「新社会兵庫」 08月14日号
 196国会は、国会とは何かという否定的な疑問を呼びながら、先月閉幕した。国会といえば、国権の最高機関、厳しい国政調査権の発動などがイメージされるが、先の国会は腐敗、瓦解するかのような印象だった▼ある新聞が「民主主義の根腐れ」と表現したが、多くが危機感を表明した。野党の追及力不足をあげるマスコミも一部あったが、大部分は政権・与党の国会の権威・権限に対する、来るとこまで来た蹂躙を見ている。公文書改ざん、国民の誰もが信じていない虚偽答弁……。それがまかり通るのは安倍一強のためである、と言われてきた▼一強といえば、国民の信頼・支持が大きく集中しているかのようであるが、事実は正反対である。一強という言葉の裏で進行しているのは、自民党の呆れるばかりの腐敗劣化である。国会最終盤の強行採決はいずれも、バクチ推進等、国や社会の劣化を促すものばかりである。やっていいこととやってはならないことの判断もできなくなっている。災害が迫っているのに宴会をやる、それをいいことと思い込んでツイッターをする▼暴落する前の株の暴騰のように、一強は大混乱の予兆ではないか。スイッチはどこだ。それをどのように押せばいいのか?
核兵器禁止条約の批准へ
        核兵器廃絶国際署名を推進
 私は昭和19年1月17日の生まれだから、被爆したのは生後19か月の時であった。当然、その時の様子など覚えてはいないが、被爆した家族は一様に急性原爆症の兆候はあり、発熱、下痢、倦怠感などが続いていたようだ。母はケガもしていて台所を這うようにして家事をしていたらしい。当時の記憶は全くないが、物心ついてから母がぽつりと言ったことをよく覚えている。「女の人が帯を引きずりながらふらふらと歩いている、と思ったが、よく見るとそれは帯ではなくその人の腹腔から飛び出した腸であった」というのだった。父も母も当時のあまりにもむごい場面を思い出したくないのか、被爆時の状況については何も言わず、母のその一言しか記憶していない。しかし、父の勤務先が盛岡だった時、ちょうど設立が計画された岩手県被団協発会の呼びかけ人参与であったようだから被爆者活動には積極的であったと思われる。
 私が被爆者運動に携わったのはそれほど前ではない、というよりむしろ最近のことである。「神戸市原爆被害者の会」は、兵庫県では会員数も多かったので会員相互の情報交換や懇親もかねて市内の各区で毎年、地区懇談会を開催している。この懇談会に誘われて参加し、被爆者としては若い部類の小生が活動の一部を分担することになったのが事の始まりだった。
 昨年7月7日、「核兵器禁止条約」が国連総会第1委員会で国連加盟国の3分の2を超える122か国の賛成の下、採択された。条文の前分には、被爆者の苦痛に対する憂慮とともに国際人道法と国際人権法の原則が掲げられ、開発・実験・製造・備蓄・移譲・使用・威嚇としての使用を違法なものとして禁止するなど、被爆者とその支援者が求めてきたものが明文化されるという画期的なものである。このように世界が核兵器をなくすべく大きく舵を切ろうとするとき日本政府はこの条約に反対し妨害さえしている。
 先の戦争で日本は最終的にヒロシマ・ナガサキの被爆による決定的なダメージにより敗戦を迎えた。戦争の実体験を持つ人は希少となったが、戦争がもたらす悲劇はその記録や承継から明らかである。「過去に学ばざる者は同じ過ちを犯す」と言われるが、日本には明白な過去がある。
 唯一の戦争被爆国である日本がこの条約に反対していることを多くの国が理解できないと非難している。日本がこの条約に反対する理由の一つとして、核をなくすという目的は同じだが、そのプロセスが違うからだと言っている。いま日本が採っているプロセスとは「核不拡散条約」(NPT)によるものだが、ステップ・バイ・ステップと言いながら、真剣に実行しなければならないとしている核保有国の核軍縮は一向に進んでいない。それどころか、米国が打ち出した核体制の見直しについてはすぐさま歓迎すると評価し、米国の核兵器を減らそうという動きに反対するなど、むしろ日本が先導して核の拡大を先導しているではないか。核抑止力や核の傘に守られているというが、敵国と思われるところが核を持つようになった今、核抑止力は破綻してしまった。核抑止力とは言うまでもなく、核を持たない国が核保有国に戦いを挑むことは自滅を意味するという考えに基づくものであるから、その意味では破綻である。核の傘についても同時に複数の核弾頭が撃ち込まれれば防ぎようもなく、先制攻撃されればそれまでである。
 世界の核兵器保有数はこの1年間でわずかに減少したものの依然として1万5千発があると思われる。数量は減少しても開発は進んでおり、全体としてはその威力はむしろ増大している。いずれにしても地球を何回も破滅に導くに足りる数量と言われる。 第2次世界大戦以降、戦闘において核兵器は使われていないことは事実であろうが、保有している、存在しているということは使用することを前提としているから常にその危険をはらんでいる。使用を踏みとどまっているうちに核兵器を廃絶すること以外に悲劇を繰り返さない道はないだろう。
