「新社会兵庫」 12月26日号
- 米軍がらみの、県民の命を脅かす事故が沖縄であいついで起こっている。2カ月前、米軍ヘリが東村高江で不時着、炎上した。米軍は事故原因を明らかにせず、1週間後には飛行を再開。そして12月13日、同じ機種のヘリの窓が体操の授業をしていた小学校の校庭に落下した。その5日前にはヘリの部品が宜野湾市の保育園の屋根で発見された。米軍は落下を認めない▼驚きと怒りはさらに続く。窓落下事故があった夜、住民の抗議集会の上空をオスプレイが飛行している光景がニュースで流れた。なぜ飛行を止めない▼そして、さらに信じられないような報道に出会った。米軍ヘリの部品が落ちた保育園に、「自作自演だろう」「そんなところに保育園があるのが悪い」などの心ない中傷の電話やメールが殺到しているというのだ。これほど事実を無視・歪曲し、悪意に満ちた被害者攻撃がなぜできるのだろう▼米軍に対して強い抗議も措置もとれず、ただ追従するだけで、辺野古新基地建設に邁進する日本政府も、沖縄の人々の心と自然を傷つけている点では同罪だろう▼「普天間は閉鎖して県外、国外移設してもらう。辺野古は造らせない」の稲嶺名護市長の言葉通りだ。1月下旬からは名護市長選だ。
- 取り組みに工夫をこらし、「3000万署名」の拡大を
- 先日、驚いたことに自宅のポストに「9条で日本は守れない」と訴えるチラシがポスティングされていた。日本会議兵庫県本部を連絡先とする「美しい日本の憲法をつくる兵庫県民の会」のもので、思わず2つの集会のことが思い浮かんだ。
ひとつは、総選挙直後の10月25日に「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(事務局は日本会議)が都内で開いた「今こそ各党は憲法改正原案の国会提出を!国民集会」だ。総選挙で改憲勢力が3分の2を大きく上回る議席を確保したことで「今こそ、憲法9条を改正し、自衛隊の存在を明記することが何よりも求められている」とする決議を採択した。 もうひとつは、11月27日の「日本会議・国会議員懇談会設立20周年記念大会」である。自民党、希望の党、日本維新の会から30数人の国会議員も参加。自民党憲法改正推進本部顧問の下村元文科相は「来年の通常国会にはわが党として憲法改正発議ができるよう、憲法審査会で改憲案を提案できるよう頑張る」と表明。「いよいよ我々は憲法改正実現のための正念場を迎えている」とする宣言文も採択。さらに、その場で「九条の会や護憲派には負けられない」とし、全国289の小選挙区に改憲推進組織をつくり、来年の憲法記念日には組織をあげてフォーラムを開催するとの方針も示されたと報じられている。>
日本会議が改憲国民投票に備えて「憲法改正のための1,000万人賛同署名」運動を展開し、名簿づくりに取り組んでいることはすでに知られていよう。署名用紙には「この『賛同』署名は国会へ提出する請願署名ではなく」、「『1,000万人賛同者』は憲法改正が成立する『国民投票の過半数』(約3000万票以上)を実現するための国民ネットワークづくりで、名簿は憲法改正実現のため情報提供や国民投票の際の呼びかけなどで活用させていただく」との断り書きがあり、電話番号も求めている。
前置きが長くなったが、改憲派も草の根的に改憲に向けた国民運動の取り組みを意識し、目指していることは間違いない。
状況把握のためには、自民党憲法改正推進本部の動向や衆・参憲法審査会での議論の状況などもおさえておく必要があるが、紙幅の都合でここでは触れられない。ぜひ、本紙の「改憲の動きをウォッチング」を参照してほしい。ただ、自民党憲法改正推進本部は、当初目指していた、いわゆる改憲4項目についての改憲原案(条文案)の年内のとりまとめは困難だと判断し断念したようだが、通常国会での提案の線は崩していない。
こうして、基本的にはわれわれはいよいよ改憲国民投票を意識した運動を構えなくてならない状況に置かれている。安倍改憲戦略に対する当面の最大の運動の戦略課題は、安易に改憲発議ができないような政治状況をつくり出し、改憲発議そのものを阻止することである。国会での野党共闘の必要性は言うまでもないが、それと呼応する大衆運動、市民と野党の共闘を大きく構築していくことだ。
今年9月に出発し、いま全国の統一闘争として取り組まれている「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」、いわゆる「3000万署名」運動は、こうした課題の中に位置づけられた大運動である。すでに多くのところで取り組みの強化に向けた議論や目標設定、行動が本格的に始まっている。来年5月末までの半年近くの運動期間で、どれだけ運動を盛り上げ、安倍政権に改憲発議、国民投票を躊躇させるような運動の気運をつくり出せるかが問われよう。改憲発議をめざすものにとっては国民投票で敗れることは絶対に許されないことだからである。
ただ、これまでの署名運動の実績からしても3千万という目標はとてつもなく大きな目標である。ちなみに戦争法反対署名は2千万の目標に対し1600万の集約だった。したがって、これまでと同じような取り組みでは到底成功しない。この機会にあらゆる知恵や工夫をこらし、多くの人が憲法と向き合えるように、さらに大きな構想を持つ必要もあろう。運動の枠組みを新たに広げていくことも必要だ。注目してもらえるような新たな運動のツールづくりも考えてみる必要がある。
