「新社会兵庫」 9月27日号
- 民進党は蓮舫代表になり、幹事長に野田佳彦氏を起用した。報道によると同党内にも異論は強くあったようで、議員総会では代表の提案は「まばらな」拍手で承認されたらしい▼「そりゃ(野田幹事長)、ないだろう!」と思っていたら早速、ネット上にも反応が現われていた。「蓮舫新代表は、これほど○○だとは思わなかった。前民主党をつぶした張本人を再度出してきて。何考えているのだ」等々。せっかくの野党連合が吹っ飛ぶのではないか、民進党がさらに国民にそっぽを向かれるのではないか、と危惧する書き込みも見受けられた▼民進党の幹事長が誰になろうとわれわれが何か言う筋合いはない。が、それにしても、自民党も手を拱いていた消費税アップを「決められる政治」などと言いながら国民の意見も聞かずに自民党と手を携えて決めた。挙句、大口たたいた衆院解散でぼろ負け。政権を明け渡す羽目となり、安倍「長期」政権の地ならしもした。謹慎中かと思いきや、安倍の消費税10%アップ先送りを審議する予算委員会に出てきて、いきなり「総理、お久しぶりです」と能天気な質疑を始める。「ちょっと、この人どうなってんの?」と思った人は少なくない。この方が民進党幹事長である。
- 介護保険制度の見直し問題
「社会保障ネットワーク」立ち上げ、自治体へ要求を
■はじめに - 介護殺人・介護心中が後を絶たない。「一緒に死にたい」「手にかけてしまいたい」と思ったことがあるという人が4人に1人に上っていることが明らかになった(2010年〜2016年・NHK調査)。具体的には「死んでくれたら楽になると思い、枕に母の顔を押し付けたことがあった」「絶望し、親子心中や自殺を考えた」等々、事件にはならなくとも追い詰められた状態で日々介護をしている人が決して少なくはない。その背景にあるものは何か。様々な事情が考えられるが、介護保険の制度問題もその一因と考える。
長寿化・核家族化による家族介護の限界から介護の社会化を謳って、2000年に介護保険は成年後見制度との両輪でスタートした。猛スピードで超高齢社会に達したこの国は、「保険方式」の介護保険では将来的に制度が破綻することは想定されていたはずだ。この16年間、制度の矛盾が露わになるにつれ介護の社会化とはかけ離れた厳しい現実が浮き彫りにされてきた。
■「介護離職ゼロ」と逆行する見直し 安倍政権は、新3本の矢の一つに「介護離職ゼロ」を掲げた。働く人の家族介護による離職をなくすために施設や在宅サービスの充実を並べている。しかし、このたびの介護保険の見直しは、これとは全く逆行するもの。超高齢社会の真っただ中、年々膨れ上がる給付費抑制のための体の良い“切り捨て”だと言っても過言ではない。
このたびの見直しの主だったものを挙げてみる。
@「要支援1・2」の訪問介護・通所介護を介護保険から外し、自治体の総合事業に移行させる。その受け皿は十分にあるのか、居場所を奪われる人が出てこないか懸念される。
また、総合事業は、「現行相当サービス」と「訪問介護A」・「訪問介護B」の多様なサービスに分けられ、無資格者や住民ボランティアが従事できるようになる。それは、結果として介護職員の専門性と社会的評価を低め、介護サービスの質の低下につながりかねない。その傍ら、既に介護保険外しの対象者は「要介護1・2」までに拡大されようとしている。
A特別養護老人ホームに入所するのは今でも容易ではない。このたびの見直しで新規の入所基準は現在入所している人を除き「要介護3」以上という線引きがされた。つまり「要介護1・2」は入所資格すら失ってしまう。
前述の見直しと照合すると、将来的に介護保険の対象者は「要介護3」以上の人のみに限定され、それ以外の人は自治体にお任せ……ということになるのではないだろうか。
B介護サービスの利用料は、一律1割負担だが、昨夏から比較的収入の多い高齢者は2割に引き上げられた。このことから、今後ますます対象者が拡大され、負担率の増加で増額される可能性が高くなると思われる。
C施設利用者のうち、低所得者でも配偶者課税や預貯金があれば施設の部屋代・食費の補助(=補足給付)が削減される。そのチェックにマイナンバー制度が利用される。
D介護保険を利用する場合、『あんしんすこやかセンター』の窓口で基本チェックリストが用いられるが、これは、生活保護での“水際作戦”のようなもので、総合事業への移行を押し付け、要介護認定の申請という入口が封じ込められる懸念がある。
■ストップ!憲法13条、24条の改悪
このたびの一連の見直しは、介護保険料を払っても介護サービスを受けられない状況を生み出す。このことからも介護保険は“国家的詐欺”だと言われても仕方あるまい。
さらに、この見直しと並行して進められているのが憲法13条、24条の改悪だ。自民党の憲法改正草案には「個人ではなく家族が尊重されるべき」「家族は互いに助け合わなければならない」旨が記されている。家族制度の復活により、家族介護への逆戻りを促そうとしているように思える。
■この秋、小さくとも改悪に抗う運動を!