 神戸市原爆被害者の会では毎年、「原爆と人間」写真展を被爆の日に合わせて開催している。平成10年から始めて、その間の来場者数は10万人を超えた。被爆者(被爆者手帳所有者)は10年前、全国で24万3692人だったが、今年は15万4859人まで減少し、平均年齢も76歳であったものが82歳となった。今後は加速度的に減少するだろう中で被爆体験を語れる被爆者もいなくなる。そのような現実の中、写真などで一人でも多くの人に戦争の悲惨さや原爆のむごさを、その実相を伝える方法として今後も継続して行くし、皆さんにも後押しをお願いしたい。
 すでにご覧いただいた方も多いと思うが、今年7月に全国の被団協では初めてと思われる核兵器廃絶国際署名を推進する県内向けのポスターを作製した。作成に当たっては新社会党の小林るみ子神戸市会議員のご協力を得たことに感謝する。 核兵器禁止条約の批准を政府に迫るのも署名の積み重ねであるからぜひ皆様のお力添えを今後ともお願いしたい。
立川重則(神戸市原爆被害者の会会長)
がんばるニュース編集委員会
 今回は、あかし地域ユニオンのニュース編集委員会からの報告。
 私たち、あかし地域ユニオン・ニュース編集委員会は毎月1回、ニュースを発行し、組合員やサポーターや共闘仲間に発送している。 発送日は、現役組の3人が編集委員会に所属しているので、まずは集まる場をどう確保するのかが課題だった。以前は勤務終了後に行っていたが、ニュースの内容を豊富化させてからは事務所が入っている会館の終了時間の関係で難しくなった。じっくり作業をするために、やむを得ず休暇を合わせて、昼過ぎから取り組むことにした。具体的には、まずニュースの原稿のチェックをして、リソグラフで印刷していく。ニュースの原稿の量によっては8〜12ページになる。印刷ができあがった分から折り込み、挟み込み作業を行い、封筒詰め等、郵送準備をしていく。
 発送作業が終われば、続いて次号ニュースの企画案を編集委員会で検討していく。とくに今のユニオンにとって必要な記事の割り振りは、重要事項として話し合う。
 最後に、翌月の編集委員会の日ではなく、2か月後の日を決める。職場のシフトが決まる前に、合わせて休暇を取るためだ。
 次に、ニュースの内容についてであるが、以前は男性ばかりの原稿で編集してきたが、200号を記念して“女性の視点”が新たな起点になるのではということで、201号からは「女性のリレートーク」と題して組合員や関係者の女性から協力をいただいて毎月掲載していくようになった。また、カラー印刷も取り入れることにした。写真を含め、ニュースの見栄えは、以前に比べてけっこう良くなってきたと思っている。
 最後に、編集委員会の団結強化に向けて、作業終了後にはミーティングが必要ということで、「飲ミニケーション」も忘れずに行っている。
次本理(あかし地域ユニオン執行委員)
ダイヤル189
 「189」―、これは虐待相談ダイヤルと言って、虐待が疑われるときや自分自身が虐待されているときの通報専用ダイヤルだ。全国どこからかけても自動的に最寄りの児童相談所(児相)につながる仕組みになっている。
 周辺の人が気づいていながら、また、児相の関わりがありながら、子どもが虐待で死亡するのを防げなかった痛ましい事例が後を絶たない。この番号への通報は名乗らなくても良いし、疑いが間違いであった時も罰せられることはない。悲しい報道が増えるにつれ、189の通報件数はかなり増加したらしい。
 しかし喜ぶのはまだ早い。189にかかってきた電話の約半数が話をする前に切られているらしい。そして、つながった電話も必ずしも虐待の減少に役立ってはいないという。 189の電話を受けると虐待の有無を確認するのが児相の仕事だ。しかし、突然、児相の訪問を受ける側のショックは大きい。穏やかに話をしても目的は虐待の確認だ。しかも、誰が通報したのかわからない。児相の訪問をきっかけに真剣に引っ越しを考える人もいるそうだ。私がもし若い母親で、誰かに泣き声を通報されたとしたら、次に子どもが泣いたら子どもの口をふさぎたくなるかもしれない。虐待を防ぐための仕組みで虐待が引き起こされてしまう……。そうしないために今どきの親はスマホに頼ってしまうのだろうか。
 スマホやユーチューブは1歳くらいの子どもでもじっと画面を見るらしい。泣き止んでくれてとても助かるだろう。しかし? スマホ漬けにしてしまうと、重大な、深刻な悪影響がある。言葉や情緒の発達がとても遅れるので、先天的な発達障害と誤診されかねないのだ。匿名の泣き声通報を恐れるあまりその子の一生を台無しにしかねない。
 しかし、そうしたケースがあるからと言って189をやめる訳にはいかない。私は、通報件数が増加しているのに対応の仕方が従来通りであることに問題があると思う。189がいきなり児相などの専門機関につながる前に、話を聞いて重大さを判断する担当者を養成できないだろうか。救急医療の現場で見られるトリアージ(*)のように。
 子どもの福祉、幸せに関心を持ち、日々それぞれの立場で真剣に働く人がこの国には多勢いる。でも、この国の子どもを取り巻く環境は残念ながらまだまだだ。日本が「大人も子どもも幸せな国」と、いつか言いたいものだ。
(*)救急搬送された患者の緊急性を判断する。内科や外科などの専門医が診る前にトリアージの医師が複数の患者の治療の優先順位を判断する。
(Y・T)