「新社会兵庫」 1月26日号
アベ政治を許さず戦争法廃止を 2016
NO!辺野古新基地建設、原発再稼働、労働法制改悪
安倍の明文改憲のたくらみを挫く参院選に
戦争法廃止2000万人署名を成功させよう
新社会党兵庫県本部
あわはら 富夫(神戸市会議員)
 今年の干支は申です。「申」の語源は「伸ばす」で、「樹木の実が成熟して、固まってゆく時期」の意味だそうです。しかし、日本の政治の現状は、成熟とはほど遠く、将来を担う若者には貧困・格差が拡大し、子育てもままならない状況です。「下流老人」という言葉に象徴されるように、高齢者は将来の生活に大きな不安を抱えています。しかも、特定秘密保護法や戦争法の成立で、日本の平和や民主主義は危機に瀕しています。
 しかも、昨年秋の大阪ダブル選挙では大阪維新の会が圧勝しました。改革勢力として支持を集めた大阪維新の会も、その後の動きで、自公政権の補完勢力としての役割が明確になってきました。今年7月に行われる参議院選挙で、これらの勢力の台頭を許せば、憲法の明文改憲が現実のものになってきます。戦後民主主義を形成してきた多くの先輩達の努力が水泡に帰してしまいます。ファシズムの危機を叫ぶことは「早すぎても遅すぎてもいけない」と言われますが、現状はまさに「遅すぎる」寸前の状況にあるのではないでしょうか。
 残念ながら、その危機感が野党の側に共有化されていません。「貧すれば鈍す」という諺がありますが、小さくなればなるほど己を守ることに汲々として、周りの状況がますます見えなくなるのです。今こそ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を思い起こさなければなりません。
 戦争法案の反対運動で、党派を超えた結集が「総がかり行動実行委員会」を大きく拡げました。また、SEALDs(シールズ)という学生の組織や若いママ達が戦争法反対運動に結集し、それが60年代、70年代の安保闘争を担ったロートル達を再び戦線に戻すことに大きな役割を果たしました。
 これらの動きが、これまでは「自共対決」を主張し、沖縄を除いて国政選挙では野党共闘を拒み続けてきた日本共産党を大きく動かすことにもなったようです。戦争法が国会で成立してまもなく、日本共産党は野党共闘による国民連合政府構想を発表し、「戦争法を廃止し、立憲主義と民主主義を取り戻そう」との呼びかけを発しました。そして、新社会党兵庫県本部にも日本共産党兵庫県委員会から正式な説明がありました。新社会党は自共対決から野党共闘へのこの路線変更を歓迎し、それがさらに現実化することを求めます。
 すでに、参議院の1人区の選挙区選挙では熊本県で無所属の野党統一候補の擁立が決まり、他の1人区でも同じような動きが顕在化してきています。その多くで、新社会党の仲間たちの努力が垣間見えます。
 今回の参議院選挙をステップにして、衆議院選挙で与野党を逆転してファシズムへの道を食い止めようとするなら、まず参議院選挙の比例区でも政党の垣根を越えた統一名簿方式による確認団体づくりに踏み出すべきです。選挙区も比例区も野党統一候補を選択できるようにすることは有権者にとって分かりやすい選挙になります。比例区での統一名簿方式による確認団体づくりができれば、兵庫選挙区のような3人区でも3人中2人を野党統一候補として擁立することが可能になってきます。いま、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の構えを選択すれば、必ずファシズムは阻止できます。
 その決断を支えるためにも、戦争法廃止2000万人署名を成功させ、全国に党派を超えた総がかり行動実行委員会を形成していくことが必要です。私たち新社会党はその実現に全力を尽くします。

写真:36団体が呼びかけ団体となった「アベ政治を許さない市民でもKOBE」が政党の協力も得ながらほぼ連日の昼間、「戦争法廃止2000万人署名」集めの行動に取り組んでいる=1月11日、神戸市中央区・神戸マルイ前
2016年・年頭に思う
ささやかな決意でできること
灘区平和マップを歩く会 世話人 築山智津子s
