「新社会兵庫」 9月22日号
 2つの台風が影響し、各地に大雨をもたらした。茨城県や宮城県では川の堤防決壊等により濁流が住宅地に流れ込んだ。避難の間もなく自宅や施設に取り残される人が多数出た。消防、警察、自衛隊等が出動、ヘリコプターによる救出の映像が各局で中継され、4年半前の大震災時、津波がすべてを飲み込む映像と重なる▼大災害が起きるたび自衛隊の働きが取り上げられる。彼ら隊員は捜索救助、瓦礫撤去、給水などの作業を黙々と人海戦術で行う。各地の自然災害地、東日本大震災でも同様だ。今こそ自衛隊を災害救助隊に改編し、殺し合いの訓練から救命と復興の訓練と必要装備増強を図る時ではないか。要請があれば世界に駆けつける救命隊にすればよい▼軍事による安全保障は憎しみの連鎖を生むが、根本的な解決にならないことは今や誰もが実感している。力(軍事力)以外を信用できない考え方は「20世紀の古い概念」といえる。世界の紛争地の原因に目を向けながらそこに暮らす人の手で再建していくための教育や社会保障を応援し続けることが、人の心を勇気づけ、力となるに違いない。国会前や各地に満ちた戦争法反対の声は、この日本国憲法の精神を今こそ生かす時という声である。
前略 安倍総理大臣様
 前略 安倍総理大臣様
 私はあなたが嫌いです。その理由を考えてみるに、あなたの言動に誠実さがないということに行き着きました。
 オリンピック招致のプレゼンテーションで世界に向けて「フクシマの状況は完全にコントロールされている」と演説。汚染水処理や廃炉への道筋が定まらず、福島原発で何か恐ろしいことが起こらなければいいがと不安にさせ、何よりもいまだに10万人を超える避難者がいる中での発言に耳を疑いました。
 国会答弁で「私が総理大臣だから」と強調する姿勢も好きになれません。「だから私の言っていることが正しい。何を言いたいのか」と、他者の発言を受け付けない響きがあります。
 国会でのヤジ、行政権の最高責任者にあるまじき品格のないふるまいです。民主党の辻元議員、蓮舫議員の質問中のヤジに、「女性が輝く日本へ」を政策に掲げながら、「私に歯向かう女性は嫌いだ。従順な女性が好きだ」と聞こえます。
 あなたは政権獲得以来、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、手始めに教育基本法を改悪。次に憲法第9条の改正に向けて、憲法第96条の「憲法改正の発議は総議員の2/3以上の賛成で」の要件を引き下げることを画策しましたが多くの反対にあい、断念。歴代内閣の憲法解釈や長年積み上げてきた国会の議論を切り捨て、一内閣の閣議で憲法の平和主義を否定し集団的自衛権の行使容認を決定しました。「国際環境が変わった」の一点張りで、憲法違反の「新安保法案」を立法化しようとしています。国会で成立する前に米国議会で約束してきたのも許せません。
 あなたは国会答弁で、地球のどこへでも行って米軍の軍事作戦を支援する法律でありながら、「日本が米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。自衛隊の活動範囲が拡大しても隊員のリスクは高まらない」と断言しました。
 7月15日の戦争関連法案の強行採決後は「残念ながら、まだ国民の理解が進んでいる状況でない。丁寧にわかりやすく説明する」と言いました。あくまでも、「法案の説明が不足しているから国民の理解が進んでいない」とし、内容に問題があると理解が進んだからこそ反対の声が日増しに強くなっているとは毛頭考えていないようです。
 思いつくままに羅列してくると、あなたが人の声に耳を傾けない独善的で誠意のない人だと絶望的な気持ちになります。オリンピックの新国立競技場計画の白紙撤回、70年談話の当初計画からの譲歩のポーズは、本質を隠ぺいし戦争関連法案を通すために過ぎないのではありませんか。
 この記事が掲載される頃、戦争関連法案は最終局面を迎えています。私は、この関連法案の白紙撤回と安倍内閣の退陣を切に望んでいます。
草々

(R・F)
大きな変化の予感を感じた大会
 武庫川ユニオン(上山史代委員長)は8月9日、第28回定期大会を尼崎市の出屋敷リベルで開いた。大会には組合員68人や来賓など総勢81人が参加した。
 現在のリベルの会議室では80人が限界だ。労働福祉会館、労働センターを守りきれなかったことが重ね重ねも残念だと改めて感じた。リベルにせめて100人規模の集会ができる会議室の設置を実現したいものだ。
 さて、武庫川ユニオンは、この1年間の闘いでは千鳥饅頭製菓の闘い、アサヒL&Cの不当解雇撤回の闘い、環境学園専門学校の不当労働行為との闘い、パチンコ景品交換の会社である親和福祉会の不誠実団交との闘い、さらには、滋賀での外国人派遣労働者の闘いなどに取り組んできた。
 闘う中でさまざまに成果もあげてきているが、外国人労働者の社会保険加入をめぐる雇い止めの闘いは苦闘している。8月24日は、滋賀県の長浜までひょうごユニオンの仲間たちと抗議行動に行ってきた。
 組織拡大は一進一退であるが、元気だけは失わずに闘い続けてきている。
 武庫川ユニオン結成から27年。活動の経過を振り返ると、大体10年ごとに運動の山がある。ユニオン結成の1988年。阪神・淡路大震災と被災労働者ユニオンの1995年。2008年には「尼崎市役所闘争」のように官製ワーキングプア・派遣労働者の権利確立を掲げた40日のストライキ闘争を闘った。
 そして今、安倍政権の安保法案の強行で日本社会全体が大きく動こうとしている。学生・若者やママさんたちの立ち上がりに見られるように、各界・各層に広がる国民の怒りや意識の変化に私たちユニオン運動が連携することが今、求められている。
 大会では一部役員が交代し、上山委員長をはじめとした役員を選出し、組織の強化・拡大の決意を固め合った。
小西純一郎(武庫川ユニオン書記長)