「新社会兵庫」 5月24日号
- 朝鮮労働党が36年ぶりの第7回党大会を開いた。率直に言って“36年ぶり”とは驚く。われわれも「政党」とは無縁というわけでもないので、36年間大会を開かない党とはどういうものだろうと不思議に思い、かの党の規約をみた▼「党大会は党の最高機関である」「党大会は党中央委員会が招集し、党大会招集日は6か月前に発表する」「党大会の事業は……」とあった。中央委員会は全員会議を1年に一度以上招集すると明記されているが、大会はどんな間隔で招集するかの記述はない。あながち規約に反しているというわけでもないのであろうが、異常は異常である▼ちなみに、この国の憲法11条「朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の領導の下にすべての活動を行う」という規定も、われわれにはどうも座りがわるい。党大会の開催を国民があげて祝賀するというような光景にはやはり馴染めないのだ▼北朝鮮を揶揄するマスコミに阿諛追従(あゆついしょう)はしたくないが、漫画的な個人崇拝も含めて、つい拒絶感のようなものにとらわれてしまう。しかし、「民主主義」ということでいえば、妄言を繰り返す安倍が首相の地位にある日本の社会とどれほど違うのか。改めて考えてみなければならないと思う。
- 「一億総活躍」の底にある自民党改憲案の国づくり
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参院選が近づき(この号発行の頃には、あるいはダブル選挙必至となっているかもしれない)、受けねらいであろうか、「一億総活躍云々」をはじめとする安倍政権の政策発表が盛んである。
多くは打ち上げ花火であり、ケバケバしいショーウインドーの飾り立てであり、見え透いた一夜勉強の答案準備である。曰く「保育士の月収を一般並みに」、曰く「介護労働者の時給を大幅引き上げ」、曰く「女性の活躍」、曰く「同一労働同一賃金」……。いったい何が、誰が、労働者をかくも低劣な条件に追い込み、途方もない格差を生み出したのか。花火を打ち上げ、ウインドーを飾り立て、答案準備をしている連中である。自らが進めている作用を止めようともせず、反省もせず、いっそう推し進めようとさえしながら、正反対のことを空騒ぎでごまかそうとしている。
例を保育や介護の労働者「不足」にとってみよう。ひと昔前には、これらの仕事に携わっていた人々の大多数は地方公務員であり、それなりの条件や権利が保障されていた。民営化と非正規化という暴風が、これらの人々の働く誇りを奪い、低賃金を押し付けた。労働者の「不足」という荒廃をつくり出したのは、誰だったのか。
生命のみずみずしさが輝く今の時期の植物と違って、安倍政権が「一億総活躍」の鉢に植えたてているもののほとんどは毒葉毒花である。麻薬原料のように植栽を禁じられているものもある。「一億云々」のネーミングからして怪しい。安倍の肚(はら)の中の「一億」の文字は、国民のみんなとか、一億の人口とかを意味するものではない。かつて「一億火の玉」とか「一億玉砕」とかの標語になって、国民を国家の下に溶融させた文字であり、精神的扇動作用や摺り込み効果を計算できる文字なのである。
自民党の改憲案にもあるように、安倍がつくろうとする政治は、個人の尊厳や基本的人権は抑制して、国家やその利益を第一にしようとする政治である。「はじめに国家(支配階級として抱合している資本も含めて)ありき」の政治である。自民党の改憲案では、「日本国民」は「日本国」となり、「公共の福祉」はより国家寄りの「公益ないしは公の秩序」となっている。安倍の「一億総活躍」は、「国家のために撃ちてしやまん」というところに誘導されるであろう「総活躍」である。
国民の間に閉塞感が漂っていることは、安倍政権も認めざるをえない。何か幻想をもたらす一石が投じられなければならない。しかも、それはもっとも強く打ちひしがれている層に響くものがよい。「総活躍」は、女性、非正規、保育、介護……となるわけである。
「女性の活躍」というが、整合性はどうか。自民党の改憲案は、依然として家族主義が幅を利かせ、女性を古い家庭観念や家族・家庭の維持、出産、子育ての磁力から解放しようとしていない。むしろ依存傾向を強めている。
たしかに労働力としての女性労働力に対する需要はあるであろうが、あくまで低賃金労働者としてであり、それを隠す役割を果たすごく一部の上、中級労働者に限られてであろう。女性が差別される理由があたかも女性の側にあるかのように思わせ、それを乗り越えることを促すかのような「女性活躍」論である。
社会全体にはびこる差別こそ女性差別の地盤である。社会全体の地盤としての差別に眼を閉じることはできない。同じくそうした差別に打ちひしがれている男性労働者のたたかいとの連帯を目指すことは当然であろう。安倍の「総活躍」の底に自民党改憲案がめざす国家づくりが込められていることを見落とすことなく、分断のワナに落ち込むことなく対応していかなければならないであろう。