 昨年は、「安全保障関連法案」反対の行動を続けながら、「戦争とは何か」、「戦後70年とは何だったのか」、「平和憲法の果たしてきた役割は」などを考えざるを得なかった1年だった。その中で心動かされる多くの人たちや出来事に出会えた。
 例えば、初めてJR六甲道駅前で「戦争法案廃案」のプラカードを掲げて仲間4人で立った時、「短時間ですが私も立ちます」と参加してくれた子どもを抱いた若いお母さん。名前も顔も知らないけれど、あの時の姿を今でもはっきり覚えている。
 また、テレビ放映された沖縄戦の番組で、男性が平和の礎に刻まれた「○○の子」という字を何度も撫でながら話された様子を思い出すと今でも涙があふれる。沖縄戦の時、男性は4、5歳。お父さんは徴用され、お母さんが姉とその男性の手を引き、生まれたばかりの弟を抱いて逃げまどい、やっとのことで防空壕にたどり着いて中に入ろうとすると、「子どもは泣くから入れない」と言われた。お母さんは子ども2人を無理やり防空壕に押し込んで、弟を抱いたままどこかに行った。しばらくして帰ってきたお母さんは弟を抱いていなかった。その男性は「弟は名前さえつけられなかった。何のために生まれてきたのか。弟がかわいそうだ」と何度も何度も礎を撫でながら泣いていた。
 そして自民党勉強会での「沖縄の新聞は懲らしめたい」発言。それに対し、定期的に送られてくる冊子の中で、琉球新報論説委員の松本剛さんは、「私たちは、メディアを懲らしめようとする権力の対極に立ちたい」、「沖縄は、日本の民主主義が成熟しているかを問うとげであり続けるだろう」と書かれていた。カッコイイ? この冊子は年末も古紙回収に出さずに大事にしまっている。
 それから、灘区で開いた「空襲体験を聞く会」で朗読してもらった絵本『よしこがもえた』の中の「こんなふうによしこは死んでしまっていいのでしょうか」という問いかけも。働く女性の交流集会で聞いた「メトロコマース」の闘いの報告も。アフガニスタンで活動する中村哲さんの言葉も……。心に残るたくさんの人や出来事や言葉に出会えた1年だった。
 今年も昨年からの課題が残されたままだけれど、少しの時間とささやかな決意でできることを、周りの人と声をかけ合い、励まし合いながら続けていきたいと思っている。


労働法制の改悪を許さない
ひょうごユニオン
事務局次長 市原 直尚
 自民党が政権に返り咲いて以来、労働法制改悪が着実に進められている。ひょうごユニオンでは2014年1月に県下の労働組合等とともに「労働法制の総破壊に反対する兵庫県共同アクション」(略称=労働法制ひょうごアクション)を結成し、この2年間、労働法制の改悪を阻止するために学習会や集会を行い、さらには街頭宣伝行動でチラシを配布するなど組合員への啓発や市民への訴えを続けてきた。しかし、昨年9月11日に「改正」労働者派遣法が可決・成立。また、同じ国会に提出された「改正」労働基準法は継続審議となりこの年始から開かれている通常国会での成立が目論まれている。
 これまでの労働法制は労働者を保護するための法律であった。しかし今、政権や財界が望み、手にしようとしている労働法制は、労働者をより使いやすくする企業にとって都合のよい労働法制だ。
 「改正」派遣法はこれまでの労働者派遣を根本から変える大改悪で、とくに職場単位で制限されていた派遣可能期間が人単位の規制となり、仕事としては際限なく派遣で置き換えることが可能となるものだ。常用代替禁止の原則がなし崩しにされることは間違いない。
 労働基準法の改悪では「高度プロフェッショナル制度」が設けられる。これまで労働者保護のために労働時間の管理が雇用者に義務付けられ、所定労働時間を超えて働かせる場合は罰則的な意味合いで割増賃金を支払うように定められていた。しかし、この新たな制度が適用された労働者には時間管理は必要なく、会社から命じた仕事が出来上がるまで、1日の労働時間に関係なく、休憩や休日を取らせなくても構わず、残業代も支払う必要が無い。そもそも労働時間管理がされないのだから「残業」という概念が無くなるのだ。労働時間や健康については自己管理するしかない。これまでの働き方でも過労死が社会問題となっているが、この制度が始まるとこれまで以上に過労死に追い込まれる労働者が増えることは明らかだ。
