「新社会兵庫」 07月24日号
 想像を絶する西日本豪雨の被害の拡大。7月6日未明、緊急自動車のサイレン音が近づいたと思うとわが家の近くで停まる。川の対岸の斜面が崩落していた。斜面の上方は道路、道沿いには家が密集している。一歩間違えば近所で大惨事。いや、現実にその被害は西日本の各地で発生していた▼自治体の避難指示や勧告にどう対処したかで生死が分かれたかのような言説もあるが、現にわたしの地域にも警報と避難勧告は出ていた。自分ならどうしたか、冷静に振り返ってみることも必要かなと思った次第である▼さてその6日朝、「オウム真理教・松本智津夫死刑囚の死刑執行」の一報に続き、あれよという間に7人に死刑が執行された。最初の印象は、大逆事件を思わせる国家が行った「虐殺」。天皇の代替わりで、新しい元号が始まる前に片付けたという説もある▼SNS上や新聞の報道にも、その前日の晩、首相や死刑執行命令に署名した法相を含む自民党議員が酒の席を共にしている姿があった。死刑執行と酒席での談笑、何ともグロテスクではないか。加計学園の理事長といい、政権幹部といい、後ろめたいことがあると国民の耳目をそばだてる何か別のものに紛れてことを行う習い性らしい。
いじめ自死問題 命軽んじるメモ“破棄”
        第三者委員会のあり方は
「娘がなぜ死ななければならなかったのかを知りたい」
 2016年10月6日、垂水区の女子中学生が自ら命を絶った。その直後、読売テレビで「家庭内トラブルか」と報じられ、遺族は辛い立場に追い込まれた。後日、それが誤報であり、いじめが原因の自死だったことが分かった。誤報の発信元は教育委員会か学校ではないかとも言われている。もしそれが事実だとすれば、まさに責任回避・転嫁としか思えない言動である。
 そのような中、ご遺族が「学校事故・事件を語る会」の会員と一緒に私を訪ねて来られた。そして、「なぜうちの娘が死ななければならなかったのかを知りたい」という切実な思いをぶつけてくれた。いじめ自死問題の報告が一切なかった神戸市会の「文教子ども委員会」で、私は報告を求め、はじめてこの問題が表面化されることになった。あれから1年半、あわはら富夫議員とともに会派の課題としてこの問題を採りあげ続けてきた。
中立性・公平性に欠ける神戸市の「第三者委員会」
 問題点の一つ。それは、いじめの原因・背景等の調査を経て、再発防止につなげる仕組みとなるべき「第三者委員会」のあり方である。全国の自治体で立ち上げられている「第三者委員会」の多くは、十分に機能しているとは言えない。そのような中、加古川市の「第三者委員会」は、構成メンバーや調査方法は遺族の意向に添ったものに、最終報告書は遺族にとってたいへん評価されるものになった。それに比べ、神戸市の場合は、本来ならば中立性・公平性が求められる「第三者委員会」であるはずのものが、教育委員会の附属機関である「いじめ問題審議委員会」がまるまる横すべりになったものだ。「第三者委員会」が設置される以前から、教育委員会と「いじめ問題審議委員会」は意見交換し、助言をもらうことを繰り返していた。このことからも中立性・公平性に欠けるものだと断言できる。以前、「『第三者委員会』は中立性・公平性に欠けるのではないか」と、私が質問すると、当時の教育長は「(怒りを露わに)心外です!」と答弁。「(こちらも負けず)『心外です』とは心外です!」と言い返すようなこともあった。
 いじめ自死は、「いじめ防止対策推進法」にもとづく“重大事態”として速やかに報告されなければならない。ところが、報告は、事故当日の6日から11日を経過した11月17日。その後、20日に「第三者委員会」が設置されたが、「他の生徒が動揺するから」という理由で、設置は公表されなかった。教育委員会は、このたびの破棄メモの発覚まで一貫して隠蔽を図りながら事態を鎮静化させていく、責任回避の従来の“事後対応”を行ってきた。これではいじめ問題の真の解決にはならず、いじめは繰り返されていく。今回のいじめ自死問題を特定の首席指導主事と前校長にのみその責任を押し付け、幕引きしようとする教育委員会の姿勢では何も変わらない。このような教育委員会の隠蔽体質、“事後対応”こそ改めなければならない。
「再調査委員会」の存在意義が薄れる外部委員会の設置
 3月12日、「第三者委員会」の不十分な最終報告書に遺族の所見が添えられ、神戸市長に提出された。市長は再調査することを決め、今、「再調査委員会」設置に向けて動いている。その矢先、破棄メモが発覚した。調査上、重要な資料であるにもかかわらず、無かったことにされてしまっていたのである。私は、人の命が“軽んじられている”と思った。その後、「文教子ども委員会」では破棄メモ問題の解明が今なお続いている。
 一方で、先日の私の一般質問の折に、神戸市は「第三者委員会」のあり方を見直すと答弁。加えて、7月下旬、「組織風土改革のための有識者会議」という外部委員会を設置することが明らかになった。いじめ自死問題をはじめ、教職員による不祥事までを採りあげ、有識者の意見を伺うというものである。進め方がおかしい。「再調査委員会」の最終報告書が出てからでも遅くはないのではないか。これでは「再調査委員会」そのものの存在意義が薄らいでくる。しかし、これが教育委員会や文部科学省の狙いなのかもしれない……。
