暖化への対策も経済発展の物差しが大きな壁になっている。被災者救済、復興のあり方と合わせ、原因を作らぬ「生命大事」を考えたい。
日韓労働者が共同声明
安倍政権は歴史歪曲・経済報復・平和への脅かしを直ちに中止し、
     文在寅政府は労働者に犠牲を強要するな
 現下の憂慮すべき日韓両国間の経済・外交をめぐる葛藤に、日韓交流活動を続けてきた両国の労働者が連帯して対処する「共同宣言」が発表されました。資料として掲載します。【編集部】
資料=日韓労働者の共同声明
1.日本と韓国の労働者交流は、1989年のアジアスワニー資本の一方的な廃業と資本撤収に反対するために、日本遠征闘争を展開したアジアスワニー労働者と日本の労働者の連帯闘争を契機として始まった。1991年の日本の労働者の初めての韓国訪問以後、両国の労働者交流は29年間続いており、1996年の民主労総全北本部の結成後は、民主労総全北本部―日韓民主労働者連帯の交流として定着し、現在に至っている。
2.この間、両国の労働者は共同宣言文を採択して発表してきた。共同宣言文の共通した主な内容は、@軍国主義化の流れに積極的に対応し、東北アジアの戦争の危機の高揚に反対して平和の定着のために努力する。A各種労働改悪と労働人権侵害に反対し、労働者の権利拡大のために努力する。B労働者・民衆の普遍的な人権の強化のために努力する。C「すべての労働者は一つだ」という連帯意識を強化し、すべての労働者の差別撤廃のために努力する。D両国間の正しい過去の歴史清算・解決と、歴史歪曲に共同対応する、である。
 2019年6月13日にも両国の労働者は民主労総全北本部会議室で両国の労働運動の現況に対する討論を行い、労働者階級の立場で労働者の連帯を強化し、労働運動を弾圧する両国政府に対する断固たる闘いと、東北アジアの平和定着に向かう実践を決議した。
3.安倍政権は7月4日、ふっ化水素など3製品に対する韓国への輸出規制措置に続き、8月2日には韓国のホワイトリスト国(輸出審査優待国)からの排除を一方的に発表した。これは、強制徴用被害者に関する韓国大法院の賠償判決に対抗する、安倍政権による明白な経済報復であり、両国間の関係を深刻に悪化させている。これを契機に両国の政権は排他的民族主義を強化し、財閥支援強化、労働者・民衆運動の弾圧と、東北アジア全体の平和に深刻な脅威を与えている。排他的民族主義は自民族の利益に同調しないすべての個人と集団を、敵と看做すものである。
4.排他的民族主義が更に一歩進めば、自国の利益のための膨張的、侵略的な性格を持った軍国主義に進展する。
安倍政権は植民支配した過去の歴史に対しては歪曲と不正で対応し、朝鮮民主主義人民共和国を口実に、平和憲法を改悪して戦争可能な国造りを推進してきた。そして、今、安倍政権は韓国を踏み台として、帝国主義的な意図を露骨に現している。また、労働基本権争奪のために、大資本の横暴に対抗して闘い、安倍政権の反歴史的な行状に強く反対し、沖縄辺野古の米軍基地反対など、反戦・反基地・反原発などの闘いを主体的に展開している産別労組とその組合員の正当な闘いを弾圧し、組合員を今も拘束し続けている。
5.文在寅政府もやはり、愛国主義を基調に、韓国内部の問題とすべての社会的な懸案を『国益の前の団結』という美名の下に、希釈しようとしている。これによって、政権の位置付けを強化し、資本の利潤創出の基盤を作るための機会に利用しようとしている。また、経済報復を口実に、文在寅政府は現状を『国家的災難』と称して、労働者・民衆に犠牲を強要している。環境規制、産業安全保健法、労働基本権などを改悪して、財閥の位置付けと言い分を強化している。
6.これに対し日本と韓国の労働者は、両国政権に次の通り要求する。@労働者・民衆だけに苦痛を転嫁する経済紛争を中止せよ。 A民族イデオロギー的な対決構図を利用した支配権力の位相強化という、政治的な策略を中止せよ。 Bこの機会を利用した財閥と資本の利潤創出のための規制緩和、労働基本権の改悪を直ちに中止し、すべての労働者の労働基本権を保障し、労働弾圧を中止せよ。
 また、安倍政権に強く要求する。@韓国に対する輸出規制とホワイトリストからの排除を直ちに撤回せよ。A軍国主義への回帰によって東北アジアの平和を脅かす歩みを直ちに中止せよ。B植民支配した過去の歴史に対して、心から謝罪し、被害者に賠償せよ。
7.私たち日本と韓国の労働者は、韓国と日本という国籍の異質感を克服し、「労働者は一つだ!」という同質感と、「労働者の力で世の中を変えよう!」という闘争意識を高めて30年を連帯してきた。連帯の過程で私たちは、お互いを敵視することは現実にはあり得ないことをよく知っている。「嫌韓」、「反日」感情を煽り立てているのは、むしろ報道機関と一部政界だ。