今村 稔(熟年者ユニオン会長)
- 仲間の存在こそ最大の支え
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姫路のゴミ収集業者金田組の従業員に対する地位確認裁判で、神戸地裁姫路支部は2月4日、労働契約法第16条に違反するとして、原告完全勝利の判決をくだした。一昨年7月、2人の従業員が深夜のゴミ収集作業中、ゴミを足で扱ったというだけで解雇になった事件である。
解雇され、2人は安定した生活から一転、地獄のような毎日を送ることになった。この1年半を振り返って、Mさんは、次のように語っている。
クビと言われる前日、社長室に呼ばれた。社長、副社長、その他役員に囲まれ、一方的に質問された。まるでドラマの中の警察の取調べのようだった。
翌日、クビだと言われた時、あぁ、これで終わってしまったんだなあという気持ちだった。「解雇」という言葉がこんなにも軽く、簡単な言葉なんだと感じた。
しかし、同じく解雇されたOさんと話をし、会社への不満や怒りを聞いた時、このままでは負け犬になってしまうと気づき、会社と闘う気持ちになった。
団体交渉での進展が見られず、裁判をすることになった時、家族で何度も話し合いを行った。妻も「なんでこのくらいのことで解雇になるのか納得がいかない」と言ってくれた。
裁判に当たり、一番に金銭的な不安があった。しかし、ユニオンの皆さんの協力、気遣い、的確なアドバイスにより気持ちに余裕ができた。さらに、心強い弁護士の上原康夫先生、共に闘うOさん、そして、その他にもたくさんの仲間がいることに気づき、これなら安心して裁判に臨めると確信した。
その中でもやはり一番大きいのは“仲間”の存在だった。一人では何もできないが、多くの仲間が集まると大きな力になることを今回のことで知った―。
しかし、金田組は2人の職場復帰をあくまでも認めようとはせず、地裁の判決を不服として控訴した。そして、4月から高裁での審理が始まった。
2人の裁判闘争は続きますが、皆様方のさらなるご支援をよろしくお願い申し上げます。
森山容光(姫路ユニオン委員長)
- 被災者生活再建支援法
- 新社会党兵庫県本部の青年委員会でSNS活用の取り組みを始めました。
熊本・大分地震からひと月、余震の怖さに怯え、車でしか眠れない子どもの姿は痛々しい。科学が発達しても人間の力の限界が突きつけられている。
先日、東京で開催されたアイ女性会議のセミナーで宮城県の会員から「被災者生活再建支援法を阪神・淡路大震災時に兵庫の運動でつくっていただき、本当に感謝している」と声をかけられた。また、罹災証明書の発行が遅れている熊本のニュースや、雑誌『科学的社会主義』4月号で日本弁護士連合会の「被災者の生活再建支援制度の抜本的な改善を求める意見書」(16年2月19日)を読み、問題点を再認識した。
この支援法は阪神・淡路大震災から被災市民と市民運動グループ、議員らが力を合わせてつくったもので、私も再三国会への要請行動等に参加した。深夜に労働組合所有のバスで神戸と東京を往復した時は足がパンパンに浮腫んだこともあった。小田実さんの「これが人間の国か」という言葉、「政治にイエローカードを」を意味した黄色のグッズ。今、ネット検索から署名の目標は2500万筆で2400万筆が集まっていたとのことを知ったが、被害は小さかった我が団地でも自治会ぐるみで取組んだものだ。法律の成立は震災から3年後で、阪神・淡路の被災者には付帯決議で遡及適用となり、私有財産に公費の投入はできないという一辺倒の国会答弁を変える一歩になったのである。全国の支援に応えるためにも成立させたいとの思いも強かった。
2004年の鳥取西部地震では住宅再建支援金額が200万円から300万円に増額改正され、2007年には複雑な申請手続きが改善されたとのことである。
しかし、5年前の東日本大震災・福島原発事故では長期避難者などが置き去りにされている。「自然災害」か「原発事故」か、との論争があるようだ。浪江町のホームページでは「自然災害に起因する今回の原子力発電所の事故を支給対象とせねば支援法が死に法となる。復興予算をまず被災者の生活再建資金に使うべき、支援法は阪神・淡路大震災の教訓を受け誕生し、様々な災害を乗り越え改良を積み重ねてきた法律であり、被災地はその精神を受け継ぎ、次につなげる義務がある」と訴えている。
弁護士会の意見書にあるように、罹災証明書重視は、生活基盤である生業・仕事の問題が欠如しており、生活再建を難しくしている。労働相談の数の多さがそのことを物語っている。
支援法の制度見直しを放置したまま、オスプレイの利用や、憲法に「緊急事態条項」を盛り込もうとするような災害を利用する政治は許されない。
支援法の産みの親である私たちにも真の生活再建法にする努力が求められていると思う。
(加納花枝)
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