「新社会兵庫」 7月23日号
- この原稿を書いている今は参議院選挙の後半戦。アベ政治を変えるチャンスなのだが、街の中では選挙の盛り上がりはあまり感じられない▼テレビから流れる政見放送、自民党の三原じゅん子議員は首相の問責決議案の反対討論では野党に対し「愚か者の所業」「恥を知れ」と雄叫びをあげたが、ここでは「猫撫で声」でアベノミクスの成果、力強い外交などと恥ずかしげもなく続けた▼今回の参院選では32の一人区すべてで野党共闘が実現した。憲法を守るためになんとか成果が出ることをひたすら祈る▼選挙前の県選出国会議員19人のアンケートでは、9条に自衛隊を明記することに反対をしているのはただ1人。賛成9人の中には維新もいる▼4月の自治体選挙では6割の有権者が棄権した。過去のデータから、投票率のアップこそ自民党に打撃を与えることができるのだが、投票日を知らない若者が8割もいるとニュースが報じた。若者よ、これでいいのか。老人は年金のことなど自分のことだけを考えて頑張っているのではないんだよ。生きづらい社会を一緒に変えようよ。拡がる格差・貧困は政治の責任。選挙が終わっても私たちの運動は続く。そこに若者をどう誘えるかの課題を抱えて。
- 老後資金が2千万円不足 ― 金融庁審議会報告を見る
- 老後の生活費が2千万円不足するという試算が波紋を広げている。
参議院選挙への影響を心配する政府・自民党は、麻生金融担当大臣が報告書の受け取りを拒否するなど、金融庁バッシングを行っている。相変わらず隠蔽体質は変わっていない。
また一方では、老後の生活を考えるセミナー等は申し込みが殺到しており、大きな社会問題になっている。「報告書」の何が問題なのか考えてみたい。
〈報告内容〉
金融審議会ワーキング・グループが、2018年7月に金融庁が公表した「高齢化社会における金融サービスのあり方」を踏まえて12回の議論を行い、その内容が報告書として提言された。その趣旨は、個々人及び金融サービス提供者をはじめ幅広い関係者の意識が高まり、具体的な行動につながっていくことを期待するとしている。
具体的には収入・支出のところで高齢夫婦無職世帯(夫65歳、妻60歳以上)の平均的な姿として、年金などの収入は約21万円、支出は26・3万円となり、月5万円不足する、と報告されている。なお、平均貯蓄額は2484万円であり、そこから補填することになると記されている。
そして、金融資産の保有状況の中では、不足額約5万円が毎月発生する場合には、20年で約1300万円、30年で約2千万円の取り崩しが必要になる、との分析がされている。
終わりには、年金水準の調整が進められる状況を踏まえ、自らの望む生活水準に照らして必要となる資産や収入が足りないと思うのであれば、自らの支出の再点検・削減、さらに資産形成といった「自助」の充実を行っていく必要があると結んでいる。
〈金融庁の役割は?報告書の真意は?〉
金融庁のホームページを見ると、@金融システムの安定、A利用者保護、Bさらに、企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大を目指すと記載されている。
自助努力を促すこと自体は、政府の審議会であれば、ある意味、当然とも言える。
また、有権者の関心が高い年金・社会保障で不安が増大するような報告をすれば、選挙結果に影響を及ぼすということは十分把握しているはずである。にもかかわらず、あのような報告をし、大きな社会問題になっているのは何故なのか。ことの真意はわからない。
それでは、報告書の具体的な内容を見てみたい。
高齢無職世帯の平均所得は20万9198円となっている。そのほとんどが年金収入である。この資料を見た、その収入に満たない人は、2千万円不足をどう思うだろうか。大きな不安を抱えるのは当然である。年金だけで生活できるとは思わないが、収入が少なければ2千万円以上不足することになる。
基礎年金だけしかない人はどうすればよいのか。さらに、不足分は平均2400万円の貯蓄から補填すると記載されているが、貯金のない人はどう思うだろうか。
この報告を聞いた若い人たちがセミナーに参加するのも当然である。安心できる内容が全くない。
また、辻褄が合わないところもある。例えば、夫65歳以上、妻60歳以上の無職世帯の収入は20万9198円としているが、妻は65歳未満であるならば老齢基礎年金は受給していない。であれば、妻が65歳になれば月最高で6万5千円増えることになる。そうであれば、5万円の不足はなくなる。
年金をもらっている人の状況はさまざまである。報告書は厳しい生活状況に置かれている人たちへの配慮が全くされていない。無視をしているのか、と思いたくなる。不安を煽るような内容になっていると思われても仕方がない。
結果として、セミナーに殺到するという具体的な行動に結びついたことになった。もしこれが狙いであれば犯罪ものである。
〈報告の背景に潜む思想が許されない〉
政府は消費税が10%になれば、970万人の年金受給者に「年金生活者支援給付金」を支給することを決定している。有識者が中心の審議会は当然把握しているはずである。
であれば、低年金受給者であっても、「厚生の増大」のためにはどうするのか等の記載はすべきである。それが、金融庁の役割ではないのか。
しかしながら、報告書全般に流れているものは、貯金や投資もできない者は、自助努力の対象とも考えていないということである。これは許せない。不安の声を選挙で生かそう。
福田義幸(年金問題研究者)
- ユニオンは「便利屋」?
