「新社会兵庫」 9月8日号
 首相の本音に代わって放言するのも補佐官の仕事かと思いたくなる磯崎某のお粗末。続いて国会議員の資質と人間性を疑わせる出来事。すべて汚れた安倍沼から発する泡である▼国会周辺で戦争法案反対を叫ぶ若者に「戦争に行くのが嫌なだけの利己主義者」と嘲罵を浴びせたのが、武藤貴也衆議院議員。「戦争は嫌」というのを「利己主義者」と斬り捨てる感覚には恐れ入る▼戦争は嫌、というのは今日では健全で普通な国民感覚であり、日本国憲法の精神である。武藤議員は憲法99条の国会議員の憲法擁護・尊重義務規定を知らないのであろう。いや、憲法自体を知らないかもしれない▼こんなことを驚いていては、今上演中の自民党茶番劇の下劣さが分からない。「利己主義」と罵ったご当人が、違反な儲けを企んで詐欺を働いた▼かつて糾弾されたリクルート汚職事件を知ってか知らずか、「未公開株」をもち出しての詐欺である。議員枠の未公開株に疑問を抱かなかったのか、それとも議員にそんな特権があって当然と考えるずれた感覚の持主なのか▼辞職の要求に、安倍は行政府の長は立法府のことに口を挟めないという。とぼけるな、武藤を公認した党総裁に辞職させろと求めているのだ。
母の足踏みミシン
 母が使っていた足踏みミシンを持ち帰った。母は4年前に亡くなったが、体調を壊すまでは、色柄が気に入った服を買っては自分サイズに直していた。小さかったころの孫の服、父の服の修理、カーテンの類など何でもこのミシンで作業していた。私が幼稚園に入園する頃、祖父が母に買ったものと記憶しているから、かれこれ60年になるミシンである。2年前に亡くなった父が、手入れ一切をしており、2人の介護に実家に通った8年程の間に父が皮ベルトを取り換えていた記憶がある。とにかく、現役で活躍し続けたのである。
 2人が亡くなり実家は無人になった。今夏の湿度と異常気温は締め切った家にとって大敵で、掃除に行ったある日、木の床一面にうっすらとカビが繁殖しているのに気付いた。ミシンも木の部分は湿った手触りで、朽ちさせては申し訳ない気がして、そのうち形見にと思っていたが、急ぎ持ち帰ることにしたのだ。
 日が当たる、我が家で一番の場所に置いて、糸をセットした。が、動かないのである。ペダルを踏もうとするとガシッ、ギギッ。皮のベルトもささくれているように見えた。子どもの頃、父に訊きながらミシンの掃除をしたのを思い出しながら、埃を取り払い、乾拭きし、オイルを丹念にさした。ありとあらゆる回転部にオイルをさして動かしているうち、ふっと軽くなり、カタカタカタカタと動き出した。
 私は、良い子であった。父からも母からも愛されていたことは間違いないが、大人になって、自分の子どもとの親子関係を通して気付いたのは、特に母からすべての面において期待される子どもであったことだ。ミシンを母に買い与えた私の祖父を中心に、母の一家は複雑な人間関係であった。母は負けず嫌いな性格だったが、金銭的な安定感のある生活は私の両親には勝負の対象ではなかった。母が唯一胸を張れたのは、子(つまり、祖父にとって孫)がいるのは、自分だけだということであり、その長女が、小学校に通い始めると勉強も素行も極めて良い子として、学校でもご近所でも評判を得たことだ。母は「仁木さんのお母さん」になった。良い子でいることは、学校では暮らしやすい。いつの間にか、それが自分と思って生きてきたが、母はその終末まで「どうしたらいい?」「あんたが決めて」と私に答を求めていた。母と娘は、甘えることが出来るというが、最後まで母に甘えた記憶を持てなかった。
 ミシンは60年、泣き笑いや葛藤を黙って見続けてきた。手入れをしてやれば、まだ動きそうだ。母を送って4年。嫌いだと思っていたことも思い出に変わった。ミシンには「思うように生きて良かった」という私を、さて、後30年後くらいに見届けてもらいたい。
(岡崎宏美)
高齢者社会保障制度の破壊にどうたち向かうか
 兵庫県高齢者団体連絡会が主催する学習会が8月24日〜25日、神崎町の「峰山高原ホテル・リラクシア」で開かれた。熟年者ユニオンをはじめ3つの高齢者運動団体から平均年齢70歳半ばの18人が参加した。
 「高齢者社会保障制度の破壊にどうたち向かうか」というテーマで、神戸市職員OBでケースワーカーをされてきた長澤さんと河田さんの2人から問題提起を受けた。
 @先日、新幹線内でひき起こされた焼身自殺の裏には貧困問題があること、A朝日新書『下流老人』(藤田孝典著)で紹介されている高齢者の実態は、他人事ではなく私たち自身の問題であること、B生活保護補足率が2割であり、ケースワーカーが不足していることなどが報告された。
 生活保護を受けることが「恥ずかしいこと」であるという意識をなくすような政策が行われておらず、むしろ、生活保護申請者を減らしたり、生活保護費を減らすような福祉切り捨てが行われていることも指摘された。
 また一方では、「生活保護者がパチンコに」「芸能人の不正受給」などが宣伝されるなかで高齢者運動をどう具体化していくかが大変難しくなっている状況も出された。
 かつて三池闘争では、借金問題や生活保護の問題を労働組合が受け止めて運動としてつくってきたが、そのような運動がその後つくれていない。
 ユニオンなどとして私たちができることを言えば、@生活保護者の声を聞くこと、A福祉事務所などに一緒に行き窓口の実態を知ること、Bもっとアンテナを張り、運動の展望をつかむ努力が求められていることである、と提起された。
 ケースワーカーとして、働く者が「生活保護は受給者の人間性を守り、回復を援助することだ」と自らの仕事を認識すること。高齢者との共通問題として、高齢者も「人らしく生きる」ための運動をどうつくっていくか、「人間としての尊厳」をいかに守っていくかということ。―これらの重要性を認識した学習会であった。
横林賢二(塾年者ユニオン事務局長)