「新社会兵庫」 8月18日号
 安倍政権下の自民党政治、どう考えてもタガが外れているとしか言いようがない。首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言、滋賀県選出の2年生議員は「戦争に行きたくないのは極端に利己的な考え」とデモの若者を罵る。中谷防衛相も「他国軍後方支援での核兵器輸送も法文上は可能」だと、この国の閣僚なら口が裂けても言えないような答弁をする。少し前、党内会議で百田尚樹に「沖縄2紙は潰さないといけない」とまで言わせた▼そういえば、副首相である元首相にも「やり方はナチスに学べ」などという、とんでもない発言があった。挙げていけば本当にきりがない。小選挙区制度のもとでの政治(家)の劣化がいわれて久しいが、まさにその通りの状況が噴出している▼一方で、こうした発言が飛び出しても国会は止まらない。マスコミの騒ぎ方もひと昔前に比べると極めて抑制的だ。戦争法案をめぐって確かに市民の間に「安倍政治を許さない」という機運は高まっているが、自分が東京での国会包囲や節目節目の集会に直接参加していないからだろうか、まだ何かが足りないという気がしてならない。会期は9月末まで。暑いさ中ではあるが不完全燃焼を払拭して自身を奮い立たそう。
敗戦70年 安倍の道を塞ぎ、正しい歴史の道を
 酷暑に出る幽霊などまっぴら御免
 敗戦70年を数日後に控えて、歴史認識の問題が多くの人々の関心を呼んでいる。今の段階で、この問題は十五年戦争を日本の侵略と植民地支配のための戦争として認識するかどうかに絞られている(歴史認識という以上、ほんとうはもっと深く掘り下げられるべきであろうが)。
 さきの戦争が侵略と植民地支配のためであったと認めるならば、それによって負わせた過酷な痛苦に対して中国や朝鮮半島をはじめとする近隣諸国民に真摯な謝罪の念を失ってはならない。われわれ日本国民はそのような負の歴史をつくりだしたことを、深刻に反省しなければならない。そうした謝罪と反省を土台にしてこそ、われわれは未来の歴史に向かうことができるのであり、アジア諸国のみならず全世界に対して友好関係を打ち立てることができるのである。いやしくも過去に断罪された砲艦外交のごとく、対外諸関係の根底に軍事力を置くような考え方は捨て去らねばならない。
 われわれはその証しとして日本国憲法を持ったのであり、「押しつけ憲法論」は歴史の事実誤認であり、恥かしいほどに低次元である。
 一方、敗戦で終わった十五年戦争には軍事技術的な失敗はあったとしても、謝罪、反省を必要とするような歴史的過誤も政治的責任もないという態度を頑なに貫こうとする勢力もある。彼らにとって依然として敗戦は「終戦」であり、十五年戦争は「大東亜戦争」であり、戦争指導者は靖国神社に合祀されるべき神である。しかし、これらの勢力の中にも戦争をあくまで正義の戦争と主張し、謝罪、反省を峻拒するものと、今後の国家や資本の活動になにかと障害をもたらしかねない謝罪、反省はサボりたいとするものに分かれるようである。本気度や頑なさ、軽佻浮薄さなどに幾分の違いがあるにしても、今のところ謝罪、反省はプラスにならないという点では一致しているようである。
 村山談話を泥で塗り潰したい?
 国権の最高機関である国会の審議において、安倍首相は「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と答弁した。これは日本国憲法をもつまびらかには読んでいないと表白したに等しい。ポツダム宣言の受諾が、日本国憲法とともに戦後のわが国の政治、社会の動きにとって最も重要な土台であったからである。このことに疑問を挟む人はいない。いるとすれば、ヒトラーがヴェルサイユ条約を否定したように日本の敗戦を現実にはなかったことと否定しうる人たちのみである。そういえば、戦争法案をゴリ押しする首相に、ヴェルサイユ体制打破を叫んで再軍備を推進したヒトラーの影が差さないでもない。
 ポツダム宣言も読んでいない首相に、はたして敗戦の意味が理解できるだろうか。敗戦70年を語る資格や能力があるだろうか。歴史認識や歴史修正主義にさえ値しない。ポツダム宣言受諾直前で時間が停まってしまった人物の談話に、その内容が右であれ左であれ、内外の敬意が集められるであろうか。「敗戦によってわが国は、日本国憲法を持つことができ、70年間戦争をすることなく過ごすことができました」という名答を期待することは詮無いことであるとしても、せめて歴史を侮辱したり、他国を挑発するような言辞は控えてくれと願うばかりである。
 維新と戦争は二枚鏡だった
 70年といえば「戦後」ということになっているが、逆に敗戦から70年近くを遡れば、ほぼ明治維新である。その後の皇国史観の跳梁、露骨な帝国主義的海外進出、維新を栄光で飾る小説やドラマの数々によって、歴史の流れの正しい読み取りが失われがちであるが、明らかに維新と敗戦はスタートとゴールの関係にある。
 われわれは、いやしくも歴史認識というならば十五年戦争の実像を正しく見るだけにとどまらず、敗戦をもたらした過程が明治維新に始まっていることを看過すべきではない。今から80年前の二・二六の軍事クーデター、それに3年先行した五・一五のテロ事件など(それらが戦争への道程を加速させたことは間違いないが)では、それを美化するためしきりに用いられた言葉が「維新」であった。
 維新という言葉は魔性を持つかのように、戦争を導き、近隣諸国民への侮辱と支配欲を煽り、自らの力の行使を賛美してきたのである。そのことから決して眼を背けてはならない。「維新」という言葉が酔語のように、理性を失わせてきたことを、しっかりと胸にたたみこんで、「維新」という言葉の麻薬に警告を続けていかなければならない。(8月6日記)
今村 稔(熟年者ユニオン会長)
敵は誰?組合って何?