 このようなことをこれまで街頭で訴えてきた。しかし、昨年の安保関連法の反対運動のようには多くの市民、とくに学生を中心とした若年層への浸透はすすんではいない。
 国会で十分な審議もせず、自説の主張しかせず、反対者の声に耳を傾けることのない現政権の姿は、安保関連法も原発再稼働の問題も、沖縄の基地問題もすべて同じである。
 沖縄の基地問題が沖縄だけの問題ではなく、原発問題が原発立地地域だけの問題ではないのと同じように、労働法制の改悪は労働組合だけの問題ではない。広く運動の力で切り開いていきたい。


働く者の命と健康を守る年に
ひょうご労働安全衛生センター
理事長 小西 達也
 昨年は、平和問題だけではなく、労働安全衛生にとっても大変な年でした。女性活躍推進法の成立、ストレスチェック制度の施行、労働者派遣法の改悪などがありました。今年は新たな人事評価制度が本格的に実施され、連動して「高度プロフェッショナル制度」、いわゆる残業代ゼロ法案も準備されています。働く者の健康と安全にとって、さらに厳しい年になりそうです。
 ひょうご労働安全衛生センターは、労災・職業病の撲滅、労働安全衛生対策の充実、被災・り災労働者に対する充分な補償の実現を図るために、労働組合や市民団体、医療機関、そして社会保険労務士、弁護士などの専門家によって、2000年に結成され、2006年からはNPO法人として活動してきました。
 アスベスト、過労死、メンタルヘルス、筋骨格系職業病などに対応していますが、特に西山和宏事務局長を先頭に取り組んでいるアスベスト被災者への支援活動は全国的にも高く評価されています。阪神・淡路大震災時のアスベスト曝露による肺がん・中皮腫も新たに発生しており、震災20年の昨年1月には、関係各位のご協力を得て「震災とアスベストリスクを考えるシンポジウム」を成功裏に開催することができました。
 本年は、新たに実施されるストレスチェックに伴い、パワハラ・いじめの増加が危惧されます。また、新規化学物質による胆管がんや膀胱がんの発生、福祉施設や運輸業での腰痛症の多発、長時間労働による高血圧や糖尿病の増加など、矛盾が噴出しています。
 昨年、神田雅之さんが勇退され、不肖、私が理事長を拝命いたしました。労働衛生コンサルタント資格を活用して、医療面でお役に立ちたいと決意しているところです。労働安全衛生への取り組みを通じて若い活動家が育ってくれることも期待しています。
 人間らしい働き方ができて、いのちと健康を守れるように、ともに頑張りましょう。

困難を突破するのは「大衆の力」
今こそ「9+25」の大衆闘争の強化

私たちはどんな時代に生きているのか
新社会党委員長 松枝 佳宏
 大変な時代である。この原稿を書き始めたとき、北朝鮮の「水爆実験」の報が飛び込んできた。中東の混乱の激化とともに世界中に広がるテロ・反テロ戦争、大量の難民・欧州流入、ウクライナ情勢、きな臭い南シナ海の覇権争い……、世界中が揺れ動いている。「新しい戦争の時代」の到来なのであろうか。 そして、この情勢を利用して、安倍政権は戦争法である安全保障関連の法整備を断行し、米軍と一体となった日常的な軍事共同訓練など戦争前夜の様相である。若き自衛隊員が殺し・殺される事態がいつ、どこで起こっても不思議ではない。  だがどっこい、平和憲法は生きている。だからこそ安倍は憲法に緊急事態条項を創設すべくキャンペーンを始めた。国民の反対が根強い9条改憲を迂回し、緊迫する世界情勢を利用し、「国民の生命と安全を守る」ため、夏の参院選の争点にすると居直る。私たちはこの動きを許すわけにはいかない。「私たちの候補者」をつくり出し、「みんな」で闘うのだ。あまりにも前のめりの安倍政権の動向に、国民の反撃もある。昨年、全国津々浦々で戦争法反対の国民的運動が展開された。今年の年明け、1月4日の国会開会と同時に再開された。これらの動きを強くし、参院選闘争に結実させるのだ。安倍政権に一矢報いようではないか。
 中・長期な視点でのどっしりとした構えを
