「新社会兵庫」 8月12日号
- 「辺野古『殺人鉄板』 直ちに撤去し人命守れ」―7月31日の琉球新報社説の見出しだ。「国策に抵抗する者は負傷しても、死んでも構わないというのか。県民の生命を差し置いても普天間飛行場の辺野古移設を強行しようとする政府の手法に怒りを覚える」と本文が始まる。沖縄防衛局がキャンプ・シュワブのゲート前に山形の突起を並べた鉄板を設置した。反対の座り込み行動などを排除しようとするものだ▼地元の民意は無視。問答無用とばかり、海底ボーリング調査の着工に向け、強権的にその準備が進められている。辺野古では緊迫した状況が続いている。だが、そんな記事はほとんど本土では報道されない▼そんな折、映画「標的の村」の三上智恵監督のお話が西脇市で聞けた。三上さんは、次作には辺野古の記録も、と毎日早朝から深夜まで辺野古に通い詰め、攻防を追い続けている。その辺野古の様子が、限られた時間のなか、ほとばしり出るように語られた。秘密保護法施行のこともあり、「今、語っておかねば」との思いも強い▼これは普天間の移設などではない。より高度な機能と、米軍が早くから望み画策していた軍港を備えた新しい基地の建設である。沖縄の米軍基地の永久固定化だ。
- 総合防災訓練
米軍の参加は中止を/日米軍事同盟の促進に利用 -
兵庫県と阪神7市1町が合同で8月31日、芦屋市南部の県企業庁用地で実施する防災訓練に、県下で初めて在日米軍が参加することが明らかになっている。県が自衛隊を通じ在日米軍の訓練参加を打診、当初はMV‐22オスプレイを要請したが、機材繰りが付かず他のヘリコプターになったようである。
兵庫県は、本年度の訓練に当初から米軍参加を考えていた節があり、4月23日の神戸新聞朝刊の記事取材を受け、報道前日の夜間に関係各市の防災担当者に米軍参加要請についての連絡をとるというドタバタ劇であった。
知事や県防災担当者は、米軍の防災訓練参加の必要性について、「大規模な災害を考えると、あらゆる機関と連携し(米軍とも)、一人でも多くの命を救う必要がある」「世界で優れた諸機材を持つ米軍の果たす役割は大きい」「東日本大震災時における米軍の救助・救援活動(トモダチ作戦)を踏まえれば、いざという時は活動が期待される」と述べている。米軍の震災時の活動を引き合いに感謝と畏敬の念を持ち、米軍参加を正当化する言辞が後を絶たない。
関係市長も県の一方的な要請に対しては遺憾を表しながら、米軍参加については人命優先の取組みから肯定的に捉えている。
防災訓練への米軍参加が明らかになって以降、政党や平和運動団体などの抗議と米軍の参加中止を求める要請行動が後を絶たない。
その一方で、災害時の救援・救済活動は人道上必要なことから、米軍の力量は必要であり、平素からの協力体制の構築として訓練の必要性を説く市民等も存在をしている。
この米軍に対する評価に「トモダチ作戦」の効果が表れていることは間違いがない。しかし、この米軍の支援は作戦名とは程遠く、米軍には有事展開能力を試す軍事目的があったと指摘されている。実際、この作戦はすでに出来上がっていた有事作戦(「太平洋有事519作戦」)にスイッチを入れ、動かしたものだとの論評もある。事実、米国の動きは発災直後に支援の用意があることを政府に伝え、提供可能な支援内容約20項目の「オファーリスト」が送られていた。
軌を一にして米軍は、太平洋上に展開できる部隊の東日本への集中配備指令と総合支援部隊を組織し、司令官には「519作戦」指揮に当たる在日米軍司令官より格上の太平洋司令官が任命された。この下で日米防衛協力の指針(ガイドライン)で規定された日米調整メカニズムを災害支援に全面的に適用させ、「日米共同調整所」を防衛省本省など3カ所に設置。米軍の持てる能力(紛争地帯の不整地において、緊急滑走路を建設し、飛行機を発着できる能力)を発揮する行動を仙台空港において実施、他にも被災各所で軍事作戦を復旧支援として展開をしている。これらの異例ともいえる大規模な軍の展開は、日米同盟の意義を日本側に再認識させるとともに、中国、ロシアに日米同盟の存在を見せるねらいが「トモダチ作戦」の裏側にあったという事実を押さえておくことが必要であるとの論説もされている。
今、安倍政権は集団的自衛権行使容認の閣議決定を行い、来年の通常国会に安全保障関連法案を提出するスケジュールをにらみながら、秋の内閣改造に合わせて安全保障法制担当相を設ける意向を示している。また、年内の再改定を目指す日米ガイドラインにおいて、集団的自衛権行使の容認を反映させる方向性で日米合意をしている。全国的に広がる米軍の防災訓練参加は、日米軍事同盟のさらなる深化を促進させ、平時からの日米一体化を国民に意識的にも浸透させる役割を図ろうとするものである。
この状況下、芦屋市内で、地方労働組合協議会が市民団体との共闘でメーデーや国際反戦デーを取り組んできた経過を踏まえ、米軍の防災訓練に反対し抗議する集会の開催が予定されている。安倍政権が「戦争をする国」へ進もうとする今、集団的自衛権行使容認に反対する意味も込め、芦屋市での抗議集会への参加を呼びかける。
前田 辰一(芦屋市議会議員)
- 無関心であることの責任
