「新社会兵庫」 06月12日号
 「しっちゃかめっちゃか」―語感には関西風が漂うが、『広辞苑』には「混乱・散乱したさまをくだけていう語」とある。降り注ぐ不正追及弾から身を守るために、弾薬を積み上げて掩壕(えんごう)にしようというのであるから、安倍政権の対応は、前代未聞の形容語がつく「しっちゃかめっちゃか」である▼最後に逃げ込んだ塹壕が「私や妻が関与していたら……」と「(加計の獣医学部新設申請については)平成17年1月20日までは知らなかった」という大嘘。「総理案件」「総理のご意向」として政治工作が進められていた期間には、首相はそのことを一斉知らなかったと強弁する▼そんなことはありませんよ、という動かぬ証拠として愛媛県文書がでてくる。そこに現れいでたるは加計狂言の太郎冠者、「それは私めが県庁を欺いて作らせたものに候」。こんなことで「やるまいぞ」と幕になるはずはあるまい▼加計さん、貴方は県庁を騙すほどの人物を腹心として使っていて身が凍るほどの思いをしませんか▼安倍さん、こんな恐ろしい人間を傍に置き事務局長に任じている人を友として大丈夫ですか。そんな人物だからこそ、腹心とし、友としているんですって?信じる国民は、1人としていませんよ。
改憲阻止闘争の正念場へ “対話”の広がりをつくろう
 昨年、明石・淡路を舞台とする兵庫9区での総選挙(菊地選挙)を終え、敗れはしたが野党共闘の選挙戦を体験し、今後、諸々の闘い・活動を続けていくための大きな力を手にすることができた。私たちの「憲法を生かす北区の会」は、菊地選挙後の活動の中心を「安倍9条改憲NO!3000万署名」の取り組みとした。第1次安倍内閣が教育基本法を改悪し、防衛庁を防衛省に格上げしたとき、新社会党が中心となって、憲法改悪阻止の闘いを本格化するために各地で「憲法を生かす会」の立ち上げを進めたが、北区の会もそんな状況のなかで結成された。そして、安倍内閣は昨年よりいよいよ「憲法改正」に本腰を入れ始めた。いま、私たちは森友・加計・自衛隊日報問題等をかかえる状況であるにしても、国民投票をも視野に入れた憲法改悪阻止の闘いをねばり強く推し進めていかねばならない正念場にあると判断したからだ。
 昨年12月から「3000万署名」に関しては、北区の会は次のようなことを取り組んできた。@月3回(うち1回は土・日・祝日)の街頭行動、A北区の会会員(新社会党員・党友、新社会党機関紙読者を含む)への呼びかけ、B鈴蘭台駅周辺での戸別訪問、C憲法カフェ、憲法を考える集いの開催と「カツケンひろば」(憲法を生かす北区の会ニュース)の発行、D憲法を生かす会・ひょうごネットの木曜行動や熟年者ユニオンの署名行動への参加、E一人ひとりの会員からのそれぞれの家族・知人・友人等への呼びかけである。
 5月末現在の署名集約数は、1500筆弱である。この数字を、30名弱の憲法を生かす北区の会に結集する活動家の活動結果とみるとき、充分なのか、充分でないのか、その判断は難しいところである。憲法を生かす会・ひょうごネットで確認した北区の目標数は6千筆。5月3日の憲法集会時の全国集約は1350万筆ということだった。3千万という数値は、改憲国民投票を念頭にはじき出されたものと聞いている。戸別訪問は予定した範囲を完全に行うことはできなかったが、延べ20回におよぶ街頭行動では、毎回4人前後でマイクとのぼり旗、机を使い、街行く人々に憲法改悪阻止の行動を知らしめることは充分にできたと自負している。
 以前のこの種の行動と比べて異なることは確かにある。「オレは憲法改正賛成や。賛成に理由なんかいらん」と捨てゼリフを残していく人がいる。「よその国が攻めてきたらどうするんや」と元気よく言う人がいる。「今の日本を攻めて何かいいことがありますか」「あなたの孫の命を戦場で失うことになりますよ」と返すと、黙って立ち去る。以前はこのようなやりとりはなかったことだ。自民党の言い分は表面的には広がっていると感じる。  しかし一方で、「戦争を知っている私ら年寄りは子どもを戦争にやったらアカンと言うのが仕事や」と言って署名してくれる人がいる。子どもをベビーカーに乗せたお母さんが「安倍さんに辞めてもらわないと」と言いながらボールペンを持ってくれる。「ぼくたちの社会の先生は憲法のことをよく話してくれます」と語りながら署名をしてくれた中学生のグループもいた。元気が出る。
 私自身はこの間、家族・知人・友人・同窓生・かつて私が学校で担任をしていた時の卒業生等々、自分のまわりの人に署名を呼びかけ、それなりの署名を集めることはできた。「君のやっていることに賛成するよ。今までは政治のことなどを同窓会で言えなかったけど、これからは言うよ」と署名用紙に添え文をつけてくれた人がいる。一方では「君とのつき合いを止めるよ」と言う人もいる。一人の卒業生からは、「近所の家を全部訪ねて署名をしてもらいました」と同じ町名の住所がズラーッと並ぶ署名用紙が数多くあった。