 官邸を軸に、衆参同時選挙も囁かれている。情勢は不透明で、何が起こっても不思議ではない。「戦後歴史」の転換期である。中曽根は「戦後政治の総決算」を謳い、社会党・総評ブロックをつぶした。それから約20年、途中民主党政権はあったが、その裏切りもあって、今や反対(野党)勢力が弱くなり、安倍の「戦後レジームからの脱却」が進む。戦後憲法体制の総破壊である。
 だが、参院選は「1人区」でも安倍与党に対する野党統一候補の擁立は進んでいない。それどころか、関西では「おおさか維新の会」の動きに戦々恐々で、衆参同時選挙になれば、橋下徹自身が立候補し、安倍と手を結んだ改憲勢力の台頭が危惧されているのである。
 局面を打開する「うまい手」があるわけはない。この困難な状況を突破するのは「大衆の力」しかない。また「大衆の力」に依拠するしか選挙の勝利もないのである。参院選を闘うためにも、逆に中・長期的な視点に立ったどっしりした構えが求められているのだ。私は、労働運動の再生・強化を軸にした大衆運動の強化しかないと考えている。参院選(その準備も含めて)を機にその第1歩を踏み出すのである。
 資本主義の断末魔的な危機の中での闘い
 私は、極端すぎるかもしれないが、「資本主義が断末魔の危機を迎えている」と言ってきた。だからこそ、支配層は必死に「強い経済」の復活を求め、それを支える「強い国家」を目指しているのである。内田樹・神戸女学院名誉教授が〈私たちはどのような時代に生きているのか〉という問いかけに面白いことを言っている。少し長いが引用する。
 「移行期です。地殻変動的な移行期の混乱の中にある。グローバル資本主義はもう限界に来ています。右肩上がりの成長はもう無理です。収奪すべき植民地も第三世界ももうないからです。投資すべき先がない。だから、自国民を収奪の対象とするようになった。貧者から吸い上げたものを富裕層に付け替え、あたかも成長しているかのような幻想を見せているだけです」「若い人の賃金は下がり、法人税を下げ、株の配当を増やす。株をやっている人から見れば、本来ならば社会福祉や教育や医療に使うべき税金を株の配当金に充ててもらっているわけですから、こんなありがたい政権はない」(『朝日新聞』1月5日)。
 新自由主義は資本主義の先祖返りと言われ、「規制改革」の名のもとに資本主義の勃興期の労働者状態が再現されている。しかも勃興期であればまだ「未来」があった。しかし、今日、派遣をはじめ非正規労働者に未来はあるのだろうか。アベノミクス第2弾は「一億総活躍社会」を打ち出したが、その実は「老人から女・こどもまで一億総収奪・搾取社会」ではないのか。また、「GNP600兆円達成」の一つに経済の軍事化がある。防衛省装備庁が発足したが、国を挙げての武器の調査研究、そして輸出、「戦争ほどもうかる商売はない」のである。ローガン(デマゴギー)で動員する姿にワイマール憲法下のナチスの台頭を見るのは考えすぎであろうか。
 破壊される労働・生活……。そのような中で「9プラス25、憲法改悪阻止」の闘いが求められている。そして、実際多くの闘いが闘われている。囲い込むのではなく、手をつなぐのである。その中から「私たちの候補者」は生まれ、「みんな」の闘いになる。それが近い将来の「9プラス25、憲法改悪阻止の共同戦線(仮称)」へ結実していくと確信するのである。今こそ燃えるような議論を期待する。
新社会党・震災アピール(要旨)
 阪神・淡路大震災から21年。県内の復興公営住宅の高齢化率は5割を超え、全国平均25%を大きく上回る。自治会の担い手もなく地域コミュニテイの崩壊が始まり、独居死も後を絶たず、日本の将来を先取りしているかのような状況だ。
 借上げ復興住宅問題では、行政は契約を理由に20年での返還を迫り、早いケースでは今月から契約期限切れを迎える。被災者の運動もあり、行政は年齢や障がい、要介護レベルなどに応じて継続入居の条件を緩和してきたが、自治体ごとに条件が違い、入居者の不安と混乱を招いているのが現状だ。希望者全員の継続入居を認めるべきだ。
