「新社会兵庫」 12月12日号
 「国立国会図書館は真理が我らを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命としてここに設立される」―これは国立国会図書館法の前文の一部である。ホームページで確認できる▼「従来の政治が真理に基づかなかった結果悲惨な状況に至った。日本国憲法のもとで国会が国民の安全と幸福のため任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」(羽仁五郎参議院図書館運営委員長=当時)。この趣旨の下で設立された国立図書館は、だから国会へのサービスは極めて手厚い。議員が求める資料を専門の知識を有する職員たちが揃える。議員が勉強する部屋も用意されている▼残念なのは利用する側だ。今年の国会では遵守すべき立場の国会議員たちが改憲を叫び、総理の身内やお友達が関わる歪んだ行政が行われたのではないかとの問いに答えようともしなかった。国会審議そのものが真理の追求とは程遠い空疎なものだったが、さて図書館を利用する議員はどれ程いただろうか▼図書館は広く国民誰でも利用できる。憲法はここにも生きている。図書館法がある日改悪されることのないよう真理を追求し続けるのは私たちでもある。
非正規にも安心して生み育てられる権利を
 派遣労働者のマタニティハラスメントの相談に取り組んでいる。外国人救援ネットからの紹介で、11月下旬にブラジル人夫婦が相談に来た。
 派遣元に登録してから8年になる。現在の派遣先は、六甲アイランドにあるコンビニ弁当の製造会社。5月から派遣され、8月に妊娠がわかった。仕事は食品の運搬で重い物を持つ。妊娠報告後、派遣先は相談者にアルバイトを1人つけ、負担を軽減した。ところが、派遣先はそのことが負担になり、相談者を掃除部門に異動させようとした。相談者が異動を断ったため、「働くところはない」「自分で働き先を探せ」と派遣元担当者から言われた。
 派遣元に連絡し、負担軽減を要請したところ、「働けないなら休業補償をする。産休・育休は取得できるようにする」とのことになった。
派遣労働の難しさを痛感した。派遣は「労働力の提供」で、派遣元が派遣先と契約してい る部署に労働者を派遣する。派遣先が派遣元と契約している部署が、妊婦が働くことに適さない場合、派遣先はどこまで配慮しなければないのか。法律では派遣先にも母性保護が適用される。しかし実態は、「働けない妊婦はいらない」というのが派遣先の本音だろう。結果的に、派遣先は責任を負わなくなることが目に見えている。
 「派遣労働」という出産・子育てがしにくい働き方を推奨する一方で、子どもを育てながら働くことを勧める政府の厚顔無恥さに、改めてイラッとした。
 今年1月、有期労働契約労働者に対して、育児・介護休業の取得要件が緩和されたが、育児休業を申し込んだときに、子が1歳6ヵ月に達する時点で、契約が継続されることが条件となる。働き続けることの難しさを感じる。妊娠・出産を理由に解雇できないが、妊娠・出産を理由にしなければ雇い止めができることになってしまう。妊娠中・子育て中の女性が会社と争って雇用を確保することは、心身ともに負担になる。泣き寝入りしている人は多いはず。
 出産は経済的負担も大きい。働けなくなる不安は胎教にもよくない。働く視点で、安心して出産するためのサポートをしたい。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長)
沖縄・辺野古とガマから学ぶ
 今年の7月1日〜3日、沖縄・辺野古新基地建設反対の座り込みと戦跡地巡りに東播地域のメンバー7名で参加しました。
 1日目、辺野古に向かう道中、どこまでもつづく有刺鉄線、あちらこちらに小高い山のような燃料タンクと弾薬庫……、基地の広さと重みを感じました。
 辺野古到着後、まず海岸へ。鉄条網に一杯くくりつけられた全国からの寄せ書き。そこから遠くに米軍基地、キャンプシュワブが見えます。海は青く輝くような色の濃さ、私の目にも映る七色の海に感銘を受けました。「自然豊かなこの海、私たちの宝」を守りたい。 キャンプシュワブのゲート前での最初の座り込みでは、右翼の街宣車が大音響で妨害。私達も負けずにと、参加メンバーのあんこうズの漫才とカチャーシ踊りで意気揚々と合流。テントの中は沢山の人達で盛り上がりました。
 2日目は戦跡めぐりに。まずは読谷村近くのチビチリガマへ。沖縄戦時、ガマ内の日本兵が、住民を残したら軍の機密を漏らす恐れがあることから、「生きて辱めを受けるな。米軍に捕まれば犯され、殺される」と迫る(命令する)なか、母がわが子を殺し、兵がガマの入り口で布団に火をつけ、ガマ内は、酸欠状態で地獄の様相になったという話を聞きました。煙で苦しむより「殺してくれ」とガマから出たことで一部の人は助かりました。140名のうち84名が亡くなったとのことです。その半数が子どもでした。
 片や、千名あまりの村民が避難していたシムクガマでは自決することなく全員が投降し助かりました。何故助かったのか?戦争になってハワイ移民から帰った住民が「捕虜になることは恥ではない。生きることが美徳、『命どう宝』なのだ」と説き、「米軍は捕虜には手を出さない」ことを知っていて、自決を思い止めさせたのだと聞きました。日本軍が関わったガマなどに死者がでたのです。天皇制の呪縛と皇国臣民化教育を刷り込まれたことが強制的に死に追い込んだのです。
 歴史を紐解くと、1609年の薩摩藩の軍事介入によって琉球国は薩摩藩の支配下に置かれ、沖縄は本土の犠牲を強いられ続けます。一人ひとりの住民が苦しみを抱え、1879年には「琉球処分」。やらずぶったくりの本土の政策で、沖縄はさらに貧しく、食べる物も不足し、1899年にハワイや1906年にペルーなどへ移民に出かけだします。
 沖縄県民の「諦めない信念・誇り」や明るく軽やかに伝統文化のカチャーシ踊りを守り、人間らしく生きる姿を目のあたりにして、私はあまりにも知らないことだらけに衝撃を受け、正しく知ることの大切さ、そして、「加害者にならない」と思うことができました。 
(菅野 順子)