小林るみ子(神戸市会議員)
まもなく結成20周年
 2000年に産声を上げた熟年者ユニオンはまもなく結成20周年を迎える。
 ユニオンと言っても職場で毎日顔を合わすわけではないので意思疎通がどうしても希薄になることは否めない。毎月欠かさず4役会議を開き、1カ月間の経過と問題点を議論して向こう1カ月の取り組みなどをまとめ、定例会で意思統一を図りながら運動を進めている。すべての会員に定例会の意思が行き渡るよう必要に応じて電話連絡やファックス、電子メールを駆使してコミュニケーションをとる努力が事務局に課せられた大きな任務の1つだ。会報(A4・8頁)も月1回のペースで発行し、全会員の手もとに届くよう郵送と手配りで日頃の意思疎通の希薄な面をカバーするよう努めている。会員は姫路から川西に至る広範囲に居住しており、会報の届くのを楽しみにしている会員も少なくない。
 月1回のペースで取り組んでいる行事は、サンドイッチマン・デモとカラオケ、マージャン、囲碁等の愛好会。これらは会員間のコミュニケーションを深める大切な取り組みとなっている。引きこもりがちな高齢者にとって、外に出て新たな交流を持つ意味の大切さは言うまでもない。過去に「男の料理教室」、釣りなどが取り組まれてきたが、今では支部(明石支部、阪神支部)で独自に納涼会、ビアパーティ、ハイキングなどを計画し行っている。
 サンドイッチマン・デモ(8月は無し)は今年6月で160回を数えた。その時々の課題を首から前後に下げたプラカードに貼り付けて、少ない時は7人、多い時は20数人で三宮センター街をデモ行進している。最近、デモに対して目に見えない圧力を感じることがある。 年金問題学習会や会員の問題意識に沿って課題別学習会も行っている。7月14日には「JR三ノ宮駅周辺再開発の問題点」を行い、次は「元号」について学習する。
 先輩たちが築いてきた運動の足跡は大きく、それをしっかりと引き継ぎ未来に発展させようとの思いだけはしっかり持っている。
加納功(熟年者ユニオン事務局長)
いま介護の現場は?
 2000年にスタートした介護保険制度は何度も見直され、利用者も介護労働者も厳しい環境に置かれている。要支援1、2を保険給付から除外し、ヘルパー派遣の回数制限、利用時間の短縮、特養入所は要介護3以上など、見直し(改悪)の度に内容の切り下げはとどまることを知らない。さらに、介護保険料、利用料の引き上げ、保険料を支払っても介護は受けられないことなど、不安が拡大し多くの問題を抱えている。
 私が携わっている生活援助で、4月から1時間の支援が45分に変更になった利用者の方が2名おられる。介護に入って5年余りになる方は、初めの頃は日常生活のほとんどのことが出来たので家事支援は掃除だけだった。2部屋と台所、トイレ、さらに廊下(共用部分)を掃除機掛けと拭き掃除を丁寧に1時間かけて行っていた。ところが、数年前から肺を患われ、外出された時に倒れてしまった。その後、入退院を繰り返し、だんだんと出来ないことが増えていった。買物もその一つで、2年前からは買物と掃除を1時間で何とかこなしていたが、今年の4月から、支援内容は変わらないのに時間は45分に切り下げられた。訪問すると、すぐに利用者さんの要望を聞いてメモを取り、お金を預かり、お店に向かう。買い物を終えて戻ると、品物を冷蔵庫等に保管し、お金の計算をして領収書とお釣りをお渡しする。買い物の仕事が終わるころは残り時間はあとわずかだ。以前のように丁寧に掃除はできない。それでも掃除機をさっとかけて、拭き掃除も簡単に行う。最後にその日の支援内容や利用者の体調等の報告書を作成して終了。すべての仕事が終わるのは、いつも変更前と同じ1時間が経過している。支援時間(45分)内に仕事を終わらせるには手を抜くしかない。でも、自分が利用者の立場だったら生活に支障をきたす変更は認め難い。利用者の方と5年余りコミュニケーションを取りながら人間関係を築いてきた。はじめは無口な方で介護者の行動を見ているだけだったが、今は体調のこと等をよく話される。体調を崩されてからは不安と寂しさが感じられる。それでも、急ぐ時は「ごめんなさい。次のお宅に行くので」と話を終わらせる。本当はもっと話を聞いて利用者の方の思いを理解しなければと思うのだが。また、腰が痛いと言いながら、毎回必ず杖をついて廊下から玄関まで見送り、「お気をつけて!」と声をかけてくれる。築いてきた人間関係を介護保険の改悪によって壊されたくない。
 今後、介護が必要とする人が増えて行くのは確実だ。今のままでは仕事をやめて家族の介護をしなければならない「介護離職」がさらに拡大する。私たちは保険ではなく社会保障制度としての介護制度を訴えてきた。誰でも安心して受けられる介護を目指して運動を進めてきた。改めて介護保険の目的をスタート時点に戻って考える必要があると思う。
(C・T)