まずは、自分たちと同じように署名を集める人をどれだけ増やせるかがひとつのポイントであろう。署名運動を通して草の根的に憲法問題を広げ、改憲を許さないという世論を大きくしていかねばならない。地域ではすでに新たな実行委員会づくりなども始まっている。独自の運動の強化に加えて、共同の広がりが追求されている。そして、もう一つ強調されるべきは、憲法・改憲についての“対話”の大切さである。いろんな考えの人たちとの対話を重視して戸別訪問を計画し出したところもある。寒い中だが、全力で頑張ろう。
上野恵司(憲法を生かす会・ひょうごネット事務局)
- 誰もが安心して働き続けられる職場を
- 自治労県本部の青年部で役員になったころ、大会では「誰もが定年まで安心して働き続けられる職場を」と提起していた。30代の頃は、そう深く受け止めることもなく、それが当たり前なのにと思っていた。
しかし、毎年職員は減り、仕事量は増え、労働密度が高まっている。きゅうきゅうとした働き方が蔓延し、どの職場も余裕がなくなってきた。部署にもよるが、雑談する余裕は年々減っている。部署を超えた連携は必要なはずなのに、法改正などで新しい業務が発生すると、その仕事を押し合いへし合いし、責任転嫁しようしようとする。仕事は組織に割り振られるはずなのに、よくがんばる職員に仕事は引き寄せられ、不公平感が生み出されている。女性職員はなかなか係長や課長にならない。なっても、議会対策や苦情処理で重圧から50代で辞めていく人も多い。
役場に入った頃、先輩や役付きの人が飲みに連れて行ってくれたが、その雰囲気も今ではなくなった。賃金の削減が影響していると思う。昔の部長級は年収1千万円だったが、今は800万円である。200万円の減収は大きい。民間企業も同様だろう。福利厚生もどんどん無くなり、全職員が集う旅行もなくなった。宴会をしながら世代の違う後輩や先輩・上司との繋がりは希薄になった。
職員同士でもそうなのに、雇用形態の違う行政職と現業職、正規と非正規の間ではなおさらである。同じ釜の飯を食えなくなった働き方を改革しなくてはならない。
自治体には今後、会計年度任用職員という新しい制度が導入される。どうなっていくのか手探りの状況であるが、誰もが定年まで安心して働き続けられる職場を希求していかなくてはならない。
北川寿一(はりまユニオン副委員長)
- 「働き方改革」の先に
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我々の賃金は公平・公正なものだろうか?まあ、そんなことはないだろう。正規と非正規での格差、大企業と中小企業との格差、職種やキャリアで隠蔽された男女間の格差、あるいは労働者の権利がなんら保障されないような待遇で働く外国人研修生。現代において、大半の人は労働力を売って賃金で生活を営んでいかざるを得ないが、賃労働そのものが大きく揺らいでいる。年功給の廃止、能力主義、成果主義、頻繁に変わる複雑な賃金体系。「朝三暮四」という言葉がある。猿にトチの実を朝三暮四やるというと怒ったが、朝四暮三やるというと喜んだという故事から、うまい言葉でだまくらかすことの意であるが、「生計、くらし」という意味もある。搾取を覆い隠し労働の対価であるという装いをする賃金はまさに朝三暮四のようだ。
以前、八代尚宏という「規制緩和」が大好きな人は、「本来、正規社員とくらべた非正規社員の賃金・労働条件の格差の要因は、正規社員の仕事能力にかかわらず、その地位が保障されているという特異面から生じる面が大きい」と言った。もっと正直に竹中平蔵はテレビで「正社員をなくしましょう」と言った。
「同一労働同一賃金」を看板にしつつ、低位に合わせて賃下げ、社会的に獲得された成果でもある「正社員の労働条件」(正社員といってもピンキリなのであるが、基準的モデルとして公務員の労働条件等があげられる)を解体する。高度成長期以降、労働者は一定の社会的な地位や保障を得ることができた。それはすべての労働者ではなかったが、かなりの層の労働者が終身雇用の正社員として安定した賃労働を行うことができた。これは労資の安定帯としても機能した。労働者の集団的な存在である労働組合が社会においてしかるべき地位を占めていたのもそのころであった。
資本主義の行き詰まりから、資本は新自由主義政策を求めるようになる。『新時代の「日本的」経営』(1995年)のように、労働者を分断差別し、より流動化した労働市場をつくりだす案が出てくる。派遣法が変わり、製造現場でも派遣や請負が当たり前になった。賃労働はより不安定になっていく。賃労働の重要度は変わらないものであるにもかかわらず軽視され、社会的地位を低下させ、一方で金融投機がもてはやされ、大企業のCEOは莫大な報酬をふんだくることを当然とする社会が実現した。
市場の原理がすべてを決定する世界では労働は商品にならざるを得ない。企業が成長しなければ未来がないとあらゆる場面で喧伝される。なぜ、我々は株式相場に一喜一憂しなければいけないのか、労働者同士で競争しなければならないのか、我々にとってより良い世界とは何なのかを求め続けよう。
(森野 一/38歳)
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