- 最近は、ユニオンを「お金を取ってくれる便利なところ」と考えて相談に来る人もいるようだ。
トラック運転手の相談者は、信号待ちをしていたパッカー車にトラックをぶつける事故を起こした。パッカー車の運転手から「パッカー車には被害がないから、トラックを自分で修理するなら警察は呼ばなくていい」と言われ、事故届出をしなかった。結果、トラックの修理代金42万円を会社から請求され、3年かけて全額弁償した。
ところが、親や友人から「全額弁償はありえない」と言われ、ユニオンに「払った42万円を取り戻してほしい」と相談に来たのだ。この問題に取り組むかどうかを検討し、断ることにした。
確かに全額弁償することはないだろうが、問題は「全額弁償させる制度」にしていることであり、「今後も働き続けるために労働条件を変えたい」ということなら、労働組合としての役割だと思う。
相談者になぜユニオンに相談に来たのかを質問したら、「弁護士などに依頼するとお金がかかるから。ユニオンなら安いと聞いたから」との答え。
一緒に交渉し、活動していくことでユニオンを理解してもらうこともある。ユニオンの財政の安定化のためにも組織拡大は必要だ。しかし反対に、「何でもやればいいのか」「これは今後のユニオンを作ることにつながるのか」―、その視点でも考えた。結果、この相談はユニオンで取り組まなくていいと判断した。相談者は「ユニオンに加入するって言ってるのになんで?」と言ったが、「ユニオンの活動は労働運動だから、労働条件を変えていくというスタンスでないと取り組めない」「職場で仲間を作ることも必要だ」と説明した。
ユニオンは見方によっては「便利屋」なのかもしれない。ただ、自分たちで「便利屋」になってはいけないと思った。「便利屋」になったら組織拡大につながらない。
相談活動はスタッフが疲弊してしまうことが多い。だからこそ、労働運動の一翼を担っているという小さなプライドを支えにユニオンの活動を続けたいと思う。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長)
- 今朝のあるエピソード
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自分が歳をとった、と自覚するにはなかなか時間がかかる。
いま私は59歳。来年は還暦だ。もちろん、「まだまだ若い!」と言ってくださる方も多い。歳というのは自分より上の方からは永遠に年下で、いくつになっても「若い」と言われる。ありがたいことだとは思っている。
しかし、自分的に還暦はやっぱり「え〜!」という感覚だ。
思えば10年程前、3人の子どもの1人目が成人式を迎えた時は両親を在宅介護していた。振袖を着せたり写真を撮ったり、それなりの感慨はあったものの、わりと日常的に過ぎてしまった。2人目、3人目は男の子だったので、もっと簡単に1人でスーツを着て出かけて行った。保護者としての式典への参加は3人ともしていない。あの頃は介護が私の生活の8割を占め、子どもが大きくなったのも、自分が歳を取ったのも、あまり感じる余裕がなかった。
その介護もやがて終わり、3年前には前年嫁いだ娘が可愛い男の子を産んでくれた。もともと赤ちゃんは大好きなのに、その子は贔屓目なしに本当に可愛い。会うのはもちろん、声を聞いたり写真や動画を見るだけで私を幸せ一杯にしてくれる。
しかし、その子が「孫」で自分が「おばあちゃん」という感覚には長い間まったく馴染めなかった。友達に「娘が可愛い男の子を産んでんけどな、世間では孫って言うらしいねん」と語っては笑わせていた(最近は孫本人が喋るようになり、直接「ばあば」と言われるので観念したが……)。
そして今朝のあるエピソードが、私をこの原稿に向かわせるきっかけをくれたのだ。
夫はボランティアで小学生の登下校時に交通量の多い交差点に立っている。黄色いベストとキャップを身につけ、ほぼ毎朝、多勢の子どもたちを見守っている。私も行ける時は付き合う。 今朝は私が夫よりひと足早く家を出た。現場に着き、最初にやってきた集団の中の3年生くらいの女の子が私に「今日はおじいさん、おれへんの?」と聞いてきた。
えっ?おじいさん?あ、夫のことか、と一瞬とまどったが、「あ、ちょっと遅れてん。あとから来るよ」と伝えた。
「ふーん」と去っていく子どもに、「行ってらっしゃい」と明るく声をかけながら内心は少なからずショックを受けていた。
夫は私より年上で、髪に白い物も目立ってきた。しかし、体型は若い頃とまったく変わらず動きも敏捷だ。若々しいほうだと思う。その夫が「おじいさん」なら、私だって「おばあさん」になってしまう。ついこの間まで間違いなく、2人とも「おじちゃん」と「おばちゃん」だったのに。
「今日はおじいさん、おれへんの?」―この言葉を聞いた時の私の胸の疼きをあの子が理解するのはきっと40〜50年先なのだろう。
(Y・T)
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