 震災アスベストによる健康被害も露わになっている。アスベスト曝露による健康被害問題は2008年に初めて明らかになり、これまで解体現場などで働いていた4人が労災認定されている。そこで働いていた労働者はもちろんのこと周辺住民への影響も十分考えられることであり、潜伏期間が長いため、これからは住民も含めた健康被害が顕著化する可能性があり、早期に発見できる検査体制が自治体や国に求められている。
 阪神・淡路大震災が社会に投げかけた多くの課題から学び、検証してきたことを、南海トラフ巨大地震など確実に迫る大災害に向けて、生かし、備える必要がある。
 新社会党はこれからも被災者の立場に立った震災復興の検証を市民とともに進め、脱原発社会の実現、くらしの再生をめざし、市民の皆さんと手を携え全力で奮闘する決意である。
2016年1月17日
新社会党兵庫県本部
写真:「1.17」恒例の新社会党街頭宣伝行動を行う神戸市議団=1月17日、神戸市中央区
新社会党結党20年
闘いつづけた20年 歴代3委員長が語る
 新社会党は今年3月で結党20周年を迎える。1996年1月1日、日本社会党の基本政策の重大な変更に抗し、衆参5人の国会議員の呼びかけで「新社会党・平和連合」が誕生。同年3月3日の第1回党大会で党名を「新社会党」とした。兵庫では、日本社会党兵庫県本部内での路線・組織運営をめぐる決定的対立から、新たに「護憲社会党」を立ち上げその活動を始めていた地域の総支部・党員が3月10日、新社会党兵庫県本部結成大会を開き(護憲社会党を解散後)、新社会党兵庫県本部を出発させた。  その20年ヘの思いを歴代の3人の委員長に語ってもらった。
【編集部】

改めて原点を思い、つなぐ
岡崎宏美(元衆議院議員)

 古い手帳を手元において、新社会党の結成に全力を挙げていた頃を思いながら、あの時の決意は今も変わらないか、私たちがやろうとしていた運動はつくりだせているのか、改めて自問している。
 94年1月、小選挙区制度導入をはじめとする政治改革法が成立した。造反、守旧派とレッテルを貼られても「ならぬものはならない」と考えた議員たちが参議院では法案否決にまで持ち込んだにもかかわらず、衆参両議長の斡旋による与野党トップ会談で急転成立の道筋をたどることになった。反対した議員は党で処分され、役職を奪われることにもなった。兵庫ではすでに護憲、原発反対、自衛隊は違憲など社会党が社会党たる活動をすすめる党員が機関活動から排除されはじめ、危機感があったが、この政治改革以降は全国的な傾向になっていった。
 そこで、反対票を投じた議員を中心に新しい組織づくりを模索する勉強会が始まった。しかし、当初は30人近く集まった議員も「次の選挙支援」をカードにした地元組織の圧力が強まる中で減少していく。95年が統一自治体選挙年であったために交錯する圧力は大きなものがあったと言わざるを得ない。94年1月から95年12月31日までの私の手帳は組織づくりに走り回った日々の記録になっている。
 一方、兵庫の私たちは自治体選挙に立候補する党員たちが公認もされないという異常事態を迎えていた。少しでも早く新しい組織をつくり立候補する仲間を応援するしかなかった。国会議員など中央の動きより一足早く94年秋、「護憲社会党」を結成し、その委員長を引き受けることになった。翌年の阪神・淡路大震災という試練を支え合い、統一自治体選挙を護憲社会党として闘った。
 兵庫の選択は「後戻りはない」というメッセージになった。旭堂小南陵(当時)さん、國弘正雄さん達が参議院選挙に向けて「平和・市民」を立ち上げるなど様々な模索が始まった。私も立ち上げを呼びかけ、全国各地を回り、95年の大晦日、矢田部理、山口哲夫、小森龍邦、栗原君子、岡崎宏美の5人で結党を確認、届け出ることとなった。
 兵庫の皆さんにとって期待が大きかった結果として、「わずか5人」という失望感を持たれた方もおられ、おしかりの言葉を忘れたことはないが、次の選挙というカードの前に黙していく議員たちが大半だった中で、やりきろうと決意をしていただいた4人の先輩方に当時の私は感謝以外になかった。決して壊さない、仲良く将来に向かって育てたい、そんな気持ちでいっぱいだった。
