「新社会兵庫」 9月23日号
 別にどうでもいいことだけど、何か変?というか……気になるあれこれ▼電車の車内には、「二宮金次郎」が増えた。最近は勤め人も学生も持ち歩く荷物が多いのか、大きなリュックを背負い、手には本ならぬスマホ。自分の背中の荷物が満員の車内で他の乗客にどう影響を与えているかなどを考えるより、スマホの画面に真剣に見入っている。いったい何のお勉強をしているのかしら▼荷物の量は少なくても、多くの人はスマホ画面に見入っている。皆うつむいている。耳にはイヤホンの人も多く、混雑の中にも、周囲とは無縁の自分の世界をつくっているのだろうが、青く澄んだ空に浮かぶ鰯雲や、街中でも群れて飛ぶ赤とんぼに気付くことはあるのかなあ▼道を歩いていても、スマホから目が離れない人が結構いる。まったくぶつかることに鈍感のようだ。大抵はこちらが気付いて避けて歩く。だってぶつかりたくないもの▼通勤電車内で飲食。朝はパンかおにぎりに飲み物、夕方はつまみを一品とビールか酎ハイの缶。満員電車内で座れなくても。少し前までは、行儀が悪い、降りるまで辛抱を、と子どもに教えたのに▼片道20分の通勤電車で見かける人たち。今や普通の風景にこだわる私の方が変?
辺野古新基地建設
沖縄の民意に従い安倍政権は工事を中止せよ
 11月の沖縄県知事選の前哨戦ともいわれた名護市議選が7日投票で行われ、新基地建設反対の姿勢を貫く稲嶺市長を支える与党が定数27議席中14議席の過半数を獲得した。与党ではないが「基地移設には反対」の公明は2議席、野党は11議席で、改めて名護の民意は新基地建設反対であることを明確に示した。仲井真知事が辺野古沖の埋め立てを承認した以後も、市長選、市議選と2度の選挙で名護市民は新基地建設反対の民意を示したのである(ひとこと断っておきたいが、「米軍普天間飛行場の辺野古への移設」という表現ではことの真相と本質は明らかになっていないと考え、「辺野古新基地建設」という表現を用いたい。米軍がかねてから渇望していた強襲揚陸艦も接岸できる軍港機能を新たに備え持つ、一段と機能を高めた基地だからである)。
 名護を含めたこのたびの27市町村(3村が無投票)での統一地方選挙総体でも、「辺野古移設」に反対する当選者が過半数を占めた(本号「改憲の動きをウォッチング」参照)。
 辺野古の海底ボーリング調査が開始されたことに関する世論調査(琉球新報社と沖縄テレビ放送が8月23、24日、合同で実施)でも、「移設作業は中止すべき」が80・2%で「そのまま進めるべきだ」の19・8%を大きく上回っている。 どこからどうみても「辺野古移設反対」、「辺野古新基地建設反対」が沖縄の民意である。これほど明確な民意を無視しつづけ強引にボーリング調査工事を進める安倍政権は、今こそ真摯にこの沖縄県民の民意を受けとめ、工事を即刻中止し、辺野古の新基地建設を断念すべきだ。民主主義の基本として、政府がとるべき当然の対応である。
 だが、どうだ。安倍政権の対応は実に傲慢で強権的態度に終始している。菅官房長官は名護市議選の結果について「辺野古移設は淡々と進める」と述べ、県知事選の結果にかかわらず「埋め立て承認がある以上、法律に基づき粛々と進める」とうそぶいている。これほどの民意無視があるだろうか。
 安倍政権のもくろみは、県知事選の前に、もはや後戻りができないと見せつけるほどまでに工事の既成事実をつくりあげ、それによって県知事選の不利な状況をカバーしようとしていることにあるように見える。
 工事の抗議行動をめぐっても異常なほどの弾圧体制を敷き、抵抗排除の姿勢を貫いている。
 キャンプシュワブのゲート前には表面が山型に尖った鉄板を敷いて座り込み行動を封じ、辺野古沖では海上保安庁が異常な数の巡視船、ゴムボートを出動させ、刑事特別法で脅しながら、制限区域外においても「安全確保」を理由にして、埋め立てに抗議する市民の舟やカヌー、報道陣の舟を追尾し、時には身柄を拘束することさえ繰り返している。
 辺野古ばかりではない。高江のヘリパッド建設反対運動に対しても県道70号沿いのテントを撤去し、すわり込みを排除しようと、防衛省は仮処分の申し立てを検討しているという報道もされている。
 しかし、それでも辺野古では連日、市民と支援者らによる抗議行動が陸上と海上でつづけられ、敢然と闘いながら権力への屈服を拒否している。
 安倍政権の暴走のなかの焦点のひとつが沖縄・辺野古をめぐる問題である。これほどの民主主義否定、強権的な対応を断じて許してはならない。この沖縄の攻防の行方が、日本の民主主義の死活にもかかわる問題として普遍的な意味を持っている。それゆえ安倍政権の今後の存立にとって大きな影響を与えよう。私たちには何よりもこの沖縄の闘いに連帯し、支援を広げることが求められている。
 いま、その焦点は10月30日告示、11月16日投開票の沖縄県知事選に当てられる。候補者の顔ぶれがほぼ固まった。「辺野古移設推進」の仲井真現知事に対抗し、「辺野古移設反対派」「新基地建設反対派」は、翁長雄志(おながたけし)那覇市長を擁立して闘う陣形を決定した。社民・共産・生活の3党の県組織、社大党、県議会会派県民ネットでつくる支援団体、名護市の稲嶺市長と市長支持派の市議ら、さらには地元経済界の有志、自民党を除名された那覇市議らが支援の予定だ。民主は目下、態度不明だが、「オール沖縄」の色合いを帯びる。