 私たちは今後も団結と連帯をより一層強化するために最善を尽くして努力する。そして両国の労働者・民衆の労働基本権と幸福追求権、平和の内に生存する権利を侵害するいかなる策動も容認することなく、両国の労働者・民衆と共に断固として闘うことをここに宣言する。
              2019年8月21日   
民主労総全北本部―日韓民主労働者連帯
裁判闘争の再構築へ
 但馬ユニオン(西原良美委員長)の組合員が原告として3年前に神戸地方裁判所豊岡支部に提訴した判決が過日出された。
 判決を聞いてエッと驚いた。裁判所は中立公平なものという考え(幾分甘い?)に立ちふさがるような不当判決であり、余りにも相手被告側の主張を一方的に聞き入れた内容だったからだ。
 そもそも事の発端は、被告法人が入学定員に見合う専任教員数を配置していなかったため、文部科学省から指導を受けたことに始まる。
 これを早急に是正するため、原告のSさんらは上司の学長と相談の上、入学募集の打ち切りを文書で志願者に通知した。
 ところが、被告法人は、この通知の決裁がなされていないことを理由に、直接の担当でもないSさんに対し、5段階もの降格と月額賃金の10万円超の減額という重い処分を行ったのだ。
 法人内部の懲戒委員会では、Sさんに対してこれほどの重い処分は検討していなかったという情報を入手していたため、裁判の中で懲戒委員会の議事録を資料として出すよう求めたが、あろうことか裁判所はこれを却下したのである。
 その上、上司の学長はこの文書発送作業中に送付数の確認までしておきながら、発送したとは知らなかったとうそぶいて大変軽い譴責(けんせき:不正や過ちをしかり責める軽い懲罰)処分で済んでいる。
 法人は、文部科学省の指導を受けるほど重大な不正をしながら、幹部の責任には全く言及していない。働く者にすべて責任を押し付けるこのやり方に、泣きながら退職していった仲間がたくさんいるとのことだ。
 今後は、控訴して裁判を大阪の地に移し、引き続き闘っていくことになる。
但馬という不便な地の弱小ユニオンが、時間と費用をかけながらも精一杯がんばりますので、皆様のご支援を心よりお願いします。  
島田 斉(但馬ユニオン書記長)
お隣のおばあちゃん
 今の家に引っ越して早23年。
 お隣のおばあちゃんとのお付き合いも長くなり、感慨深い。
 引っ越し直後、夫婦で挨拶に伺った時には、チャキチャキの関東弁で「工事がホントにうるさかったわ。日当たりも悪くなったし」と言われ、たじろいだのも懐かしい。
 私たち夫婦は毎日、仕事に活動にで夜中帰り。けれど、たまーに早く帰ると待ってましたとばかりにおばあちゃんから電話が来るようになった。「田舎からお米と野菜が届いたからすぐ取りにいらっしゃい」「スイカができたから食べる?」「ホントに家にいないわね」。気がついたらそんな間柄になっていた。
 おばあちゃんは大正1桁(1920年代かな)生まれ、60代でお連れ合いをなくされて長年一人暮らしをされていた。
 「あー、忙しい。今日はハンバーグも作らなきゃ。故郷から来たこのトウモロコシはおいしいわよ。けど、このお菓子はいらないのに送ってきたわね」。80代でハンバーグ作って食べるの?!と最初はびっくり。ズバズバのフレーズも裏表がなくてだんだんと慣れていき(失礼)、いつも元気をもらっていた。
 そんなおばあちゃんも何回か体調を崩されることがあった。「困った時は言ってくださいね」と声をかけさせてもらっていたら、ある朝、「めまいがする」とお電話があった。まずは私が駆けつけて様子を聞いた後、指示通り牛乳を計りホットミルクを入れたところで出勤のため夫にバトンタッチ。夫はおばあちゃんの指示に従い、服を選び着替えを手伝って病院行きのタクシーを呼んでから出勤。
 それでも後日、夫が電話口に出たら「え?奥さんいないの?」とあからさまに残念がられ、なんだかとても可愛そうやら、可笑しいやらだった。
 今、おばあちゃんは家にいない。
 年々物忘れがすすみ、電話が減り心配していたら、数か月前に久しぶりに電話が鳴った。言いにくそうに「仲直りしてくれる?」とおっしゃった。「けんかなんかしてないですよ。ずっと仲良しですよ」と言うとホッとされたようだった。その後、おばあちゃんは施設に入られたようだった。
 今日、台風10号が近づいて来た。雨戸が一部風で開いていて心配していた。自治会の役員の方に相談したり、夫が新社会党の議員さんに連絡を入れてくれたりし、結果、ご家族に連絡をとっていただけ、夜帰ると、無事に雨戸は閉められていた。おばあちゃんの大切な家が守られて本当によかった。今日はいろんな人を介して、おばあちゃんとうっすら繋がっていられることがとてもうれしく、ありがたかった。
 我が家では勝手に「おばあちゃん」と呼んでいたが、直接そう呼んだことはもちろんなく、「○○さん」と姓で呼び合う間柄で、それもとても好きだった。いつまでも元気でいてほしい。
(M ・M)