 3月3日の結党大会には、全国から仲間がかけつけ、ようやく兵庫の孤立感が溶けたとともに、責任を痛感することにもなった。その後、国会議員を無くし、法律上の政党とは認められないことから苦労を続けているが、20年一貫して活動してきたことは無ではないと確信している。何より、厳しい中を党に籍を置き、平和や人間の幸せに生きる権利を守るために何ができるかと考える仲間そのものが大きな財産になっている。もう一度、その原点を思い、これからにつなげたい。

(委員長在任期間=1996年3月〜2000年9月)
写真:1996年3月10日に開かれた新社会党兵庫県本部大会

培った知識と経験を生かそう
浜崎利澄(元兵庫県会議員)

 私が委員長を務めたのは2000年9月23日から2002年3月21日までの1年半。この時期、新社会党は基礎づくりの時だったが、とりまく情勢は内外ともに激しい動きの時代だった。海外では2001年9月11日に発生した「9・11多発テロ」に対し、アメリカは10月7日、アフガニスタンを空爆。国内では、10月29日に日本も自衛隊の米軍後方支援を可能にする「テロ対策特別措置法」などテロ3法が成立。第1次小泉内閣が「聖域なき構造改革」を掲げ、「強いものが勝って当たり前、何が悪い」といわんばかりの政治が行われた。
 この時期、参議院選挙をはじめ知事選挙、神戸市長選挙、尼崎市議会選挙、加西市の県会議員補欠選挙、市会議員補欠選挙と重要な選挙があった。
 参議院選挙は、選挙区に上野恵司(副委員長)を、比例区に岡崎ひろみ元衆議院議員を公認候補として擁立した。この選挙は、とくに新社会党が国会に議席を回復すること、政党要件を回復・確保することが目標の選挙だった。この参議院選挙での特徴的なことは、「世直しネット」と呼ばれた「新社会党の議席を回復させる兵庫の会」が、赤松徳治(詩人)、家正治(大学教員)、氏家都子(弁護士)、佐治孝典(近代日本思想史研究者)、西脇健三(司法書士)、平坂春雄(元全港湾関西地本書記長)の6氏の呼びかけにより結成され、機関紙『世直しネットワーク』の発行を通し、労働者、住民など各階層に会員の拡大や新社会党への政策提言をいただいたことは大きな力になったと思う。また、女性の動きも活発で、岡崎ひろみさんを国会に再び送り「女性の力で政治を変えよう」と「女性と政治ネットワーク・兵庫県」が結成された。
 私たちが「すべての闘いを参議院選挙闘争に」との思いで闘った2001年夏の第19回参議院選挙だったが、結果は「小泉の一人勝ち」と言われたように自民党が圧勝し、政党要件の回復と議席獲得をめざした新社会党は、岡崎ひろみ比例区候補、上野恵司選挙区候補をはじめ、党員、支持労組・団体、支持者の力の限りを尽くした奮闘にもかかわらず、前回よりも大幅に得票を減らす残念な結果に終わった。
 知事選挙、神戸市長選挙でも推薦候補を当選させることができなかったが、尼崎市議会選挙でのつづき徳昭さん、加西市議会補欠選挙での森田博美さんの当選はうれしいニュースだった。また、恵泉寮裁判(神戸地裁)の全面勝利は参議院選挙を前に大きな勇気を与えてくれたこととして思い出される。
 しかし、5期目の1999年の県会議員選挙で議席を失い、県会に新社会党の議席がない状況で委員長を務めたことを申し訳なく思っている。
 結党20年を迎え、お互いに年齢を増したが、労働運動、住民運動などで培った豊富な知識と経験を生かし、21世紀を「平和と共生の世紀」にするため、それぞれの場での新社会党の飛躍に向け共に頑張りたいと思う。

(委員長在任期間=2000年9月〜2002年3月)
写真:衆議院議員、県会議員、神戸市会議員団がそろっての新社会党の街頭宣伝行動=1996年5月1日

今、考える届く「ことば」とは
原 和美(元神戸市会議員)

 新社会党結党20周年、おめでとうございます。何だか他人事みたいで、でもお互いに健闘をたたえ合いたいです。結党時の緊張感や仲間同士の信頼と目指す方向への自信と確信をみなぎらせていたことなどが、ついこの間のことのように思えます。自身の年齢も重ね合わせると本当にすごいことだと思えるのです。そして重ね合わせることのできない年月へとさらに続くことを願っています。