 そして今、どうしてもできていないことを改めて気づかされた。地域の人たち(近所の人たち)への署名の呼びかけである。退職した後も近所の人たちとのつながりをつくることができていないからと自分に言い訳をしているが、卒業生の一人のように家を訪ねて私たちの活動を話していけるようにならなければと思っている。今は自分のことを知っている人に働きかけているだけ。これではダメだとつくづく思い知らされているところである。
山ア 貢(憲法を生かす北区の会・代表)
解雇問題の金銭解決拒み裁判を決意
 姫路市東部にある機械製作会社に勤務するMさんから昨年9月末、「所属する事業部の赤字解消のため会社から異動するよう求められたが、受け入れ先となる部署が無いので自主退職するよう求められている」といった相談を受けた。
 その後、会社から10月16日に示された解雇予告通知書には「協調性を欠き、他の社員の業務遂行に著しく悪影響を及ぼす」「考え方が自己中心的であり、上長の指示に従わない」等の解雇予告事由の記載があり、同月末で解雇すると通知された。
 11月に行った第1回団体交渉で、ユニオンは解雇理由の詳細を質したが、会社からは一方的な内容の説明しかなされず、これにMさんがことごとく反論して、双方の主張は平行線でしかなかったが、解雇理由について会社は「人員削減のための整理解雇だ」と明言した。
 12月に行った第2回交渉では「本件事案が整理解雇の4要件を満たしておらず無効である」とユニオンが主張、解雇を撤回するよう会社側に再検討を求めた。年末に示された文書による回答で、会社は解雇を撤回し、金銭による解決を求めてきた。
 解雇の撤回は当然のことと受け止めたが、あくまで就労を認めようとはしない会社の態度にMさんは「誠意が感じられない」と反発し、法廷の場で争うことを決意した。 ユニオン内部では、解雇される前に会社に提出した診断書により現在休職しているMさんの健康状態を慮って「裁判に踏み切っても、維持することができないのではないか」と反対する意見が強かったが、最終的には本人の意思を尊重することとし、地位確認を求めて5月8日に提訴した。
 ひとりの労働者の「個人の尊厳を会社に認めさせたい」という気持ちで始めた闘争だ。この闘争への支援を、仲間の皆さんにお願いします。
細川雅弘(姫路ユニオン委員長)
うそのない活動
 「結婚しても、出産しても、歳をとっても、誰もが健康で安心して働き続けられる職場をつくろう」―このスローガンとともに半生を歩んできた。自身はいま、「歳をとっても」の真っ只中。夫婦して若くから労働組合役員を担い、活動は生活に溶け込み、人生の一部になっている。私に関わって下さった先輩、歳近い仲間、後輩は人生の宝物。そして仲間からもらった数々の言葉も私の宝物だ。
 20歳そこそこの頃、「権利強化月間です。年次有給休暇、生理休暇を取りましょう」と会議で言われたとおりのことを無邪気に職場で呼びかけた。当時、数少なかった女性の課長から「わたしは働き続けたいから取りません」と鬼の形相できっぱり言われた。50歳を越えた今なら、その気持ちは痛いほどわかるが、その時の私は“目が点”だった。別の先輩からは「Kさん(当時の私)がいつも正しいとは思わないわ」とも言われた。後に、私を育てるためにS先輩が仕組んだ愛のムチと知り驚いたが、先輩方の言葉は女性労働者の切ない本音であり、後輩への叱咤激励だったと思っている。
 活動の中で、自分なりに守り、願ってきたことがある。「うそつきの活動はしない」「弱くとも信頼される組合でありたい」と。「休暇を取ろう」と呼びかけたなら、自分も1時間でもいいから取ってみて、取得を呼びかけた。残業する仲間には、ただ「帰りましょう」でなく、話を聞いて回った。退職する女性がいると聞けば家まで行って話を聞いた。有期雇用の仲間の契約更新がされるかどうか、ひとりひとり心配した。すべては、働き続けられない原因を職場から無くしたかったから。
 自分は取らないくせに「休暇を取ろうね」と言うような、不満一つ言わず残業をするようなことはしたくなかった。それでは信頼は得られないし、仲間を混乱させる。結果、本当に苦しんでいる仲間の相談を遠ざけると思ってきたからだ。
 3年ほど前に大病をした時に、岡崎宏美さんが「真面目な性格なればこそ、休んでいる事まで悩みの種にしてしまうけど、必ず薄皮が1枚1枚剥がれて軽くなる日がきます。走った分、休む。悩んだ分いたわる。それだけのことです」という言葉を下さった。つらい日々の中、心に浸み入り救われる思いがした。復帰直後、まだ短時間勤務だった頃には、係の組合員さんから「4月以降もいらっしゃいますか?退職なんてもったいない。今度は組織がMさんに貢献する番です」とまで言ってもらい、えっ?たいした組合でもないのに、そんなこと言ってもらっていいの?と驚きながらも、心底ありがたかった。
 親子でも姉妹でも親友でもないのに、こんな言葉をもらえるなんて、活動を通じての人の繋がり以外あるだろうか、と今思っている。
 退職するその日まで、とにかく「うそつきの運動はしない」「弱くとも信頼される組合でありたい」という気持ちだけは貫きたい。そして、一生の、うそのない活動で仲間に恩返ししていきたいと思っている。
(M・M)