 私たちも支援体制を築いていこう。現地での応援にはいろいろと制約はあるが、辺野古新基地建設を許さないために、カンパをはじめ物心両面の連帯のメッセージを送ろう。
野上 司(平和運動研究会)
私の心の拠り所
 私は、2011年3月の福島原発事故による放射能汚染にさらされてから3年あまり、知らないことが加害者であることに気づかされ、本を読み、講演や新聞などからほんの一部ですが日本の歴史を学んでいたつもりでした。しかし、知れば知るほど責任の重さに胸が締め付けられ、苦しく、埋没しそうです。明治憲法からの思想が、大正時代を経て中国への侵略に始まり、太平洋戦争までの15年戦争につながっていったこと。そして、広島、長崎の原爆投下をはじめ、地上戦という残虐な戦争を強いた沖縄には、1972年まで米軍統治で平和憲法もなく、差別と分断、孤立が“日常生活”にされたことなども知りました。まだまだ歴史を知らないことだらけです。歴史を正しく教えない“洗脳”教育が今日の日本の現状にあるとも感じます。
 しかし、この間の脱原発行動などで、反対に多くの人と学習と交流が広がり、私の拠り所となっています。一つには、自分の周りの人々と語ることで、移り変わる季節を感じながら広く観察することから生きるものすべての命の大切さを感じとれる意識が持てるように、そのことを重ねたいと強く思うこの頃です。
 今年の梅雨は、雨が降らずに気温が低く、また突然の気温上昇など異常気象現象でした。でも、庭先の作物はビックリするほどの豊作。キュウリ、トマトが実をつけ、保存にも手間取り、アタフタしました。そのため、家庭野菜を「福島の子どもたちの保養キャンプ」へ送るという新しい繋がりもできました。ゴーヤはなかなか成長しませんが、日よけの役割を果たしてくれています。大型台風が続いた後は早くも秋の虫の鳴き声、自然には正直な現象が現れています。
 ところが、今までの私は情緒に浸るどころか、心の余裕もなく、工夫することを置き去りにしてきたように感じています。そして、身体にも表れたのがジンマシンです。これもまた身体を振り返ることを教えてくれました。
 花にも同じような現象が見られるのです。夏は、大好きなひまわりが葉っぱばかりが伸び、花が咲きません。一方、バラやカランコエがいつまでも花を咲かせています。そして家の中では、梅雨時のようにカビの発生に驚きと不安すら感じずにはいられないのです。あちらこちらから聞こえてくる「異常気象」の言葉からも読み取れるように、多くの人が、大差はあるが、何かを感じているように見受けます。
 もう一人の人に「歴史を知る」ことの大切さを伝え、「命を大切にする社会」を共にめざせるように少しは心に余裕をと、夫が連れ出してくれた初めての城崎温泉(我が家から約2時間)で、なんと情緒ある日本の景色に下駄の音を鳴らしながら浸ることもできました。楽しみや喜びが心の拠り所になれるよう余裕を持ちたいものです。
(加古川・菅野順子)
団体交渉の対応で分かれる2つの型
 ユニオンから団体交渉を申し入れた際、会社の対応は2つに分かれる。ひとつは、話し合い解決型である。この場合、比較的早期解決が見込まれ、その後の労使関係も安定的である。これとは逆の徹底抗戦型に当たったときは大変である。争議は長期化・泥沼化し、会社にとってのダメージも大きい。
 先月、アスベスト関連の事件で、裁判所で和解が成立した。団体交渉申し入れからちょうど3年目であった。
 その事件では、ユニオンからの団体交渉申し入れに対して、会社が弁護士に丸投げしたのだ。弁護士は、退職者であることを理由に交渉を拒否し、県労働委員会、中央労働委員会へとすすみ、結局、中労委で会社はユニオンに謝罪することとなった。さらには、ユニオンが労働委員会に要した費用まで支払わなければならなくなった。当然、労働委員会で争うために弁護士費用も支払っている。そして、本題の組合員に対する補償問題は裁判で争うことになり、当初、ユニオンが求めた水準の倍近い額が裁判所から和解案として示され、和解したのだった。当然、裁判は弁護士に委任したため、さらに経費もかかった。
 ユニオンからの要求事項は、社内で起きている問題に関することである。だから、当事者間で話し合えば解決できるはずだ。
 弁護士は、会社の代理人として登場するが、本当に会社の利益のために働いているのか疑問に思うことが多い。正直、会社を食い物にしている「悪徳」弁護士もいる。でも、それを許しているのは会社である。
 いま交渉を行っている某大学も、交渉担当者に判断権限は与えず、問題の張本人である理事長は後ろから糸を引くだけである。
 利害が対立するからこそ、労使はお互いに向き合って話し合いをすることが大事だ。労働者には「自己責任」を求めるのに、経営者は逃げてばかりでは話にならない。
塚原久雄(ひょうごユニオン事務局長)