介護保険は十分に周知されぬままスタートし、10数年を経て再び十分に周知されぬまま改悪され、社会保障の体をなしていない介護保険になろうとしている。
今、議会で質疑しながらその一方で介護保険の出前講座に取り組んでいる。ところが、話し終えると必ずと言って良いほどに「年寄りは早よ死ねってことやな」と参加者は口を揃えて言う。しかし、それで“おしまい”にしてはならない。少しでも“希望”につなげるために『安心と笑顔の社会保障ネットワーク』の結成を仲間とともに準備してきた。利用者を、介護者・職員を、介護事業者を守る視点で、小さいながらも自治体への要求運動に取り組む。“介護”は人権そのものである。人間らしく生きる権利を、人間らしく死ぬ権利を追求していきたい。
小林るみ子(神戸市会議員)
- 外国人労働者の雇用に言葉の壁
- 今、はりまユニオンが受けている相談や交渉している案件には、外国人労働者から寄せられる相談が多い。
7月から継続して相談を受けているベトナム人労働者は、在留資格が「技術」であり、契約書には仕事の内容が明記されているにもかかわらず、全く別の単純労働に従事させられ、さらに基本給には定額残業代を含んでいるとして残業代が支払われていないと相談に来た。何回も話し合い、会社と交渉することになっていたが、転職するというので保留にしている。
また、以前から相談のあるブラジル人労働者は、半年契約の更新で7年間働いてきたが、8月20日まで雇用契約があるのに6月23日で辞めてくれと言われた、というものだ。会社は残り2カ月分の給料を払うと言ったのでそれで辞めたが、給料をもらったら40%以下しか払ってくれていない。100%払わないといけないはずだと相談に来た。日本語が十分に理解できないので辞書を引きながら話し合った。実は6月23日に解雇ではなく、8月20日で雇い止めになったようだ。6月23日から8月20日までは会社都合の休業扱いで平均賃金の60%が支払われたようである。6月にも会社は中国人の実習生を入れ、自分は解雇されそうだと相談があったので、辞めないと拒否するように言ったが、残りの契約期間の賃金を払うと言われたので、雇い止めに同意し、賃金の100%補償をきちんと確認せずに辞めたようだ。今になって言っても難しいが、社長に100%払ってくれと交渉するしかないと言った。
外国人労働者を低賃金で使おうということで、日本語(契約書内容)の理解が十分にできていない中で契約をさせ、企業が都合のいいように労働させている。
これからも外国人の関係する労働相談が多くあると思うが、言葉の問題が今後の課題だと思う。
横山良介(はりまユニオン委員長)
- 幸せに生きるために働く
 - 父が逝き3年。先に逝った母と一緒にようやく納骨できた。仏壇も弟の家に移り、実家の掃除に行くと、誰もいないという感が強くなった。それでも自分の考えを組み立て判断する基準には否応なく親の影響があり、姿形はないがどうにも切り離せないものだとつくづく思う。私の場合、特に父親の影響が強いと思う。
2歳下の弟は、いつも母にべったりくっついていた。甘いものが好きで母がつくるぜんざいも、お芋のおやつも大好きなのでそれでよかった。ただ、そうなると姉と言っても幼児の頃は手がかかり、それを引き受けたのが父だ。
物心ついて、私の記憶の中には父の日曜大工の横にも、晩酌の横にも居た気がする。日直に出る父についていき、1日事務所で仕事する父の横で貰ったメモ用紙と事務用品で遊んでいたように思う。必要なことしか話さない父と、何となく阿吽の呼吸で過ごせる娘になっていた。中学生の頃、日曜大工しながら父が話したことが、その後の自分の人生の基準のようになった。それは「人間の不幸というのは、金(生活)のために黒いものを白いですと言わねばならないことだ」「女の人は結婚したら幸せというが、どんなに素晴らしい相手でも、先に逝かれたら、子どもが残されたら、生きていくためにどうしても生活の糧がいる。自分に仕事がなければ嫌な相手でも再婚するか、身を売るしかない」「それが嫌なら、結婚しようがしまいが、自分は何とか食べていける仕事を持て」―女でも仕事をしろ、それが幸せに生きる道だと。
父はすぐ上の姉と共に借金だけがあった家の生計費のため、子どもの頃から近隣の農家で桑の葉摘みを手伝うなど働き通してきた。私は伯母から、お金がない苦労をしたが、背筋を伸ばして働いてきたのがお前の父だとよく聞かされた。中学生の娘にとって、意味が理解できていたかどうかは別にして、「幸せに生きるために働く」ことが間違いなく基準になった。
就職し、労働組合に首を突っ込むきっかけも、「幸せに生きるために働きに来た場所で、病気をこじらせて人生を棒に振りたくない」と思う出来事があったからだ。
必要なことしか話さず、格好つけや今でいう「上から目線」を嫌った。人の世話はできる間はすればよい、いずれ世話になることもあるからと、地域の仕事も引き受けていた。私が高校を卒業し、明日から仕事という日、「教えられるのは酒の飲み方だけ」と、悪酔いしない飲み方を教える現実主義者でもあった。
似てしまったなと思う。可愛く立ち回れない。はっきり物を言ってしまう。でも、まあいいか。お陰でここまで間違わずに歩いてきた。晩年はわからないことが増え、苛立つ表情の日もあったが、お父ちゃんの人生は良い教材でした。
(岡崎宏美)
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