 この歩みの中で、私的には県本部委員長を務めさせていただきました。その任を担える力量もないのに支えていただいた多くの仲間の皆さまに心から感謝とお礼を申し上げます。
 その任期中に国政選挙を何度も戦わせていただきました。困難を承知で、精神的にも肉体的にも、そして財政的にも支えていただき、ともに勝利を目指して戦えたことは私にとっては生涯の財産です。いずれも悔いのない戦いをさせていただき、本当にありがとうございました。供託金没収票を上回った時は当選したかのように皆で喜んだのも、私たちらしくって今思い出してもおかしいです。
 でも、皆さまの期待に応えられなかったことを今でも本当に申し訳なく思っています。私にとって反省しなくてはならないことはいくつもありますが、それは今思えるのですが、私は何にも分かってなかったということです。ある時、一人の若者からインタビューを受けました。私の生き方、選挙を戦ったことなどについてです。私たちが日常使っている「ことば」だって説明・解説しなくてはなりません。彼と話しながら気がつきました。私は何にも分かってない、分かっていなかったということです。
 思えば小泉政権以来、「自助努力」や「自己責任」ということばに多くの人たちが取り込まれていきました。それは、自分を追い込んでいるのは政策的に仕組まれたことなのに、自分の責任へと転嫁させていくことでした。そして自信をなくさせていきました。そのような大多数の人たちに届く「ことば」を私は持っていませんでした。状況の説明はでき、解決の方向も提案できたと思います。でも届かなかった。届く「ことば」を発することができなかったのです。届くためには、相手のことがわからないといけないんです……。私は何も分かっていなかったのです。
 今、若者や子ども達に混じっての日々の中でそんなことを考えています。これからも、共に歩み続けることができたらと思います。

(委員長在任期間=2002年3月〜2010年3月)
 9999万9999に1を加えると、1万の1万倍の1億という数字になる。ところがわが国の歴史では、「1億」と言った途端に、数であるはずのものが、量から質へと言おうか、国家を表す観念に転化した不思議なことがあった▼一億火の玉、一億一心、一億玉砕等々、一億はすべて国家(国体)を表すものとなり、国家に身を捧げることを強制する魔語となった。一億という数の素となるはずの個(一)は、一億(国家)の前では、消えてなくなって当然の無であった▼年が明けても、一億音頭の騒ぎは鎮まらない。予算まで「一億総活躍予算」である。首相は心中、一心、一体という国家に接続する言葉で飾りたいのであろうが、まさかそこまではと「総活躍」の意匠をこらす▼立憲主義という憲法の精神が広がった。国民が権力を縛るという立憲主義と、個人としての基本的人権は国家権力に優先するということは共通項を持つ▼首相が「一億」の言葉にこだわりを持つのは、立憲主義への浸食の企みかもしれない。安倍政治では一億と国民みんなは同義ではない▼私たちは一億総活躍ではなく、みんな一人ひとりが、ということを大切にすべきであろう。個人が輝き、活躍できる社会こそを求めよう。
「耐える強さを変える力に」
 新年早々、関西学生アルバイトユニオンを取材した。インタビューに応じてくれたのは、いま4年生の事務局次長。昨年2月に結成された同ユニオンの活動について話を聞いた。
◇        ◇         ◇
 結成から20件弱の相談が寄せられている。相談の多くが「辞めたいが、どうすればよいか」というもの。業種は、塾やコンビニが大半を占める。いま、初めての団体交渉を行っているが、法違反や自らの非をまったく認めない会社の姿にビックリする。
 学生にアルバイトや奨学金についてのアンケートをしたり、大学や高校で講演会を行う活動などに取り組んでいる。看護大学校の先生から「バイトで実習に来られない子が結構いる」と困られての依頼もあった。