 私は現在35歳。仕事は郵便配達。自分自身に振りかかった問題をきっかけに、労働組合運動には一応10年以上関わっているつもりでいます。
 そんな私が、10年前は職場で言えていたことが今は言えなくなっています。もっと分かりやすく言えば、職場で会社(当局)とケンカできなくなっています。
 なぜか。ひとつには、当然、私の努力が不足しているからです。言い訳ですが、度重なる転勤により仲間を作るということに疲れているのかもしれません。
 でも、それだけではありません。比較的強いと言われていた郵政の労働組合が、私が知っている10年ほどの間にも著しく弱体化しているという事実は否めません。
 それはなぜか。私は、同じ職場で働く人たちの中に労働組合が存在しなくなっていっているからではないかと感じています。このままでは労働組合は消滅してしまうのではないかと危機感を覚えるほどに。
 先日、私の職場でとんでもないことが起きました。数名の組合員さんたちが「(同僚の)○○さんが気に入らないから辞めさせてほしい」という趣旨の相談を分会長にしたのです。分会長は真面目な方なので、当然そんなことはできません。みんなが仲良く働けるための策を講じるようにと会社(当局)に必死に働きかけました。けれど、結果的には数週間後、その○○さんは職場を去ってしまいました。
 けれど、今の職場に転勤してきて3年、少しずつ変化が見えてきました。私が会社(当局)と言い合いをした後、「何を言ってたんですか?」と興味を持って聞きにきてくれる人がちょっと増えてきました。「あそこであんなふうに言うなんてさすがですねぇ」と、たまに言ってもらえるようになりました。昨年転勤した、ほとんど話す機会のなかった同僚から「これからもあなたらしく、あなたの正しい(と思うこと)を貫いてください」と書かれたハガキが送られてきた時には涙が出そうでした。
 敵は目の前にいる同僚ではなく、資本であり、労働組合は働く人の雇用と労働条件を守るために存在するという当たり前のことをもう一度、みんなにわかってもらえるように、これからも職場で丁寧にケンカしていきたいと思いながら今日も出勤してきます。
(二宮基)
人間らしさを奪う労働時間法制の改悪
 「毎日帰宅が遅く、休日出勤もあり、大変心配している」と、ある男性の妻から労働相談が寄せられた。ひと通り話を聞き、労働時間のルールを説明した上で、「一度ご本人と会って話をさせてもらえませんか?」と投げかけた。再度妻から電話があり、面会することとなった。
 上場企業の営業所で責任者をされている50代のその男性は、毎日12時間以上働いている。休日が週1日しかなく、週48時間労働であった。その休日も集金等の業務で出勤している。深夜に上司から自宅に電話が入り、新人の教育や売上などについて厳しい催促がされる。また、自己研修と称してレポートの提出を求められており、時間がないので毎朝5時半に起きて執筆しているなど、仕事が家庭生活を蝕んでいた。当然、ここ何年も有給休暇を取ったことがなく、たまの休みの日も家で寝ているという。
 妻が気にするのも当然だ。こうした夫の働き方に危機感を覚えたのか、妻は、出勤時間や帰宅時間、上司からの電話の内容などを記録し始めていた。
 36条協定や変形労働時間、みなし労働などの協定も見たことがないという。いまどき週48時間の上場企業が存在していることに驚くし、営業所の従業員全員が同じような働き方をしており、休みがないことから若い人がこの営業所で長く続かない。
 ボーナスがいきなり10万円ダウンしても、その説明さえもない。いまの働き方を変え、まともな働くルールを確立するには労働組合をつくって闘うしかない、とその男性には投げかけている。
 いま、国会に上程されている労働基準法の「改正」案(「定額働かせ放題」法案と呼ぶべき内容)は、こうした現実をあまりにも無視したものである。
 経済成長のために労働者の生活や健康、生命が蝕まれていいはずがない。労働時間は、賃金支払いの基準でもある。労働時間と賃金を切り離し、さらには労働者に人間性を取り戻す時間を奪い取る労働時間法制の規制緩和を許してはならない。
塚原久雄(ひょうごユニオン事務局長)