「新社会兵庫」 05月29日号
- 感動的だった板門店での文在寅と金正恩の出会いから朝鮮半島をめぐる緊張緩和への動きは、今やすっかり6月12日予定のシンガポールでのトランプ・金正恩会談に焦点が移り、このままうまくいくのかなと少し楽観的な観測をしていたら、そうは問屋が卸さない▼米韓軍事演習を口実に、予定されていた南北高位級会談は突然中止を通告されるなど、交渉をめぐる駆け引きもあるのだろうが、国際政治の冷厳な現実を思い知らされる気がする▼しかし、そもそも板門店宣言には北の核放棄への具体的言及がない。金正恩が簡単に核を手放すはずがない。拉致問題が触れられていない。さまざまな否定的な言説もいちがいに間違いだとは思わないが、板門店の共同宣言が後押しをした米朝会談が、核を必要としない朝鮮半島の可能性を開くとば口に立っていることだけは確かだ。そのことに否定的であったり、背を向けてはいけないのではないか▼休戦協定から65年の今年、戦争状態を終らせるチャンスがシンガポールでの会談ならば、双方の思惑がどこにあれ期待を寄せるのは当然だ。軍事による威嚇を不必要にし、国交も正常化されてこそ核や懸案の解決への道も開けるというものではないか。
- 委託か直営か
- 稲美町では今年5月、古谷町長が無投票で4期目を迎えることになった。ただ、1期目を勝ち抜いた選挙は凄まじい闘争だった。その4年前の2002年5月、改革の旗を掲げて赤松町長が誕生した。その頃、小泉政権下で何でもかんでも改革、改革と叫んでいれば世論が盛り上がる時代だった。まさに赤松町長はその申し子とも言える。就任するやいなや「土建業者と労働組合は町民の敵」というレッテルを貼り、改革キャンペーンを繰り広げた。その中でも学校給食の民間委託の方針は、現場の組合員に大きな衝撃を与えた。直営で運営していた町内の5小学校の給食調理業務を民間委託するというもの。最終的に2小学校で民間委託が実施された。学校給食職場は高齢化が進み、退職者不補充が続いていたせいもあり、委託化を進めやすかったという背景もある。自治労単組は直営堅持を掲げ、保護者を巻き込み「美味しい給食を守ろう」をスローガンにした。昭和の時代からやったこともないストライキも強行し、役員は処分を受けた。闘争は盛り上がり、自治労だけでなく、町内で首切り撤回闘争をしていた関西ソフランをはじめ、多くの民間労組の仲間もかけつけてくれた。執行委員会では連日、委託を阻止する対策を練った。最終的には政治闘争しかないと判断し、直営堅持の候補者を擁立、選挙に挑んだ。2期目の現職は極めて強いと言われていたが、官民と市民運動の力で3千票の差で組合側の勝利となった。思い起こせば出来すぎたストーリーである。
最近になりユニオン運動に関わる中で、抜けている視点があることに気付く。直営堅持ということは公務員という立場を守るということである。当時の権力は委託すれば安くすむことを前面に出し、委託を進めていた。しわ寄せは委託先の労働者である。正規、非正規、委託先の労働者のことを考えながら運動は進めていかなくてはならない。ユニオンをはじめ多くの仲間が官民を超えて結集していく必要がある。
北川寿一(はりまユニオン副委員長)
- 「無くてはならないもの」って・・・
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ある日、ふと考えた。私の人生に「無くてはならないもの」って何だろう?それがないと私が私でなくなるもの、それがないと私らしく生きていくことができなくなるもの……。
去年の8月から夫のいない暮らしになった。と言っても死んだ訳ではなく、単身赴任のようなものだ。夫の家に設置したウェブカメラで姿が見られるし、電話で声も聞ける。月に10日ほどは一緒に暮らせもする。だから本物の夫のいない暮らしとは言えないけれど、月の3分の2を人生初の一人暮らしになって半年が経つが、今のところ大過なく過ごせている。
子どもや孫、大切な人をなくしたらどうだろう。それは身を引き裂かれるほど辛く哀しいだろう。喪失感は一生消えないだろう。それでも悲しみを胸に抱いて私らしく生きていくことはできるだろう。
私自身が怪我や病気で体の一部の機能を失ったらどうだろう。見えなくなる、聞こえなくなる、喋れなくなる、立てなくなる、歩けなくなる……どれも困る。そうとう不自由だろう。例えば一人で本も読めなくなったら、かなり嫌だなあ。逆に言うと、もし寝たきりになっても本が読めたら退屈もせずに済むかな。でも本が読めなくても、小鳥の声や蛙の声を聴いて日差しや風を感じられたら生きていけそうな気もする。
友達が一人もいなくなったら?それは確かにつまらない。でも友だちなしでは1日も生きていけない、ということもない。以前、山にこもって炭を焼き、その残り火でさつま芋を焼いて食べる(ものすごく美味しいらしい)人の話を読んだとき、こういう暮らしなら友だちがいなくても良さそうと思ったことがある。
お金のないのはどうだろう?これはかなり重大だ。衣食住のすべてにお金をかけられない、常に出ていくお金を少なく、少なくと意識する。「爪に火を点す」という表現があるけれど、実際に火をともしたらそれは火傷の苦しみだ。しかも火はそれほど明るくないだろう。『お金のいらない国』という素敵な本があるが(お薦めです!)現実にはまだそんな国はない。
しかし、1銭もなければ暮らしていけないが、持ち家に暮らしてひと月に10万あれば十分だ。一人暮らしになってからは私はもっと少ない予算で暮らしているが、時には娘にお小遣いをあげたり、自分にご褒美をあげて満足に暮らしている。
結論は出なかった。
(あけびの会 Y・T)
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