 いま、大学ではビラはまけない。立て看板もダメ。様々な議論をして学ぶ場であるはずなのに、そういう議論する場がない。また、学生の考える時間をバイトが奪っている。バイトの話をすると、しんどいことの自慢話。「連勤自慢」と「寝不足自慢」と「掛け持ち自慢」。どこで聞いてもそんな話しか出てこない。そうなるとバイトをしていない奴は「ダメな奴」となる。バイトをしなくてもよくなることが、ある意味、ユニオンをつくった目標なのに。学費を下げて給付型の奨学金にすればそれはできることだ。
 労働組合は、民主主義を実現する場であるはず。自分の「働く」という状況からスタートして、自分の生きている現状を変えていくための場所だ。ブラック体質で働き続ける若者は、自分で「生きているんだなぁ」って思えなくなっている。自分の働く場所からつながって、そこで考えるということが大切。一言で言うと、団結ということだ。ユニオンをそういう場所にしていきたい。
◇        ◇         ◇
 学生は、議論する場も余裕もなく、それが人と人とを分断しているという。そのために、本来、楽しいはずの労働が苦痛になっていると。まさにその通りだ。労働現場では成果主義賃金や雇用の多様化によって、同僚と話し合うことがめっきり減り、労働組合の活力も弱まっている。
 彼らの「耐える強さを変える力に」というスローガンは、すべての労働者へのメッセージでもある。恐るべし22才。
塚原久雄(ひょうごユニオン事務局長)
いろいろあった昨年
 一昨年につくった女性たちの会「カンナの会」。カンナの花は広島の原爆投下の焼け野原に、たった1か月で芽を出した植物です。どんな時でもたくましく生きていくようなそんな女性でありたいと名づけました。学習会、DVD鑑賞会、講演会、集会、映画などにみんなで参加しながら、政治、原発、沖縄問題等を考えてきました。
 昨年は、私の怪我と病気のために半年ほど休止してしまい、その間に安全保障関連法案は強行採決されてしまいました。今回はその「カンナの会」のメンバーの方に原稿をお願いしたところ、年末年始にもかかわらず、ふたつ返事で書いていただきました。
(尼崎・虫明)
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 安全保障関連法案の成立、沖縄・辺野古の基地移設工事再開、川内原発の再稼働、マイナンバー、18歳以上の選挙権等々、 怖いなあと思ったのは、私達が望んでいないもの、また考えてもなかったものが次々に成立してしまったことです。  あんなに各地でデモが起こり、有識者の反対意見があったのに、安全保障関連法案は通りました。
 その中には、「戦争立法」による海外派兵任務の急な拡大に備え、自衛官が上官の命令に従わなかった場合などに対する国外犯処罰規定の追加もありました。
 安倍首相は、「世界平和のため」とか言いながら私達を安心からどんどん遠ざけているように思います。自衛隊員は初めて他国の人を殺すかもしれないし、沖縄の人は米軍基地によってずっと危険にさらされている。原発も怖い。マイナンバーでは自分の情報が国にスケスケになりそうだし、18歳以上の選挙権は、結構大きなことだと思うのに簡単に通ってしまうし、辺野古の移設や原発の再稼働では天下りの企業ばかりが得をする。安倍首相という強い指導者に知らず知らず怖い所へ追い込まれていくような気持ち悪さがあります。
 でも天皇陛下は、お誕生日の言葉で、先の戦争の被災国を巡り、前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が犠牲になったことを述べました。
 また、「母と暮らせば」という映画では長崎の原爆をテーマにして戦争は2度としてはいけないと伝えています。同じ原子爆弾でも広島はウラン爆弾、長崎では人工的に作れるプルトニウム爆弾であること、爆弾が完成して実験するまで戦争が日延べされたという見解があることもこの映画ではじめて知りました。
 国民もバカじゃない。私も昨年はじめてデモに参加しました。家族も私がデモに参加したことを知ってから、テレビを見ながら少しは一緒に政治の話をするようになりました。夫も息子も保守派で私とは意見が合いませんが、話しをすることが大事ですよね。
 参院選では安倍首相が何を目指しているのかを見極め、安心して暮らせる政治になることを期待しています。
(一主婦)