「新社会兵庫」 6月28日号
 辞職には追い込まれたが某前都知事のあまりにも見苦しい言動のせいで「せこい」という日本語が「SEKOI」という国際語にまでなってしまったらしい。この伝だと次は「DAMASHI」が世界に広がらないか心配だ。そう、「騙し」である▼安倍首相は、自らの“執念”である改憲問題を参院選では敢えて封印し、争点化を避けている。任期中の改憲の意欲まであからさまに語った御仁だのに、経済政策、アベノミクスが争点だと言い募る▼だがこの手法は今度で3度目だ。13年の参院選では経済重点の公約を掲げて圧勝。その後、公約では触れなかった特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の行使容認に突き進んだ。14年暮れの衆院選でも「アベノミクス解散」と銘打ち、与党で3分の2超の議席を維持するや、昨年の戦争法の強行成立に結び付けた。経済で国民の関心を呼んで多数の議席を獲得し、あとは得た数の力でしたい放題をするという謀だ。今回も、アベノミクスで選挙に勝ち明文改憲へと突き進む魂胆は明白だ▼しかし、もう騙されることがあってはならない。破綻が明らかなアベノミクスの効果は大資本と大金持ちをさらに儲けさせただけだが、国民を騙す効果もあったとは言わせない。
労働者の権利についての学校教育を
 以前から、「有給休暇がない」と妻が愚痴る。「経営者にいくら話をしても、全然話にならない」と言う。それなら、「監督署に申告するか、はりまユニオンに行くか」すればいいとアドバイスすると、「そんなこと出来ひん」と逆ギレされる。その妻から、今度は姪の賃金について相談があった。今年から大学に通うようになり、コンビニでアルバイトを始めた。希望の休みを聞いてもらえない、無理矢理残業させられるなど、どうやらプチ・ブラックのようだ。そのため辞めることにしたが、働いた分の賃金を支払ってくれるか心配だ、との相談である。
 「賃金の支払いは、手取り?振り込み?」と聞くと、「わからない」。「支払日は?」と聞いても「わからない」。「契約書は?」と聞くと「ない」。困ったものである。しかし、これが今の日本社会の多数派なのかも知れない。
 人は必ず働く。経営者にしろ、労働者にしろ、そこでは「契約」を結ぶし、労働基準法を守らなければならない。なのに、なぜ義務教育では「労働者の権利」や「契約」について、学ぶ(教える)時間がないのだろうか。これでは、飢えたオオカミの前に子羊を放つようなものである。
 最近、大学で労働者の権利について講義を行っているユニオンの仲間が増えている。講義を通じて、学生自身のバイトを点検するきっかけにもなっている。また、ストライキの実例なども紹介して、なぜ労働三権が保障されているのかを具体的に説明しているとも言う。
 すぐには大学で講義を行うことは出来なくても、年に何回かは公開学習会を行うことは可能だ。全県的にそんな取り組みが必要だとあらためて思った。
 先ほどの姪の件だが、店長がヤンキー風で怖いそうだが、「とりあえず電話でいつ賃金を払ってくれるのか聞くように」と言っている。もし払われなければ、今後のこともあるので、はりまユニオンに行くようにとアドバイスした。
塚原久雄(ひょうごユニオン事務局長)
One for all, all for one.
 今思い返してみると、私がはじめて労働組合というものに触れたのは、高校2年の時に高校の先生が地元の駅前でハンドマイクを使って街宣を行っていたのに遭遇したことでした。当時は、先生が駅前で何を訴えていたのか興味もなく、「地味な先生が目立つ場所でなんかやってる」程度の認識でした。
 卒業して入社した企業には企業内組合がありましたが、労働組合に加入している意識もなく、誰も何も教えてくれることはありませんでした。企業内での活動もレクリエーション以外は無かった組合だったので誰もまともに説明できる人がいなかったのではないかなと、今になって思います。
 私の場合、転職をしてから数年後に必要に迫られて企業の外に労働組合を作ることになり書記長に任命されましたが、書記長って何するん? 団交でノートを用意したのはいいものの、何を書いたらええんや? そもそも書記長って何? というチンプンカンプンな状態でした。
 はっきりしているのは、組合を結成した理由。理不尽な扱いを止めさせたい、会社を今より働きやすくしたい、定年まで安心して働ける会社に変えたいということだけでした。
 幸か不幸か、私たちの場合は、労働組合に加入したことで会社が躍起になって組合に抵抗しました。組合結成以降、次々と起きる会社側からの攻撃に現場で対応しなければなりませんでした。現場での行動、裁判闘争、労働委員会闘争を通じて労働組合がどういう所なのか、経験を積むことで理解を深めていくことになりました。
 会社が私を解雇したことで、労働組合を知っていく時間と環境が与えられました。労働争議だけでなく、原発反対運動、沖縄基地問題などニュースでよく見る闘争の最前線にも行きました。争う相手はそれぞれ違いますが、人を人とも思わない資本の強引な手法に対抗するという本質は同じなのだと感じました。それぞれの争議において問題点は何なのかを考えて参加すると、ただ動員で行った時に比べると理解度が全く違うものです。自分自身の問題として捉えられるか否かというのが重要です。
 私のようなケースはすべての人に当てはまることではないと思いますが、だれがいつ解雇されるかは判りません。理不尽な扱いを受けた時に私たちが出来ることは、泣き寝入りして諦めるのか、環境を変えるために立ち上がるのか、選択肢は大きく分けて2つだと思います。
 私は数名の仲間と共に泣き寝入りすることなく立ち向かいましたが、想像を絶する困難の連続でした。諦めそうになった時、くじけそうになった時、そんな時に支えてくれたのが仲間の存在でした。1人では克服できないことでも力を合わせることで乗り越えられるということを経験から学びました。他人には出来ないことでも自分にできることが1つはあります。
 労働組合運動は自分たちがしてもらったことを同じように違う人に行うことの繰り返しなんだと思います。7年前に判らなかったことを理解させてくれた環境に感謝してさらに成長していきたいと思います。
(梅村健・34歳)