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その報道がなされた時、なぜだか分からないが、とてつもない敗北感に打ちのめされた。7月1日、集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。この時に感じた敗北感は一生忘れることはできないだろう。
閣議決定がなされた時、一緒に憲法9条と集団的自衛権について学び、内閣への請願書の作成をしてきた友達からLINEがきた。その子はただ泣いた、ただただ悔しいと。閣議決定がなされる前日には、東京で集団的自衛権の行使反対を主張し、男性が焼身自殺を図ったという事件が起きた。感情論に頼って「国防」について話すことは望ましいとは思わないが、しかし、現在も集団的自衛権の行使に反対し、デモに参加する人々の思いは、どのようにして政治に反映されているのだろうか。また、そのような人々の気持ちは数値化されること自体が不可能であるように思う。
私は、所属する大学のゼミのプロジェクトで、高校生に憲法教育に関するレクチャーを行った。この時まで真剣に憲法に向き合ったことはなかった。それぐらい私なりに憲法を正確に理解しようと努力した。その時、いかに正確に日本国憲法を理解することが難しく、また憲法を正しく理解している人が少ないのかということを実感した。この活動を通して、ひとつの言葉と出会った。それは「知らないということは罪である」という言葉である。関心がないという理由から、問題に対して何の主張もしないということは賛成票を投じていることと同じである。そもそもこのような集団的自衛権の行使容認の閣議決定を招いた原因は、2013年での一部の日本人によって行われた選挙の結果であり、また日本の小選挙区制が抱える問題である。つまり、日本人の政治離れと以前から抱える制度的問題が、今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定につながったと思う。
この短期的スパーンの中で見ても、無関心であることの責任は重いのにもかかわらず、今回、内閣によって決定された集団的自衛権の行使の容認は、このような短期的影響だけでなく、長期的な影響を考慮しなければならない。そのような状況下で、この決定を下した人々のうちどれだけの人がその危険性に対する責任を負う覚悟があるのだろうか。また、どのような権利によって、内閣は解釈改憲を正当化したのだろうか。
今もなお多くの人が集団的自衛権の行使に反対し、デモなどを通して自身の意思を内閣に向けて発信している。日本でひとつの「平和」を共有することは難しいが、せめて「平和」への議論は十分になされるべきである。本来、憲法とは国民主権を守るためのものであり、政府の権力を抑制するためのものである。それを政府が国民に直接問うことなく解釈によって価値観を変えてしまうというのは、あまりにも乱暴である。今からでも政府に、デモの中で「生きたい、僕は生きたい」と言っていた少年たちの声に耳を傾けてもらいたい。もちろん、私たちもさらなる努力が必要とされる。ただ「平和」を求めるだけでなく、いかにして戦後半世紀以上守られてきた日本の「平和主義」を生かしがながら、次世代につながる平和、またガルトゥングが主張する「積極的平和」による安全保障を確立していくかを考えていく必要がある。
(YT)
- 企業内労働組合の“合理化”の落とし穴
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県内のA町役場で働き、20年が経過した。この間、正規職員数の減少は顕著で、ピーク時は230人いたものが、今では160人と70人も減っている。
国や県の仕事は権限移譲等で末端自治体の市町に降ろされ、仕事は増えているのに自治体業務が回っているのは、ひとえに非正規職員が仕事を回していること、民間委託・指定管理などで外部に仕事を振っていること、年休を取れず、残業で仕事を回してしまっていることなどが要因である。
きちんと残業をつければそれなりに人員要求の根拠になるのに、サービス残業が横行し、残業時間としてデータ化されていないため、当局(総務課)から見ると、「残業せんでも仕事回ってるやん」という評価になる。
このような状況になってしまっているのは、労働組合の力不足も大きな要因である。ひとつひとつの問題をオルグ等で集約・総括できず、“なあなあ”で済ませてしまっている組合も少なくない。行政が合理化を進め、人員不足の中、今までと同じような労働運動をしようとすると、執行部の運営サイドも負担が大きくなり、「これはせんでもええやろ」というような組合運動の“合理化”を引き起こす。正規のみで構成される企業内労働組合はもはや、自分たちの賃金・労働条件の維持だけで精いっぱいなのが現状である。
ここで、正規・非正規の交流、官民を超えた共闘などの視点が入れば、「俺たちは過酷な環境で働かされているんだ」「問題は制度を作った政治の問題、社会の問題ではないのか」と頭を切り替えることができるはずだ。
ユニオンを中心として、考える機会の多い集会はたくさんある。一度誘って断られてあきらめるよりも、100回誘って1回でも行って気づいてくれればラッキー的な気分で最近は若者を集会に誘うようにしている。地域ユニオンの役割が認知される情勢になっているのではないだろうか。
北川寿一(はりまユニオン副委員長)
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